生活を立て直す

一度、福岡の精神保健医療福祉分野から離れるぞ!と決めて言葉にしてから、とても気持ちが楽になった。

11月後半位からは、体力も気力も出てきて、却って家の中に籠りきりの方が具合悪いなと判断し、なるべく外に出るようになっていった。

今は細々と行動援護のバイト(未成年対象)を始めたり、もっとちゃんと食い扶持を確保せにゃ…と、金銭工面のためにバイトの求人をみたり応募してみたり、面接に行ってみたり、悪戦苦闘をしている。

10年前とか、自分の生活費をバイトで賄わなくてはならず、なのにバイトを続けることができなくて困窮していた日々を思い出す。

「貧困」は本当に、人の生活基盤を足元から揺さぶってくる。
こういう心理状態が極まってくると、最近よく聞く「闇バイト」とかに手を出す人も出てくるんだろうな~なんて思ったり。

福岡市の精神保健医療福祉分野に飛び込んで、3ヶ月間いろいろ悪戦苦闘したけれども、その期間の裏テーマは「仲間」だったな~と、なんとなく思っている。

関東で長年携わってきた自立生活運動を離れて、ぼくは福岡の精神保健医療福祉分野で社会的入院や支援関係だったり、当事者運動と精神保健医療福祉システムとかそういったあれこれについて一緒に考えたり、何かできたり…、そういう「仲間」が欲しい!と思って、飛び込んできた。そんな気分や部分もあったと思う。

これは本当にぼくの悪いクセなのですが、塞ぎ込みだすと、強烈な「孤立感」に苛まれます。そして、既存の人間関係のつながりや輪から遠慮がちに距離を取ります。

最近、福岡移住を提案してくださった方に会った際、「〇〇さんと△△さんが、やそらさんのこと心配してたよ~」とか、「■■さんが、あそこでやそらさんの話してたらしいよ~」なんて報告を受けた。

指導教員とオンライン面談で、「あなたは、ピアスタッフではないって否定されたんです~!涙」と泣きついた際、「現場レベルで痛みを分かち合うピアばかりが注目されて、メゾ・マクロレベルで権利擁護活動を行うピアの存在はみえづらくなりがちですよね~。やそらさんだって、大きく取ればピアだろうに、その人のピアの定義は何だったんだろうね」とかいろいろフォローされた。

最近、学部の卒論時代から練り上げているセルフヘルプグループ論批判を論文化しようと着手し始めたのですが、権利擁護を行う当事者(=ピア)の存在のみえづらさは、セルフヘルプグループ論でも顕著で、だから大阪医療人権センターとか、セルフヘルプグループ論の文脈で語られてないよねって。

この間やはり日本の「ピアスタッフ」の系譜の方々よりも精神病者運動に近い方々の方が自分はやはりシンパシーを覚えるな~と再認識する機会になった。

あと、修論を書いてからダニエル・フィッシャーのリカバリー論に触れた時から宿題だと思っているのが、海外では文字通り当事者発だったリカバリー運動は政治的・闘争的なサバイバー運動と精神保健ケアシステムと親和的な当事者運動とが合流する地点になっていったらしいのだけど、日本の精神保健の当事者運動はそのようなものとしてリカバリー運動を展開してない。福祉にあるあるな輸入概念としての要素が強くて、自分たちのモノにできてない。

「輸入概念」といえば、佐賀県で重度訪問介護を使って自立生活をしている車いす乗りの方と話す機会があって、「重度問介護という制度だけ地域で使えるようにしても、その障害者運動の中で培われてきた精神や哲学、一番大事な当事者性の部分が抜け落ちた状態で九州で広まったとしても、それはやっぱり東京の多摩地域で培われてきたものとは別物になってしまうと思う」とか、そういうお話を今月の頭にした。
自分が自分なりに研究してきた問題意識に通じる「いろんなモノ」が、ここにはあるな~とボンヤリ思う。東京の多摩地域で「命を見あう関係」を大事にしてきた事業所でぬくぬく育ててもらった恩がある人間としては、やはりそういう「当事者性」を大事にしたいから、そのための重度訪問介護の研修講師やりたいな~と改めて思った。いま、重度訪問介護でビジネスモデルを確立して展開している法人に不足しているのが、その「当事者性」なのだろうな~とぼんやり思った。

福岡の精神保健医療福祉の現場に飛び込んで、それこそ地域の文化に揉まれくたばってしまって、いろんな人間関係が切れたり、信用を失ってしまったかな~…と落胆していた。

自分の福岡移住の決断を大きく後押ししてくれた方の一人とも疎遠になってしまったかな~…、つらいな~…、やっぱりもう精神保健医療福祉分野無理だわ。俺、ピアスタッフじゃねぇし…と落ち込んでいたのだが、今日、その方から電話があった。

ずっと気になっていたし、電話かけるタイミングを失い続けていたのだけど~とか、いろいろ言っていただいた。「まだ出会ってから一年しか経ってないし、やそらさんのことそんなによく知るわけではないですけど、仲間だと思ってますから」とか、そんな風なことを言われた。泣きそうになる位ありがたかった。

去年の福岡の大会での分科会での講演の最後にぼくは、「皆さんと一緒に精神保健医療福祉のことを考えていきたい!」というような呼びかけを行った。冷静に振り返ってみると、その時に聴いていてくださった方々とは、今でもしっかりとご縁はつながっている。

あの呼びかけはまだ生きているのかもしれない。

福岡来てからいろんなことが思うようにいかない。自分にできる最低限のことをしつつ、あとはご縁やタイミングに任せるのがいいような気もする。

福岡に来てからのぼくはとても意気揚々としていて、「向かうところ敵なし」みたいなテンションだった(躁かな?)。そういう時はたいてい、何かしらガツンと下がる出来事がある。たしか大学院入学を果たして、ウキウキしていた時期なんかに社会福祉士の実習で躓いてがっくりした‥なんてこともあった。ある人にも「バイト先を一気に全部辞めるとは、ある意味やそらさんらしい」などと言われる始末、言われて自分でも本当にそうだな~って。

こういう時の立て直しやリカバーには定評があります。
転んでもただでは起きないしぶとさが自分にはあります。

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