動き始める

新年に入り、日常に動きが出始めた。
日常が、というより、自分が動き出したんだろうけども。

修士論文の一部をリライトした論文を書き始めた。
指導教員によると内容はいいみたい。
あとは研究の方法と記述のスタイル…。
3月末までには形にして、どこかに提出したい。

福岡に来て難航していた仕事だが、ひとつ決まりそう。
福岡市周辺で重度訪問介護を展開している事業所だ。
ALSとかそういう寝たきりの利用者が多い印象。
週二夜勤と週一の日勤に入って、社会保険に入れてもらえることになった。

それで手取りは20万位行くだろうとのこと。
今日が初出勤、生まれて初めての社会保険。
とにかく、慣れない土地で生活の基盤を確保できるのはデカい。

夜勤メインなので、他にやりたいことなども動きやすいかなと。
ここで頑張っていけたらと思う。

ふりかえると福岡に来た理由のひとつは、自分の能力や経験を活かせる環境を探したり創ったりする、ということだったように思う。

精神保健福祉分野では、現場での経験も踏まえて、やはり精神科訪問看護に従事する支援者への支援がしたい気持ちが強い。自分が学んできた専門知、当事者としての経験知、現場経験で培ってきた実践知は、EAP(従業員支援プログラム)のような形が一番発揮できそうだと最近は考えている。

重度訪問介護をやっている事業所の面接にいくつか行くといろんな反応があった。東京西部の障害者運動と重度訪問介護の本場で長年やってきた自分をおもしろがってくれる人もいた。東京の事業所で学んできたことやそこでの経験は、こちらで活かせそうだと最近は思える。

障害者運動と出会って“救われた”という実感がある。
けど、関東ではいろいろ煮詰まって結局逃げ出してしまった。
そんな「負い目」のような気分も自分にはある。
それが九州に来て、思わぬ出会いもあって「ぼくと障害者運動あるいは重度訪問介護との物語」の続きが、着実に紡ぎ出されてきている。

人生って、どこで何がつながるかわからない。

自立生活センターを辞め、福岡に行くと挨拶に伺った際、上司に「そういうご縁が運動の観点から重要だったりするから」とか言われたのを思い出す。

支援者と当事者が互いに「命を見合う」ことを大事にする事業所での経験を、こっちで活かしていきたいと強く思う。

こんなに「やりたいこと」が明確で、あたかも自分の中から湧き出てきているような状態も珍しい。

ここに至るまでいろいろあった。

研究活動として論文を書く時もそうだけど、いろいろな先行研究や言説に触れるなかで、「それはおかしいだろ」とか「それは違うだろ」というような気分が高まって、それらを批判的に検討するなかで「自分なりの考察」が出てくる。そうやって時間と労力を沢山かけて、<自分>が浮き出てくる。

ぼくにとっての<人生>というのもそんな感じなのかもしれないな、と最近思う。ぼくは「関係性に生きる生き物」だ。福岡に来て、いろんな人間関係を経験し、関係性や他者からの影響次第で、自分のキャラクターや人格がまったく変わってしまうのを実感している。まるで鏡のように、相手がこっちにしてくることを相手に返してしまう嫌いがある。

感覚的にイヤなモノに出会った時は、以前よりもちゃんとイヤだと言い、距離を置けるようになったと思う。自分が貶められたと感じた時には、怒ることもできるようになったと実感を得られる場面もあった。

いろんな関係に飛び込んで、「これはイヤだな~」とか、「なんか変だな~」、「妙に居心地悪いな~」と思ったりしたものについては、その都度整理して、適切な距離を取っていく。「ここなんかいいな~」とか「ここ好きだな」とかそういう関係とかも探し当てて、そうやっていく中で、そうやって揉まれていく中で、<自分>がハッキリしてくる。方向性が見えてくる。そうやって、遠回りかも知れないけど、<自分の軸>のようなものを見つけたり、創っていけたりできればいいかな~。最近はそんな風に思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?