安芸高田市石丸市長を応援する人たち(6)ポピュリズムの時代・簡単である議員対応をなぜ難しくするのか

■私の仮説の再復習
 6回目は、簡単である議員対応をなぜこんなに難しくするのかである。
 私の仮説は、石丸市長は市長になってはみたものの、すぐに向いてないと気づき、自分の論破力で、ひろゆき的地位を目指すようになったというものである。
 だから、たいして話題にならない政策の実現よりも、政策をテコとした対立・劇場型の設定を考えるようになったのではないか。
 この仮説から言うと、議会対応をうまくやってもたいして話題にならないが、議員を悪の権化のようにすれば、対立・劇場型の展開になり、注目を浴びることになる。
■でも最近は「本当に政策力がない」と思い始めた
 図らずも石丸市長の政策力を考えることになり、私の仮説が揺らぎ始めた。本当は政策ができるのだけれども、ひろゆき的地位を目指すためにあえて対立・劇場型にしていると考えていたが、最近では、政策をつくり上げた体験も、政策を創り上げる力もないのではと思い始めた。
 アイディアは思いつくだろうが、基本ができていないので、それを体系化できない。また、人と水平の関係で話し合いながら、距離を詰めていくということができないから、合意形成ができず、結局、思い付きで頭ごなしの単発アイディアになってしまう。
 30代から40代は、プロジェクトを任され、企画を何本も出せるときで、この時に、体系化や合意形成力を学び、大いに力をつけるときであるが、銀行時代には、そうした機会を与えられなかったのだろう。気の毒だと思うが、そういうことなのだろう。
 さて、本題は、簡単な議員対応をなぜこんなに難しくするのかである。

1.お人好しでなければ議員にならない
■応援者は、「体験なし」で語っているのではないか
 
 地域活動や社会活動は、若者を大人にする揺籃器だと言われている。人格形成期に、こういう体験して人は大人になっていく。
 ヤフコメを見ると、スマホやパソコンに閉じこもり、こうした地域活動や社会活動の体験がなく、十分な揺籃期を過ごしていないのではないかと思えるような発言に出会うことがある。
 ただ、noteの読者ならば、若いとき、あるいは現在でも、地域活動などをしている人も多いだろう。
■簡単な話、地域活動で出会う議員を思い出してほしい。みんなフレンドリーではないか
 
だから、簡単な話、地域活動や社会活動で出会う議員の顔を思い出してほしい。そこには、悪の権化みたいな人はいるか、みんなフレンドリーではないか。
 もしかして、地方議員と付き合ったことがないという人が安芸高田市や石丸市長を論じているのではないか。そんな風に思うようになった。
 当の石丸市長も、青年期の揺籃期に、地域活動をしたという体験がないのかもしれない。
フレンドリーでないと選挙に落ちてしまう
 
地域で出会う議員は、みなフレンドリーである。なぜ地方議員はフレンドリーなのか。
 簡単な話、フレンドリーでないと選挙に落ちてしまうからである。高飛車であったり、強引であったら、住民は推薦してくれないし、投票してくれない。
 選挙に落ちると、いきなり無職になってしまう。ちなみに議員には失業手当もない。
 だから誰とでもフレンドリーに話すし、人の話をよく聞いてくれる(聞いているように振舞う舞う)。
■何年勤めても退職金も厚生年金もない。こんな勤務条件で働くのはもの好きか、お人好し
 議員の場合、給料月32万5千円は、若いうちはいいかもしれないが、何年やっても昇給なく、50歳になっても、子どもが大学に通うようになっても、同じ額面で32万5千円である(今後はさらに下がる可能性の方が大きい)。
 家族がいても扶養手当もない。厚生保険も厚生年金もない。退職金も出ない。さらにはネットで晒されても忍の一字である。繰り返すが、選挙に落ちれば、無職である。失業手当もない。
 こんな悪い勤務条件で働くのは、もの好きか、お人好しでなければやらないだろう。たいていは、地域の人に押され、頼まれて出るが、まあ、お人好しとしか言いようがない。
■議会のないときは、他の町にアルバイトに行く
 
ある地方に住む若い友人は、その町の議員をやっているが、議員報酬が安芸高田市よりさらに安いため、議会のないときは、他の町にアルバイトに行く。現場の後片付けのような仕事とのことである。
 大企業に勤めていたが、それを辞めて、家族で田舎のまちに移り住んだ。理由は詳しくは聞いてないが、いろいろあるのだろう。お金には執着しないが、家族の生活費は必要で、ときどきバイトに行く。
 みんなに請われて議員になり、議員を続けているが、奥さんからは、安定した仕事についてと、いつも言われていると笑っている。
■議員には利権がある?
 たしかに開発の時代は、未公開情報がいっぱいあって、それを事前に知る議員はおいしい仕事だった。しかし、今は、開発はほとんどなくなった。
 逆に情報公開、内部通報の時代になって、ちょっとでもおかしなことをすれば、すぐに公にされ、通報される。
 公人ということで、プライバシーもさらされる。
 だから、あちこちの地方議会で定数割れになり、選挙が成り立たなくなった。
 議員を利権の塊のように言う人がいるが、どんな利権なのか教えてほしい。国会議員ならば知らないが、地方議員にどんな利権があるのか。ひどい勤務条件を凌駕するようなどんな利権があるのだろうか。イメージではなく具体的に教えてほしい。

2.地方議員に求められる能力
 
みんな地方議員に求める能力を誤解している。地方自治の仕事や、安い給料、勤務条件の悪さを無視して高望みしすぎている。
 地方自治の仕事の基本から考えてほしい。
地方自治の仕事は、大半が日々の暮らしの調整
 
市町村の事務は、自治事務と法定受託事務に分かれている。法定受託事務は、たいがいが国の事務である(たとえば旅券の発行)。これは国の指示のとおりにやっていればよい。大半を占めるのが自治事務である。これは日々の暮らしに関する事務である。ごみ、防災、防犯、福祉、環境保全などである。
 地方議員の仕事を国会議員と同じように考えていないか。地方の仕事には、国際問題も金融問題もない。
 そこから、求められる議員の資質が決まってくる。
■議員は寄り添う力がないと務まらない
 
市町村では、予算もマンパワーも、その半分は福祉で使われている。したがって、議員がまず相手にするのは、高齢者、障がい者など、ハンディを抱える人である。市長や議員は、この人たちと気さくに話ができ、辛抱強く話が聴ける人でなければ務まらない。要するに、議員は(市長も)、寄り添う力がないと務まらない。
■議員は調整力がないと務まらない
 
まちには、さまざまな人が暮らしている。だから利害もさまざまで、あっちを立てれば、こちらが立たないという場面ばかりになる。
 コミの集積場の位置をめぐって、住民間でトラブルになるが、その仲裁役、調整役を議員が頼まれる。議員には、三方一両損的な調整力が求められる。これは基礎自治体である市町村の市長にも求められる。
■だから議員の行動は迎合的になる
 
選挙に受からなければ無職になる。だから、できるだけ有権者の期待に応えようとする。住民間の調整は厄介であるが、逃げるわけにはいかない。あちこちに顔を出し、いい顔をしないと務まらない。悪の権化みたいなことをしていたら、あっという間に選挙に落ちてしまう。
■寄り添う力・調整力があれば、地方自治の仕事のたいがいは解決する
 どこの世界にも、どうかと思う人はいる。もちろん議員にもいる。しかし、議員の多くは、公共心に富んだ人の好い、おっさん、おばさんである。
 議員は、経済理論は分からなくても、人の気持ちが分かり、人の話が聴け、寄り添う力があり、調整力があればいい。なぜならば、それで地方自治の課題は、大概は解決できるからである。
■議員なら政策形成能力をもってもらいたい。それにはまともな議論が必要である
 でも、議員なら高い政策形成能力を持ってもらいたい。しかし、今の勤務条件ならば、高望みはできない。
 これは、自分が議員になったとして考えてみればすぐ分かる。この安い給料、悪い勤務条件で、そこまで求められても困ると思うだろう。自分ができないことを他人に求めていけない。
 それでも議員には高い政策形成能力を求めたい。どうしたらよいか。議員はダメだというのではなく、どうすれば、政策形成能力をつけられるか、それを考え、提案するのが、議員に関するまともな議論である。
 石丸市長のやり方は、議員はダメだと言いばかりで、ちっとも解決策を示していない。
 ちなみに、私の対案は、
 ①第4回で書いた、「議員立候補者の政策公開討論会制度」がひとつである。
 ②議員の給料は3倍にするというもの対案である。そうしたら、バイトに行かず専業で、政策形成に注力できる。
 ③それ以外のアイディアもあるだろう。
 議員のあり方については、こういう建設的な議論をすべきである。

3.石丸市長の議会改革はD査定
■3年もやって進展なし・人事評価はD査定
 
このnoteは、「安芸高田市応援!市政刷新ネットワークの誤りを正す通信」というブログに参加して、触発されたことをベースに書いている。
 このブログでは、石丸市長の議員対応について、特に話題にならなかったたので、私の方から出してみた。
 「会社もそうですが、政治も結果責任で、成果を出してなんぼです。
 議員が問題だ、何とかしようという問題提起は分かります。1年目は最初なので、人事評価査定はBでもいいと思います。2年目は、先に進めないといけませんが、相変わらず膠着状態では、査定Cだと思います。3年目になっても一向に解決しない。もうD査定だと思います」
 実際、noteの読者の会社でも同じ査定結果になるのではないか。この仕事ぶりに、SやAをつける会社はないのではないか。
■これにSやAを付けたら、こっちがD評価を受けてしまう
 ヤフコメなどを中心に、石丸市長の3年という長期間に及び、いまだに問題提起のみで、一向に進捗しない議員改革にS評価をつけている人がいる。
 どういう会社に勤めているのだろうか。こんな会社は、すぐにつぶれるから、転職先を考えた方がいい。
 私が勤めていたところでは、こんな仕事ぶりにSを付けたら、こっちがD評価を受けてしまい、私が飛ばされてしまう。
 普通の組織に勤め、普通の暮らしをしていれば、これが常識的な判断だろう。
■というか、実は企画書・計画書もない
 実は、それ以前に、議会改革の企画書・計画書もない。総合計画を見ても、個別計画を見ても、見つからない。
 だから1年次に何をやり、2年次に何をやり、完成年次はいつなのかがまったく分からない。
 この場合、D評価もできず、N評価ということになってしまう。
■会社と政治は違う?
 
私の投稿に対して、次のような反論があった
 「選挙によって評価が下る政治においては、任期での働きがどうだったか、が唯一の公的な評価手法ですので、民間を例にとるのは違うと思います」。
 でも、これは違う。4年に1度の選挙で評価を判断するのならば、自民党が選挙で勝てば、今話題のパーティ券のキックバック問題は、なかったことになる。
 むしろ逆で、会社ならば、期全体で利益を出せばいいが、政治はひとつ一つが結果責任である。 

4.市長と議会の関係はこのようにつくる・真鶴町長
■議員全員が押す候補に勝って町長になる
 昨年の11月12日、神奈川県真鶴町で、前の町長のリコール=解職請求の成立に伴う町長選挙が行われた。当選したのは、元横須賀市議会議員の小林伸行さんで、真鶴町の全議員が押す本命候補を破っての当選となった。
 安芸高田市の場合は、それでも市長派の議員がいるが、真鶴町では、町長の仲間の議員が全くいないところからの出発である。
■町の再建には議員の協力が必要・真っ先に議員との意見交換
 
壊れてしまった行政の再建には、議員、職員の全員の協力が必要になる。 
 この当選した新町長がまっさきに始めたのは、一人ひとりの議員と面談である。胸襟を開き、今までの対立していた議員と意見交換をする。相手を尊重し、水平な関係で、まちの課題を話し合う。
 相手は議員である。意見や立場は違っても、まちの課題を解決したいという点では一致する。そこから新しい協力関係が生まれてくる。
■町長は町役場のトップ、「町民代表の議会のほうが明らかに上」と宣言 
 
最初の町議会の冒頭で、新町長は次のような所信表明を行った。
 二元代表制について、「町役場のトップとして執行を担う町長よりも、それを監督する町民代表の議会のほうが、明らかに上」との考えを示した。
 これは第1回で書いた議員はCEO、町長はCOOという地方自治法の位置関係の表明である。
■町長はタウンマネージャー・議長は名誉職としての「メイヤー」
 
町長は、町長と議長の役割を次のように説明している。
 町長は、町役場の立て直しと政策反映といった実務に専念する「タウンマネージャーとしてのファシリテーター型リーダー」
 議長は、名誉職としての「メイヤー」の役割として、各種式典での祝辞など儀礼的な職務は議長に任せる。
真鶴町 町政立て直しへ「実務に専念」 小林町長が所信表明 | 小田原・箱根・湯河原・真鶴 | タウンニュース (townnews.co.jp)

■石丸市長とあまりに違いすぎる
 
石丸市長と比べると、理念の高さがあまりに違う。行動力が違いすぎる。経験の差というのもあるが、地方自治にかける思いの違いが、ぜんぜん違うからなのだろう。
 日ごろの活動も、町長日誌をみれば彼我の差は歴然である。要するに、どこに顔を向けて仕事をしているかの違いである。

5.この項のまとめ
 仮説の1(ひろゆき的立場を目指す)なら、あえて、議会を悪者・無能に仕立てて、地方議員が何たるかがよく分かっていないSNSの読み手を煽っている。
 仮説の2(本当に政策能力がない)なら、本当にどうしてよいか分からず、思いがけず、うまくいった成功体験=地方議員・悪の権化論にすがり、それを続けている。
 どちらなのかは、本人のみぞ知るである。
 ただ、いずれしにしても、市長が本来やるべき仕事(住民の福祉の実現)をやっていないということは、元応援団としても、否定しようがない。
 


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