私がブログに求めるもの。

41才になりました。
41才の日々も、自分にとって有意義な一年にできるよう、日々、精進したい。

さて。
先日、note初投稿として、簡単な自己紹介をさせていただきました。

今日は、私にとって、このブログを書く目的はなにかということについて、以下にまとめます。

まず、日々の記録として。
そして次に、日々の悩みや疑問に関して、頭の中で考えをまとめる過程を文章化したものとして。

このように、私にとって、このブログは、
自分のための意味合いが強いです。
ここに書いてある考え方は、私の場合の考え方であり、他の人に押し付けるものではありません。
こういう考え方もあるんだな、と参考程度に思っていただければと思います。

なぜ、わざわざこんなことを書くのか。

これまでの学生生活や、また家庭や職場で当たり前のようにしていること、お互い意見を言い合うという行為が、なぜかSNSの一部の人では『批判』と捉えられがちなことに、モヤるからです。

SNSは表情や声色が見えず、言葉だけになってしまうので、実際の対面よりも難しいのはそうなんでしょうけど。

私の思いとしては。
分からないこと、知らないことは悪ではない。
自分の「今」を把握し、自分で調べるなり、誰か他の人に聞いて、これから知ればいい。

分からないこと、知らなかったことを指摘されること。それは必ずしも批判ではない。
そう捉えてしまったら、気づきは自分目線でしかできなくなり、大幅に機会を失うだろう。


以前、どこかのサイトで目にした、どなたかの名言を。引用元を書きたかったのですが、見つけきれなかったので省略。的を得た言い回しだと思い、ずっと私の中で『大切にしている言葉』です。

何を言うかが「知性」
何を言わないかが「品性」
どう伝えるかが「人間性」
言わなくていっかが「惰性」



私個人の考え方としては、
人それぞれ十人十色の考え方や好み、捉え方があり、人とそれが必ずしも同じでないことは当然。


考えを言い合うことは批判でも、悪口でもない。お互い見えていないことを指摘し合って、理解を深めるためのもの。
もちろん、人の考えを聞いた上で、納得すれば考え改めたり、納得できなければ自分の考えに自信を持てば良い。

色んな意見や考え方があるからこそ、たくさんの人間が存在することに意味があると思います。
色んな意見や考え方をすり合わせて、よりよいものにしていける。
色々な意見、ものの見方を知り、共感はしなくとも尊重はしたい。

私はそう思います。




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