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インサイトと潜在意識・無意識の関係

「インサイト」は人の潜在意識に存在するものというのが定説です。潜在意識とはよく氷山の海面下で見えない部分で表現されています。海面より上が顕在意識(認識している意識)のことを言っていて、見える見えないを顕在・潜在でわかりやすく表現しているわけです。

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では、この海面に隠れているインサイトに重要な潜在意識とは一旦、どういうものなのか。そこについて私の考えを書いていきたいと思います。

「潜在」がついている【意識】とはそもそも何か?まずここについて触れていきます。
意識とは軽くWEBで検索すると起きている状態にあることと出てきます。気を失っていて意識を取り戻した、という時のことを思い出すとわかりやすいと思いますが、もう少し具体的に表現するとすれば、自分や周囲の状況について認識できていることと言えます。

ちなみに人間以外の動物に意識は存在するのか?という比較的よく耳にする問いについては、まだ明確にははっきりしていないようです。意識が存在する動物とそうでない動物がいる説が有力ですが、その境界線は不明ですし、人間と同じ意識と考えていいのかもはっきりとしていません。

次に意識の中でも“無意識”について説明していきます。一般的にはこの無意識は日常生活上でよく出てくる言葉だと思います。自身の行動したことについて、あとで覚えてなかったりすると「無意識でやったかも」と思うことがありますよね。そういう点では結構、普段使われているはずです。

無意識と潜在意識

無意識については、心理学者であるフロイトが唱え、その後ユングや他の学者によって説が広がってますが、ここではユングの説を用いて簡単に説明していきたいと思います。

ユングは「集合的無意識」「個人的無意識」「意識」と3つのレイヤーにわけています。(無意識が2つにわかれています)
集合的無意識・・・普遍的無意識ともいい、人が共通してもつ先天的なもの
個人的無意識・・・過去の経験など蓄積された記憶から忘れられているもの
無意識は大きく2つに大別されます。

ところで潜在意識という言葉はここではでてきていません。潜在意識という言葉がいつから言われるようになったかは調べましたが具体的にはわかりませんでした。

無意識と潜在意識とは何が違うのか?

無意識と潜在意識、言葉の使い方・使う状況が違うだけで意味自体は同じと解釈しています。(ただユングのいう個人的無意識が潜在意識のイメージとして近い)

使い方・状況
無意識・・・「無意識的についついしてしまった」「無意識に叫んでいた」
潜在意識・・・「あの人には結婚願望が潜在的にありそうだ」「潜在意識に刷り込まれている」

簡単な例文ですが、無意識は実際の行動時に使い、潜在意識は情報のインプット時に使うケースが多いようです。
(普段、広く一般的に使われている潜在意識という言葉は無意識の分類は意図されていないと考えてます)

ちなみに0歳の頃の赤ちゃんが無意識的に手を使ったり歩けるようになっていく様は、集合的無意識と個人的無意識のどちらにもあてはまりそうですね。

インサイトはどこに?

潜在意識色付き

ここまで述べたように無意識には、ユングのいうように集合的無意識と個人的無意識があるとします。潜在意識はどちらかというと個人的無意識に近しい気がしますが、集合的無意識はインサイトとの関係は薄いのでしょうか?

私の考えでは、集合的無意識もインサイトにつながる要素が当然あると考えています。むしろ集合的無意識とつながっているインサイトでないと市場性はなかなか見込めないと考えています。なぜなら、だれにでも共通している無意識の部分だからです。
但し、共通しているからこそ、集合的無意識部分のみでは差別性のあるインサイト導出は難しく、個人的無意識の要素まで踏み込んで創ることが出来れば強いインサイトになりえると、と考えています。

強いインサイト

ビジネスにおけるキーインサイト

ビジネス上でインサイトを有効に扱うには、ニーズに落とし込む必要があります。インサイト自体にはニーズとはいえない潜在的な意識も該当しますが、そこから「~したい」といった生活者、ターゲットのニーズとして言語化出来ないと意味がありません。

ニーズは人の欲求に起因しているものだと考えています。それゆえ、重要なインサイトを創る上では人の欲求と向き合うことが必要になります。

その欲求といえばマズローが比較的有名ですが、他にもマレーの欲求リストは細かく分類されていますし、アルダーファは生存・関係・成長の3つに集約していたりします。(要は欲求自体は1つの定義とはなっていません)

いずれにしても、集合的無意識は人間に共通している意識であることから、生きていくための本質的な欲求との関わりが大きいと思います。危険なものを無意識で反射的に避けようとする、などは集合的無意識に該当するでしょう。その手段は経験的なものとして個人的無意識と関連があることになるのだと思います。

ですので、インサイトをワークショップなどで創り上げる際には、欲求リストを使いながら、「気づき」をどの欲求と繋がるか推論していく時間をとったりします。
但し、突き詰めすぎると、安心したい、健康でいたい、といった普遍的で誰にでもあるシンプルな表現に突き当たってしまいますので、そこに至るまでの過程でオリジナリティを効かせたインサイトを追加しながら創り上げていくことが必要となります。

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個人的無意識について

個人的無意識は過去の経験など蓄積された記憶から忘れられているものであり、何かをキッカケとして突然蘇ってきたりします。この部分は個人に依存するため、あなたと、あなたの横にいる人の意識は異なることになります。
我々のようなリサーチを起点にインサイト探索をする際は、主にこの個人的無意識の情報探索が重要となります。

訪問観察調査は個人的無意識を探る上ではもってこいの手法

インサイト探索では、調査対象者の自宅へ訪問する旅に出かけます。ちなみに調査を最も効果的に行うには対象者選定が最も肝心です。いくら熟練のモデレーター(インタビュアー)がいようが、対象者がテーマにふさわしくなければ得られるものはかなり限られます。業界内外、モデレーターを重宝しがちな傾向がありますが、ここは冷静に見直すべきポイントだと思っています。また、対象者を選ぶ方法についてはあらためて説明したいと思います。

訪問観察がなぜいいのか?

端的にいうと普段、生活している自宅環境を観察することは言葉だけではわからない情報を沢山得ることができるからになります。
意識的なことももちろんありますが、あまり意図なく置かれている家具・インテリア、生活用品と、なぜそこにあるのか?質問したいことが次々と現れます。つまり、インサイトを推論していくための情報がたくさん詰まっていることになります。

また、対象者の自宅でお話を聞くことは、普段の環境ということもあり、対象者の緊張感もあまりみられません。ということは、建前ではなく正直な反応が得やすい空間となります。

近年ではコロナにより、オンライン上でのインタビューが当たり前となり、自宅でインタビューを実施できるのはそういう意味ではメリットです。
但し、訪問することが圧倒的に違うのは、その居住空間(現場)を五感で感じることができるという点です。画面を通してみることと、実際にその場所にいることの情報量には大きく差があります。

訪問調査に同行する人数は限度があるので、オンラインでつないでオンライン上で訪問調査の状況を観察することも実施していますが、実際に現地に行くことと、オンライン上での観察の情報量の差はこの経験からみても強く実感しています。

さらに話を聞く時の質問内容や切り込み方も画面越しと現地で直接問うことの違いは明らかです。
対象者は自宅に迎え入れている意識があるため、その時点で大きな壁は取り除いてくれています。つまり、言い方はよくないですが、少々失礼な(突っ込んだ)質問をしても答えてくれる姿勢になっているのです。そのような関係性が築ければ本音も出やすく、非常に有益な調査となりえます。

現在は、定性調査の場合インタビュー調査が主流ですが、インサイトが目的ならば訪問観察が圧倒的におすすめです。そこは手間を惜しまずしっかり行うほうが結果的に大きな利益をもたらす可能性が高まるでしょう。

インサイトは無意識の探索により創っていくもので、人の過去の体験・記憶との関わりも強いだろうと説明してきました。あらためて、今度は「記憶」についても考察していきたいと思います。

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