嫉妬欲

一昨年初めてコンクールに応募した女生徒の二次創作
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   嫉妬欲

朝、細く開いたカーテンの隙間から朝日が零れている。
部屋に浮かぶその線を見て、溜息をつく。
「今日も学校に行かなくちゃ」という気持ちと一緒に、なんだか変な感情が込み上げる。
一体なんと呼ばれる感情なのか。
笑顔と泣き顔が混じったような。
昨日、夜中にあんなに降っていた大雨は止んでしまった。
朝はいつも、変な感じ。
今日もいつも通り、変な感じ。
パジャマを脱いで制服の袖に腕を通す。
昨日から衣替え。
朝は長袖でもまだ肌寒い。
コンタクトをつける。
今日はなんだか着けづらかった。
視界がはっきりする。
ああ、嫌だ。
鏡に映る目はいつも通りの死んだ目。
裸眼の時は綺麗な目らしいのに、はっきりとした視界で、自分の目を見るといつも、光の無い目。
鏡の前に長居はしたくない。
自分の顔なんて。
光の無い汚い顔なんて。
さっさと髪を束ねてキッチンへ向かう。
塩を軽く手に付けてご飯を三角に握る。
私のために夜遅くまで働いて眠ってるお母さんの分はラップかけて置いとこう。
自分の分を食べ終わって学校に行く。
靴を履いて、片手に鞄、片手に傘を持って駅まで歩く。
今日は早く出てしまったし、少し遠回りしていこう。
小さい時にはこの辺りの空き地でよく遊んだけど、最近は新しく越してきた人達の家で埋まっていた。
ぼんやり雲を見ながら歩いてたらワンって吠えられた。
首輪も無い。
犬は、なんだかいやだ。
野良犬は特に嫌。
汚らしい。
でもその汚らしさがなんだか、自分に似ているようで、ますます嫌になる。
「ちょっとあんまり近づかないでよ」
なんだか懐いてきそうで、可哀想に見えてきそうで、ますます嫌になって、私はさっさと駅の方へ走った。
いつも通り四時間の授業を受けて、お弁当を食べて、もう二時間授業を受けて、やっと、帰れる。
また電車に乗って、いつもと同じ、一つ前の駅で降りて、お友達とちょっと寄り道して駄菓子屋さんでお菓子を買って帰る。
今日は雨の予報だったのに、雨の降る感じはしない。
私のお友達はみんな大人しい、女性らしい子ばかりだけど、今隣に居る、この子だけは違う。
高校生とは思えない幼さと、高校生とは思えない神秘的な何かがある。
彼女は買ったお菓子を鞄に詰めて鼻歌交じりに隣を歩く。
昨日の大雨でできたのか、大きな水溜りがあった。
「水溜りって綺麗よね。空が映ってる」
彼女は笑顔で私に話しかける。
「そう、ね」
その無邪気さが眩しくて、私は思わず目を逸らしてしまった。
もう一度彼女の方を見ると、靴を放り投げて水溜りに足を浸していた。
そこで遊ぶ彼女はまるで水の妖精だった。
「羨ましい」
あ、まただ。
全く、私は何でこうなのかしら。
特に見た目も良くないし、才能も無い。
そのくせ嫉妬だけ人一倍。
こればっかりは、どうしようもない。
欠陥ばかりの私の、最大欠陥。
これさえ無ければ、他も多少マシだったでしょうに。
嫉妬するから強欲になっていく。
なんでも欲しがるくせにすぐ飽きるんだから、どんな立派なヒーローだって私を救うなんて無理難題ね。
あ、そうだ。
何の良いところも無い私だけど、一つだけ、ちょっと自信があるじゃない。
他人の文章なんかを読んで、持ってきて、自分の生活に置き換えて自分の意見にしちゃうこと。
何にも無い私だから、こんなことでもしないと「自分」を保ってはいられない。
誰かの意見を持ってきて自分のものにしてしまわないと、私は「私」でいられない。
空っぽな自分を満たせない。
「人間には必ず悪いところがある。完璧な人間なんていない」誰に言われたんだっけ。
それともなにかで読んだんだっけ。
けど私には欠陥以外なにもない。
これを取っちゃったらなんの取り柄も無い。
完全な欠陥品。
欠陥人ね。
私の話、突飛な話や可笑しな話をいつも真剣に聞いてくれたのはお父さんだけだった。
お父さんに一度、文章を書いてみたら、きっと面白いものが書けるから、と常々言われていたけど、私は、一度しか書いたことは無い。
授業の課題で一度だけ。
でもそれは直ぐに破って捨ててしまった。
新しい原稿用紙を用意して当たり障りないような文章を書き直して提出した。
それを見た先生は可も無く不可も無くというような顔をしていた。
二つの文章を、お父さんが読んだらなんて言ったんだろう。
どっちが好きだったんだろう。
ひょっとして、褒めてくれたかしら。
私は嘘つきな小説が好き。
だけど、嘘つきな小説家は嫌い。
我ながら矛盾のように聞こえてきてしまうけど、そう思ってしまっているから仕方ない。
お父さんも、好きだったけど嫌いだった。
お父さんの、嘘が、好きだった。
けど、嘘を吐くお父さんが嫌いだった。
何度も私に言った、たった一つの優しい嘘が嫌いだった。
私は誰になんと言われようが二度と物語は書かないと決めてる。
女が男のふりして書いたって、きっと面白くなんてないわ。

今日も嫌な一日だった。
今日は、特に。
研究授業なんて無くなっちゃえば良いのに。
昔から自分に自信が無い。
だから、人の視線が嫌い。
怖い。
写真も怖い。
私はずっと拒否してた。
拒否、したのに。
「可愛いんだから」なんて、もし本当なら私はこんなに悩んでいないのに。
行事なんかの先生の長い話の間、どうしても避けようが無い時に何枚もの写真を撮られた。その度出る苦笑いと溜息。
本当は泣き出したいほど苦しいのに。
本当は、人間なんて殺してしまいたいほど憎いのに。
でも、そんなの我儘だからって、我慢した。
死にたい、いや、もう存在ごと消えてしまいたい。

お風呂のお湯で遊びながら、また溜息をつく。
こんなことしても彼女みたいにはなれない。
「お父さん」
ボソッと呟いてみる。
返事なんてあるわけ無い。
私に兄があったら、お父さんの代わりをやって頼らせて貰えるのかしら。
私に姉があったら、悩みを聞いて、支えてくれるのかしら。
どちらにしても、兄、姉というものがあったなら、身近に年の近い頼れる存在があったなら、どんなに頼もしいことか。
無い物ねだりも嫉妬ね。
全く、醜い汚い。

お風呂を上がったら、お隣さんが作り過ぎちゃったって、煮物を持ってきてくれた。
週に何回かおかずを持ってきてくれる。
母娘二人大変でしょうって。
お節介。
けど、私はそれが嬉しかった。
お父さんが死んで長いから、経済的にも良いとは言えなかったしお母さんとは言葉を交わすことも少ない。
メールでのやり取りくらい。
必要なものは買ってくれるかお金をくれる。
家事はほとんど私がする。
私はそれを悪いことだとは思わないけど、時々こうして、他人の手料理が食べられることが、本当に嬉しかった。
こうして自分以外が作ったものを食べられるのは、本当に幸せ。

冷凍庫からご飯を出して温める。
あ、嫌なこと、思い出しちゃった。
お父さんのお葬式。
お父さんの知り合いの誰かに言われた。
「良く出来たお子さんですね」
私は耳を疑った。
ひどいショックだった。
「私」はそんな子じゃない。
私は口惜しかった。
その場で大声でほんとのことを言ってあげようかと思った。
唇を噛んで我慢した。
今度は泣き出してしまいたくなった。
ツンとする鼻を軽く押さえる。
お葬式という口実で泣いてしまうこともできたけど、それじゃあ、お父さんに申し訳ない。
良く出来た子?
嘘よ。
みんな嘘つき。
私が良い子なもんですか。
みんな天使の面を被った悪魔を見破れないのね。
こんなに分かりやすいのに。
あれ、そうなると嘘つきは私ね。
そうね、私は嘘つき。
だから私は私が大嫌い。
気づいてよって縋るのは、惨めね。
私は惨めだわ。
嘘を吐かなければ生きられないくせして、嘘を見破って欲しいだなんて願うんだから。
私はきっと世界一の幸せ者で、世界一の不幸せ者だわ。
誰にも、気づかれない、幸せ者。
誰にも、気づいて貰えない、不幸せ者。

さっき貰った煮物と、温めたご飯を食べて、布団に入った。
朝、少し腫れ気味になっていた瞼を指で軽く押さえる。
手の平も、指先も冷たい。
「手が冷たい人は心が暖かい」だなんて嘘。
私の心は冷たいのに、こんなに、冷たいのに。
ああ、そっか。
誰かの、お世辞が広まったのね。
誰かが、誰かを守る為に吐いた、優しい嘘が。
私の心はいつか暖かくなるのかしら。

一つ、深い溜息をつく。
ほんとは叫び出したかった。
いつも、そう。
もう何もしたくない。
全部、情報を遮断してしまいたい。
嫌だなぁ嫌だなぁ。
何にしても中途半端。
何にも無い。
何か一つでも誇れる特技があったなら。
ああ、嫌だ嫌だ。
もう、何も考えられなくなったらいいのに。
ああ嫌なことが次から次に浮かんでくる。
なんでみんな生きてゆけるの?
きっと私だけが違うのね。
障がいでも、病気でもないくせに生きづらいなんて我儘なのかしら。
でも、許されたいの。
この我儘を、許して欲しいの。

みんな、毒を吐くの。
人はみんな。
私だって、それは変わらない。
誰に毒を与えているか、分からない。
怖い。
誰でも、悪気無く毒を盛ってくるものだから、突っぱねることもできなければ呑み込むことも難しくて。
みんなこれに耐えてるって思っても、どうしても苦しくて。
私だけ毒の実を食べちゃったのかな。
眠くなってきちゃった。
おやすみなさい。
私に、王子さまのキスはやってこない。
みんなは私の足が炎の中からどこにも行けないほど焼け尽きることをお望みかしら。
でも、最後くらいヒロイン気取ってさようなら。
こうして世界一醜いヒロインは地獄に落ちてゆきました、とさ。
めでたしめでたし。

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