なぜイスラム教で豚肉が禁じられているのか

最近「イスラム教で豚肉が禁止されているのは食中毒防止のため」や「イスラム教は砂漠向けに作られた宗教」「コーランは砂漠を生き抜くための知恵の書」という言説をネットで多々見かける。ましてや反イスラムだと思われる人は「イスラム教の戒律は砂漠を生き抜くために設けられたのだから日本で守る必要はない」とすら言っている。
さらに前述したような政治的な意図がない者でも「友人のムスリムは『日本はアッラーが見てない』と言って酒や豚肉を飲み食いしまくってるww」などのようなエピソードを投稿し、それが拡散されているのも度々目に入る。本記事ではこれらの言説を宗教的な観点から反駁する。
※筆者はイスラム教を個人的に学習している一神教徒だが、イスラム教の専門家ではなく、飽くまで宗教や思想や歴史が好きな一個人の宗教者兼宗教オタクであるため、内容が誤っている可能性があることを留意してほしい。

「イスラム教で豚肉が禁止されているのは食中毒防止のため」

まず最初はこの言説の反駁を行う。まずイスラム教で禁じられている食物は有名なもので言ったら「豚肉」であろう。豚肉以外には「死肉」(自然死した動物の肉)「血液」「神(allah)の他に捧げられたもの」などである。これらの食すことが禁じられたものをハラーム(harām)という(よくメディア等で耳にするハラール許されたものという言葉の対義語にあたる)
ではなぜこれらの食物が禁じられているのか、理由は「神が禁じたから」である。
「いや何で神が豚肉とかを禁じたのかを知りたいんだよ!」と思った者もいるかもしれないが、イスラム教的には「神が禁じたから食べない。理由は神のみぞ知る」と考える。豚肉禁止の根拠となるコーラン2章173節には「故意に違反せず,また法を越えず必要に迫られた場合は罪にはならない」との記載があり、緊急時の食用は許されているが基本的にはどこにいっても禁止である。そのためムスリムが豚肉を食さないのは「食中毒防止」ではなく「神の定めた規定だから」であり、その規定の本当の意味を知るのは神(アッラー)だけである。もちろん神が当時の人間を気遣って食中毒防止のために豚肉を禁じた可能性もあるが、それだと鶏肉を禁じてないことと辻褄が合わない。もしかしたら宇宙規模での事情で豚肉を禁じたのかも知れないし、人間が理解できない高次元的な理由で禁じたのかもしれない。しかし本当の理由は我々人間にはわからない。わかろうとする事自体が神に対して失礼であるのだ。あらゆるものを超越した全知全能の存在が禁じたのだから従う。それがイスラム教の考え方である。

「かれこそは,この啓典をあなたに下される方で,その中の(ある)節は明解で,それらは啓典の根幹であり,他(の節)はあいまいである。そこで心の邪な者は,あいまいな部分にとらわれ,(その隠された意味の)欠陥を求めて,それに勝手な解釈を加えようとする。だがアッラーの外には,その(真の意味)を知るものはない。それで知識の基礎が堅固な者は言う。「わたしたちはこれ(クルアーン)を信じる。これは凡て主から(賜わったもの)である。」だが思慮ある者の外は,反省しない。」コーラン3章7節


「コーランは砂漠を生き抜くための知恵の書」

これに関しては「コーランを読んで」としか言いようがない。コーラン内に生活規定があるのは確かだが、ほとんどは詩集のようなものである。


「イスラム教の戒律は砂漠を生き抜くために設けられたのだから日本で守る必要はない」

これは前述した通り、神の定めた規定はどこであろうと守る義務生じるから日本であっても豚肉は食べてはいけない。それにイスラム教の戒律は砂漠を生き抜くために設けられたものというのは部外者からの解釈であって、イスラム教ではそのように考えることはない。

「友人のムスリムは『日本はアッラーが見てない』と言って酒や豚肉を飲み食いしまくってるww」

これに関しては投稿している本人には悪意はなく、イスラム教を理解しているつもりなのだろう。だがこれはイスラム教への理解にはまったくつながらないどころか、無理解へとつながる危険性がある。
まず「アッラーは日本まで見てない」というのは涜神である。なぜなら神が全知全能であることを否定しているからだ。コーランでは頻繁に神が全知であり全能であることが繰り返し記されている。よってこの「アッラーは日本まで見てない」という発言をした者がムスリム(イスラム教徒)であったとしても涜神行為には変わりなく、不真面目なムスリムであることが分かる。
「神が生活の規定を定めてそれに従う」という日本人の宗教観から圧倒的にかけ離れたイスラム教の世界観が受け入れられない人たちは理解することから逃げて不真面目なムスリムを拾い上げて、かれらの自堕落さを多くのムスリムに投影する。
このような不真面目ムスリムのエピソードを真に受けて非ムスリムが敬虔なムスリム相手に「いやアッラーは日本まで見てないですよw」と言ったらどうなってしまうか。人間関係に取り返しのつかない亀裂が入ることは予想できるだろう。これから移民がどんどん増えて結婚によって兄弟や親戚がムスリムとなることやムスリムの同級生や同僚にムスリムが居るという状況になり、ムスリムが異国人から隣人になっていくよの中で「不真面目なムスリム」を持ち上げて無知のまま理解した気になるのは大変危険なことだろう。

結論

自分がどのように理解するのかも重要であるが、相手がどのように理解しているのか。それを考えることも重要である。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?