「いっすーくるま」です。

お疲れ様です。「いっすーくるま」で御座いますが、何故?「いっすーくるま」と言うのか?説明したいと思います。それは、ジャジャーン!車椅子を反対から読んだだけでーす。キャッチフレーズは、「いっすーくるま、両足も無ければ、髪の毛も無い」であります。もし、私を見たい方は、「いっすーくるまの自虐の極み」とYouTubeで検索頂くと奇跡的に生き残った姿が映ってます。また、渋い声で喋ってます。
さて、今回、初めて自分自身の自己紹介をしながら「あいつ今何してる」のプロデューサー芦田さまへ、一方的なお願いをしている私の文章でしたが、皆様より「スキ」とか「フォロー」を頂きまして、ちょっと感動してしまいました。本当に有難う御座います。皆様の反応に、私は、大いに驚き感動して居ります。こんな私の実体験の文章を読んでくだった皆様の心が、少しでも前向きになって頂けたら、これ程の歓びはありません。生き残って本当に良かったと感謝の気持ちで一杯になります。
1959年、北海道で生まれた私には、しっかりと両足がありました。その足が無くなった今だから言えるのですが、けっこう長い足でした。走るのが速くて運動神経も抜群、小中高校と野球ばっかりやって居りました。元気の良い少年だったので、途中からグチャグチャな青春を過ごす事になります。もう落ち着いたかな思われた20才の時、目を覚ましてみると両足が無くなっていました。結果、昭和56年3月に1種1級の障碍者手帳を取得していたのです。
この時代、欧米に比べ福祉が10倍遅れていると言われた日本では、スロープ、車椅子用トイレ、点字版など無くて、障害者が生きるには大変に厳しい環境でありました。しかし、私は、両足が無かっただけなので、階段などは車椅子から降りて、両手で上り下ったりと負けずに頑張りました。沢山の苦労も在ったかも知れませんが、もっと沢山の感動も実感して参りました。
私は、どちらかと言えば、メリハリをハッキリしたがる性格です。もし、皆様に少しでも喜んで頂けるならば、今まで実感した苦労や感動を少しずつでも、お伝えして行こうかと調子に乗ってしまいましたが、如何でしょうか?
もしも「良いよ」の反応を頂けましたら、実行して参りますの宜しくお願い申し上げます。あっ!それから、もう、何年も前になりますが、様々な旅番組がある中で、今まで全く無かった旅番組を考案してみました。企画書も制作済みです。こちも、いつかお伝えさせて頂きます。
今後とも「いっすーくるま」宜しくお願い申し上げまーす。
イヤッホー❣(これは、喜びの気持ちを表したカケ声だそうです。私は、いつも嬉しくなると叫んでいます)

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