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最近感じている”日常”とは

僕は今年初めて大学一年を過ごしました。それ以前には自分の実家から離れある街で宅浪という選択をして暮らしていました。
その経験があったうえでこの一年を振り返って見ようかなと思い、書くことにしました。

一年の”余剰”の影響

前述したとおり、宅浪していたのでその一年で僕自身は自分がどんな人間か考えることができました。
昔から、人の支えを人一倍感じていたので僕自身は周りの人がいるからこそ
自分の悩みの解決や、または第二者との関係性も第三者がいることでカバーできていた。そんなことが多々あったそう感じていました。
そこの言語化ができるようになった分、僕は、身の回りの人を大事にすることを前提として動くようになっていきました。

大学に入った当初、周りの大学生の人と話した時にその点で違和感があったのです。
それはみんな何を大事にするか優先順位がついていないかた、精神的に不安定な人が多すぎるそう感じていました。
周りをみて手を上げるみたいに、第二言語、第三言語も同じにしたりする。教室にいるときもどんな時でも同じ人しか話さない。
とても違和感がありました。
仲間以外みな風景という言葉があるのがそこで一気に説得力が増したと自分自身は感じました。

大学時代のアルバイトとは?


ウェーバーが言う労働とは従業員の労働力の対価としてお金をわたすということであります。
つまりそのお金の設定も労働力の対価である分、僕自身は正社員と非正規社員の観点での時給の違いから正社員同様の労働をするべきではないんじゃないかなと感じていました。
ここを考えたうえで大学生の中でもアルバイトに熱中しすぎる人は”頑張りすぎてしまう”ことが多々あると思うのです。結果として大学の中で自分のことを考えたり、身の回りにある楽しいことに気づかなかったりと、”余暇”がなくなってしまっていると感じました。
僕はその点で息苦しさを抱えている人が多いと思っています。
たくさん労働をしてたくさんお金をもらうことも大事だけど、「あなたは何を大事にするか、何が楽しいんだ?」そんなことを大事にするほうがはるかに人生は楽しいし、息苦しさも必然となくなっていくはずです。

バイトに追われる毎日よりも、少しふぅ~と息を吐けるそんな時間を大学生たちに大切にしてほしいです。

さいごに

この二点をまとめます。
”余暇”による自分らしさ、所謂アイデンティティの創出は可能になります。
自分が何を大事にしたい、そこからは派生してどんなことが関連してくるか、将来好きな事で仕事ができるなら何が今できるかそんなことも考えれます。
余暇がないことから生まれる、不安定さ、息苦しさ。今体験してみないと後々同じことがまた起こります。
みんなにとっての不安定さ、息苦しさそれは外的要因があれど内的要因を突き詰めることによって改善することができます。

なので忙しい日常ではなく、少しでも”余暇”がある日常そんなくだらなそうに見えることを一度体験してみてください。

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