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ふわふわ #2

〜それははじめて恋を知った少女の、心の幸と不幸の癒やしと再生の物語〜


翌朝。
今日は土曜日。眸が覚めて、半分寝ているようにぽーっとしながら、パジャマ姿のまま一階に降りていき、キッチンのスツールに座った。先に起きていたママがあたしの隣のスツールに座り、新聞を読んでいた。
 眸の前のカウンターにはママ専用のマグカップが置いてあって、コーヒーの香りがした。
「おはよう、ずいぶん早く起きたわね。学校の日もそうであったら良いのに」
 ママの軽い皮肉を無視すると、
「…あらまあ、新羅谷郁人先生の連載今日で終わりなのね…結構読み応えあったのにね。美羽、アールグレイでも構わない?モーニング切らしちゃって…」
 パサッと新聞から顔を出し、ノーメイクの気色の悪い顔のママが、訊いてくる。
「うん。構わない…あ。ミルクはたっぷり入れてね」
 昨日置いてあった苺のポッキーはもう無い。残りをママ一人で食べてしまったのか、あえて追求しなかったけど。
「そうそう、パパから手紙を預かっているのよ。ええと、はい、これ」
 あたしは手に持った白い封筒をじっと見た。パパからの手紙なんて何年ぶりだろう。
ん…あれ?
「パパは?今日土曜日だよ」
 ママの隣のスツールに座り直し、相変わらず新聞を読み耽っているママに訊くと、ママは新聞をカウンターの脇に置き、
「通常ならね。臨時出勤ですって」
 ママはスツールから降りると、キッチンへ入り戸棚を開けるとアールグレイの缶を取り出し、ヤカンに水をゴボゴボ淹れ、火にかける。
「美〜羽、早く読みなさい」
 ママの後頭部に二本の影が見えたような気がした。あたしはコクコク頷き、再度パパからの手紙に目を落とす。別にパパと手紙のやり取りがあったわけではないけど、男の人が書きそうな堅いパパ独特の筆跡に微かに手が震える。
『美羽へ』
 と書かれた表面に、パパのオーデコロンの仄かな香りがした気がした。あたしはママの命令通り今読もうか、紅茶と朝食を採ってからにしようか迷った。実は、あたしはお腹が減ると気持ち悪くなる性質だからだ。それをママも知っていると思うケド…なんで焦る必要があるのだろう。そんなあたしの心理を悟ったのか、ママが額に手のひらを当て、ああ、そうだったわね…とポンポンポンと額を叩く。
「ごめんなさいね、ついね」
 ママは、気難しそうに、
「美羽はシリアルと、季節限定の果物(一つが存在感のある巨峰と、つややかでどこか儚げなマスカット)、それと紅茶はアールグレイ、で良いかしら?」
「うん!わぁ〜今年初だねブドウ食べるの!」
 あたしは、パパからの手紙があるから、各々少量を食べ終わると、手をオーガニック、石鹸で丁寧に洗いう。
 再びスツールに戻るとペーパーナイフでスーッと封を開ける。

「美羽へ」
 と、名前から始まる。
『突然ですまないが、今日午後2時に宮坂駅の東口の階段下で、赤い薔薇を1輪手にした女性が待っている。その娘さんが、美羽の数学の勉強を見てくれる女子大生だ。ママから聞いたと思うが、名前が依月凪七さんだ。わたしの部下の娘さんで、聡明で、謙虚、人に優しく、大学内でも友人が多く、後輩からも『お姉様』と慕う者も数少なくなく、その落ち着いた物腰と所作は教授からも人目置かれているらしい。わたしが部下に相談したら、快く美羽の勉強を見てくれるそうだ。上司であるパパの面子を潰さないよう、こちらも礼儀正しく、そして年上の人間を敬う気持ちを忘れてはいけないよ。では、急な話だが、今日の2時に宮坂駅東口の薔薇を持ったお嬢さんだ。とりあえず、今日は顔合わせということで、勉強は次回からで構わない。くれぐれも失礼の無いように。
パパより』
 
以上が手紙の全文だった。あたしは、なんだか放心状態で、暫くポカンと間抜けな表情をしていたらしい。ママに窘められて、我に返ったあたしは「パパ、ありがとう!」と、思わず手紙をギュッと抱きしめた。
「…ちょっと、美羽?どうしたの?」
と、呆れ顔でママが、肩をすくめる。でも、だってだって、家庭教師の話は昨日の今日だから、展開が目まぐるしくて、それと同時にすっかり舞い上がってしまった。
「ママ、ごめん!あたし、着替えてくる!」
 パパからの手紙を大切にパジャマのポッケにしまい、夢見心地なったあたしに、ママが、
「美羽…ちょっと美羽、あなた変よ。パパからの手紙にはなんて書いてあったの?」
と、訝しんでママがあたしの腕を掴む。
「お姉様とのデート、よ!」
 あたしはママの方を見向きもしないで、急いで2階の自室に駆け上がった。残されたママは、
「全く落ち着かない子ね」
と、呟き、連載最終回の、新羅木郁人の作品が載っている新聞を読みに、戻っていった。

ふわふわ#3へつづく



 

 




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