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鳥籠姫 act.3


 メルトゥイユのもとに、虫の知らせが届きました。丘の家の少年と別れてから数ヶ月経った今、少年の求める声が聞こえてきます。

愛おしい小鳥 

メルトゥイユ どうか戻ってきておくれ

 メルトゥイユは、柳の巣から飛び出しました。仲間たちが止める声にも耳を傾けず、吹雪の中を必死に羽を羽ばたかせました。
「あの人が呼んでいる。寂しくて泣いているんだわ。ああ、わたしはなんて薄情だったのかしら…。あの優しい人がわたしを籠に閉じ込めてしまうはずないのに…ずっと怖くて…会いに行けなかった」
 メルトゥイユの心は心配となにかの胸騒ぎがします。一刻も早く少年に会いたいと思いました。大きな雪がオリーブの羽を打ちつけバランスを崩しながらも、ひたすら飛び続けました。真っ白の丘を越え、ようやく一つの小さな灯が見えました。少年の家は、すっぽりと白に囲まれて灯がなければ、家と分からないくらいです。メルトゥイユは、ぐるりと庭に回りました。近づいてみると鎧戸が半開きになっていて、硝子窓に隙間があります。メルトゥイユはためらわず隙間をくぐり抜けました。
 作業部屋は天井から吊り下がった燈火で明るく少年の作業台が眸に映りました。作業台には手の掛けられていない楓の厚板と彫刻刀が並んでいます。ここに少年の姿はなく、うろうろと飛んでいると奥の方から咳が聞こえてきます。メルトゥイユは、奥の部屋に飛んでいきました。ドアをそっと抜けると、小さな暖炉の薪の爆ぜる音が聞こえました。
 少年は、苦しそうに呼吸をしてベッドに横になっていました。口元に掌を当て、咳を抑えています。メルトゥイユは少年に呼び掛けました。側に近寄っていくと、少年は微笑みながら、こう云いました。
「良かった、また来てくれて。もう…会えないかと思った」
 少年が差し出した手のひらにメルトゥイユは飛び移って叫びました。
『どうしたのですか?わたしのいない間に何があったんですか?』
 メルトゥイユの激しい鳴き声に少年は落ち着いて云いました。その顔はとても穏やかです。
「…僕は病気になってしまった。労咳…らしい」
 少年のもう片方の手のひらは赤い血で染まっています。メルトゥイユは血の気が消えていくようで、羽がよろよろとバランスを崩しそうになりましたが、力を振り起して少年の手のひらから飛び立つと、部屋を抜け家を出ました。メルトゥイユはどうにかしてお医者様を呼ばなくてはいけないと思いました。それも人間のお医者様です。しかし、自分は鳥です。どうしたら良いか困り、結果、メルトゥイユは長老様に相談することにしました。
『長老様なら、きっと良い知恵を与えて下さるわ』
 いつの間にか収まりかけていた吹雪にも気づかないほど、早く東の森の奥に飛んでいきました。森の中心部には樅の木が高々とそびえ立っています。その頂に壮年の椋鳥が留まっています。椋鳥は東の森の長老でした。
 長老椋鳥は、メルトゥイユを見るなり声をかけました。
「どうしたのかね、そんなに息を切らせて」
 おっとりとした口調ですが、鳥たちの長らしく威厳も感じる口調です。メルトゥイユは少年が病気で、人間のお医者様を呼ぶにはどうしたら良いか尋ねました。長老椋鳥は、ふむふむと頷きながら聞くと、こう云いました。
「それならば風の精霊の御力をお借りすれば良い」
「風の精霊さま…ですか?」
「そうだ。我ら鳥族を束ねられる御方だ。さあ、待っていなさい、今お呼びしよう」
 長老椋鳥は、スゥーッと息を深く吸い込むと、嘴を空高く向けて啼いてみました。その啼き声はあまりにも大きくて、周囲の樹々に留まっていた鳥たちが何事かと騒ぎ出します。それらを長老椋鳥が静まらせました。
「皆、静かに。風の精霊様の御降臨だ」
 風の精霊は姿こそ見えなかったものの、メルトゥイユは頭上にふわっとあたたかい風を感じました。
「さあ、メルトゥイユよ、
精霊様に話しかけるのだ」
 長老椋鳥に促されて、メルトゥイユは顔をあげあたたかい風に触れて話し始めました。
「風の精霊さま、どうかお聞き下さい。わたしの大切なお友達が、わたしの身勝手で軽率な行動から病に苦しんでいます。人間のお医者様を呼びたいのですが、わたしは鳥の身です。どうか御力をお貸し下さい」
 すると、ピンと張った声が響いてきます。風の精霊はメルトゥイユの頭の中に話しかけてきた。
「その人間にお前は何をして苦しめたのだ?」
 メルトゥイユは両羽を重ねてうなだれながら、告白します。
「わたしは大空を自由に舞いながら歌を唄うのが好きです。丘の上のヴァイオリン職人の少年が、たった一人の身内もなく寂しく暮らしている姿に同情しました。わたし達は会話こそ出来ませんが、とても楽しく過ごしていました。…でも…あるとき少年が、柳の枝で編んだ鳥籠にわたしを閉じ込めようとしたんです。…でもそれは…わたしの早とちりで、彼はそこまでの孤独を抱えていたんです。孤独がわたしを独占しようとした…でも愚かなわたしは、それ以来この森から出ることなく、仲間と暮らしていました。少年は、孤独と飢えから吐血し、病に臥せってしまいました。精霊さま、人間のお医者様に彼を救って頂きたいのです」
 風の精霊は厳かにかたりました。

一時だけあなたの美しい羽と交換して、人間の姿にしてあげよう
だが、一つだけ掟を守ると約束しなさい
決してその友人に人間の姿を見せてはいけない
もし掟を破ると、一生人間の姿となり
二度と大空を飛べなくなるであろう 
 
メルトゥイユが「はい」と頷くと、その瞬間フッと意識が途絶えてしまいました。

 気がついて眸を開けるとメルトゥイユは、人間の娘の姿になっていました。そして、風の精霊の計らいか、街医者の家の玄関前に立っていました。メルトゥイユは躊躇うことなく扉を叩くと、少しして人間の老婆が扉をあけ顔を出しました。
 老婆はメルトゥイユを頭の天辺から足の爪先までじっと値踏みするような意地の悪い行動に出ました。これが、あの優しく純粋な少年と同種類の生き物とは思えませんでした。老婆は顎を手のひらでこすりながら、ボソボソと云います。
「年頃は十六、七歳で身体は中背中肉。んん?おやまあ、これは随分な別嬪さんだこと。オリーブの髪色なんて街じゃ珍しいわねえ。海のような青い眸…私がもう30歳若かったら…街中の男どもが夢中になりそうな娘だこと」
 メルトゥイユは、何か云わなくてはと口を開きかけました。
「急患かい?こんな夜に召使いを寄越すなんて、とんだ金持ちさんなんだろうねぇ。うちの若先生はそりゃあ医術の腕は大先生の才能をまるごと引き継いたような名医さ。でもねえ、タダじゃあどんなに別嬪のお使いでもお断り、今日はいつにも増して忙しかったんだ。やっとお寛ぎになったっていうのに…とにかく明日一番で来な。じゃ、そういうことで…」
 内側から扉の鍵を閉められそうになり、メルトゥイユは慌てて院内に腕を差し込みます。
「んまぁ。見目とは裏腹にとんだ厄介者だ!」
 その時、院内の奥から伸びの良い若者の声がしました。若者はどうしても扉に齧りつく老婆に向かって、
「急患なんでしょう?僕は夕食を済ましているからすぐ出られる。お嬢さん、その患者のもとに案内して下さい」
 若い青年は、フロックコートを軽やかに着て手袋をはめると、
「今夜は雪道です。家は遠いのですか?」
 メルトゥイユの青ざめた表情を窺い丁寧に訊きます。
「はい。丘の上の家です」
「…丘の…上…?まさか…」
 驚く青年に、メルトゥイユは早口で言いました。
「居ます。少年が住んでいるのです。…吐血して…確か…」
「肺結核ですね。末期だと、僕も救える自信がありません。ですが、善処しましょう」
 そう云って、青年は口元を強く結びました。

act.4へ続く




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