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鳥籠姫 act.2

 
 翌日、少年は東の森に出かけていきました。お金が無かったので自分で編むことにしたのです。少年の目的が何か解らないまま、いつも通りメルトゥイユも少年のあとについていきます。東の森は柳の木が大半を占めていました。少年は枝がくねくねとゆるやかに曲がった柳の枝を選びました。鋸で枝を二、三本切り落とすと、葉を毟って《むしって》いきます。すっきりとした枝になると、今度は家から持ってきた彫刻刀の平刀を使用して、枝を細く削っていきます。削ることに関してはヴァイオリン職人の腕が働いてくれて、効率よく手先が動きます。メルトゥイユは、少年の不思議な行動をただただ呆然と見守っていました。一日がかりで何十本もの枝をキレイに削ると、あっという間に夕闇が少年の背中を包み込んでしまいました。少年は予定通りに作業が進むのに満足し、今日は家に帰ることにしました。
 夕食はスープと唐黍だけでした。麺包《パン》を買うお金がもう無かったのです。もう何ヶ月もすれば、冬がやってきます。冬を越すだけの食料を得るためにヴァイオリンを売ってお金を貯めなければいけません。しかし、今年の冬をメルトゥイユと凌ぐためにも、少年はまず鳥籠を早く編んでしまいたいと思いました。ヴァイオリン造りの道具材料を作業部屋の片隅に追いやり、籠編みに専念しました。
「あなたは…一体何を造っているの?」
 メルトゥイユはここ数日、仕事を投げ出してまで夢中に取り掛かっている作業をただ呆然と見守っていました。それでも朝になれば歌を唄って少年を喜ばせました。
 籠の形がしだいに出来上がってくると、少年は上機嫌になっていきます。
 1週間後、鳥籠が完成すると少年は窓枠の側に吊るしてみました。
 メルトゥイユは鳥籠を見て困ってしまいました。メルトゥイユは、自由に空を飛び舞っていたいのです。
「あなたは、わたしをこの狭い鳥籠に閉じ込めてしまうの?」
 メルトゥイユの悲しそうな啼き声を聞いた少年は、その不安を察したのか優しく微笑んで云いました。
「心配しないでメルトゥイユ。この籠はきみの家なんだよ。朝起きたら家から出て、僕の側で歌ったり、遊んだり、夜になったらこの籠の家に入って眠るんだよ。僕は毎日きみが森に帰ってしまうと、とても寂しくなるんだ。だからずっと側にいてもらいたくて籠の家を造ったんだ」
 (わたしもずっとここに居たいけど、でも森に戻らなかったら皆が心配してしまう。ああ、どうしょう…)
 悩んだ末、メルトゥイユは籠に入ることなく森に帰ってしまいました。少年も無理に引き止めようとはしませんでした。そんなことをしては、二度とメルトゥイユが歌ってくれなくなってしまうのでは…と危惧したからです。
 それでも、少年は心の何処かで、メルトゥイユを籠に閉じ込めて鍵をかけてしまいたいと思っていました。そうすれば、ずっと一緒に居て寂しい思いをしなくて済むのですから。
 がっくりと肩を落とした少年は、1週間分の仕事の遅れを取り戻すため、再びヴァイオリンを造り始めました。冬を越す食料を得るにはせいぜい少なくとも五つは売れなくてはいけません。少年は、殆ど作業机にかじりつく状態でした。メルトゥイユに籠を見せた翌日から、彼女は全く姿を見せなくなってしまいました。少年は籠など造らなければ良かったと、ひどく落ち込み、寂しさが一層増して、その思いをヴァイオリンを造ることにぶつけるようになりました。しかし力任せのヴァイオリンからは心のこもった美しい音色は出てきませんでした。

 やがて樹々は身にまとった葉を赤や黄に染め、風に揺れて散っていきました。1日の昼間の時間は段々と縮まり、暗い夜が広がっていきます。丘から見下ろす街では、もう冬支度を始めているようです。雪に備えて扉や鎧戸を頑丈にしています。しかし、丘の少年の家は何ひとつ手が加えられていませんでした。少年のヴァイオリンの売れいきが思うような結果を挙げていなかったのです。買い手があったのはたった二つでした。
 少年の生活は貧しくなる一方で、毎日の食事も朝夕のスープ、二食になってしまっていました。それも、肉や野菜がふんだんに加えられたものではなく、良くてコンソメスープという有り様。
 少年の家も強い風が打ちつけられて窓硝子が、ガタガタ音を立てても窓を修理するお金もなく、太い丸太で押さえるだけです。それに石造りの小さな暖炉に焚べる薪もありません。
 少年は1日の半分は森に繰り出て太い枝を鋸で切り、斧で薪用にに切断していました。家に戻ると、ふと、作業部屋の窓枠にメルトゥイユが来ていないかと、毎日気にかけていましたが、少年の想いも虚しく彼女の姿はありません。
 少年は夜、作業を終えた後メルトゥイユの歌を聴きながら造った一つのヴァイオリンを弾きました。そのヴァイオリンから出る音は、部屋に置かれたどのヴァイオリンよりも美しい音色です。少年は、このヴァイオリンの音が、どこかメルトゥイユの美しい声色に似ているような気がしました。
 どうかもう一度メルトゥイユの声を聞きたいと願いヴァイオリンを弾くのでした。

 そして季節は冬へと移り、粉雪がパラパラと降り始めます。
 少年はカラカラ鳴る咳をしています。風は弱まることはなく、うねりをあげて海から潮の香りを運んできます。咳がひどくなり、ヴァイオリンを造れなくなった少年は殆どベッドに横たわっていました。ただ、時折起きあがってヴァイオリンを弾く状態です。
 少年はひたすらメルトゥイユの姿を待ち、窓硝子は隙間を開けて窓枠にいつでもメルトゥイユが留まれるようにしておきました。ですが、その隙間から流れ込むつめたい風が、尚更少年の身体を痛めつけ、ある日、少年は激しい咳とともに赤い血の塊を吐いたのです。

act.3へ続く
 

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