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私の病気について

こんにちは。華水ちゃんです。
今回のnoteでは、主に私の体のことについて書こうと思っています。なかなかボリューミーな内容になると思うので、時間のある時に少しずつ読んでもらえたら嬉しいです。

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まず、私は生後3ヶ月の時からアトピーを患っていました。これは母からの遺伝です。さらにもろもろのアレルギーもあり、健康な人よりはちょっと大変な状態で生まれてきました。

アトピーは生まれた時から、だいたい中学生くらいまでがひどかった記憶があります。高校生になってからは自然と症状が治まっていき、ほとんど綺麗な見た目になりました。

アトピーの他に私を悩ませたのはアレルギー性鼻炎でした。これのせいで私の鼻は息が通らないのがデフォルトでした。そのために匂いは全く分からず、口呼吸しかできませんでした。よくテレビの再現VTRなどで拉致された時に口にガムテープを貼られる映像をよく見ますが、あれをやられたら私は即死だなと映像を見る度に子どもながらに怯えていました(今も怯えていますが…)。

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私はもともと喉が弱くて声をよく枯らしてしまうのですが、それがおかしいな?と思うくらい症状が酷くなったのが高校生になってからです。しょっちゅう扁桃腺が腫れて熱が出ていた時期がありました。

高校2年生の頃に、扁桃腺を取る手術をしました。この時に取った扁桃腺や血液検査の結果から、私の体は白血球の一種である好酸球というものが異常に多いことがわかり、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(EGPA)と診断されました。

それからは定期的に体調を崩し、入退院を繰り返しながらなんとか高校を卒業しました。

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大学に入学してから約1年間は、比較的症状が落ち着いていました。毎月病院に通い、ヌーカラを3本打ち、大量の薬を飲むことで症状を抑えられていました。

様子がおかしくなったのは大学2年生になったばかりの頃でした。この頃から声が枯れて出なくなり、耳は聞こえにくくなり、日常生活に支障が出るレベルになりました。人と会話をするときは筆談ボードが欠かせなくなりました。

人とまともにコミュニケーションが取れないことがとてもストレスで、この時期は大学の授業を受ける以外は家に引きこもっていました。一人でずっとゲームをしていました。(おかげでダンガンロンパとFF8を全クリできたのもいい思い出です。)

この頃は喉の腫れがひどくて、食事をまともにとることができませんでした。麺類などの柔らかいものでないと飲み込めないのです。それも時間をかけてペースト状になるまでしっかり咀嚼をして、それをさらに水で流し込みます。このような食べ方をしていたので、食事にとても時間がかかりました。もちろん匂いもわからないので、味もよくわかりません。こんな状態がずっと続いていました。

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そして大学2年生の夏休みに帰省したときに、地元の病院を受診したところ緊急入院となりました。喉の腫れによる窒息の危険性があったためです。その日のうちに気管切開の手術を行い、私は完全に声が出せなくなりました。
(⬆️この声が出せなくなったことについては、また別のnoteで詳しく書こうと思っています。)

それから8ヶ月間の入院の中で、コロコロ病名が変わっていきました。どうやら私の病気はどの病気の典型的な症状にも当てはまらないようで、先生たちも頭を悩ませながら治療を考えてくれました。

入院中にかかった病気をざっくりまとめると、

好酸球性多発血管炎性肉芽腫症
コロナ
肺炎(原因不明)
悪性リンパ腫
🆕骨髄異形成症候群

といった感じです。どの病気も絶対コレ!という訳ではなくて、検査の結果からこの病気の症状に一番近いかなぁ…と言った感じの診断のされ方をしました。たぶん他にもいろいろあります。

現在は骨髄異形成症候群という診断をされています。白血病の一歩手前の状態です。そのために、6月に骨髄移植をすることを決めました。

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ざっくりまとめるとこんな感じです。本当は入院していて大変だったこととか書きたいことはいろいろありますが、とんでもない分量になりそうなので今回は割愛します。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

それでは、また。

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