私とオウム真理教の記憶。
昨日のニュース。
東海道新幹線にて不審物が発見され、一時運休していた出来事があり結果、不審物は駅弁が入ったビニール袋って事でしたって話。
ここで、ビニール袋くらいで新幹線止めるか?と言う意見に対して「地下鉄サリン事件」の話が持ち上がってて、世代では知らないよな〜って思いながらも、年末になると思い出す私とオウム真理教のお話をひとつ。
当時、私の住む田舎では年末になると大きな籠を背負ってお菓子やおつまみなどを売りに家々を回る人達がいた。
それは時におばあちゃんだったり、お兄さんだったりした。
そんな方々の中に、その人はいた。
その女性は、多分30代くらいでロングの髪に
紫色(紫よりのピンク色だったかも)の
ツヤツヤしたワンピースっぽい服を着て、
籠いっぱいのお菓子やおつまみを持って
「ひとつ、買って頂けませんか?」と訪ねてきた。
ちなみにワンピースっぽい服の下は着込んでたのか、女性はもこもこしてたような気がしてる。
両親は基本的に、そうやって家を回ってくる行商人に対してはお断りしているタイプだったけど、年末だけは別で、お菓子やおつまみみたいな物であれば1つくらいなら買いましょうってスタンス。
年末だし、寒い中お疲れさまって労いの気持ちもあったように思う。
幼い私と兄に籠の中を見せてどれが良い?と選ばせてくれた。
その女性はお子さん可愛いですね。とか、買って頂いて助かります。みたいな話を両親と和やかにしていた。
で、お菓子を選んで(結局3つくらいは買ってた気がする)代金を払い終えたらその女性は徐に籠と共に持っていたラジカセから曲を流して
「お礼に踊りを」
といって、摩訶不思議な踊りを一曲分踊って帰っていった。
幼いながらに両親が戸惑っていたのは記憶している。
そこから、次の年末にも女性は現れた。
同一人物かどうかまではよく覚えていないが、格好は一緒だった。
その時は母だけが対応して、奥の居間で寛いでいた他の家族は突如流れた音楽にびっくりした。
曲が終わり居間に戻ってきた母に父は去年の人?と訪ねていて、母はとりあえず買った落花生の袋1つだけを手に持っていた。(多分、断り切れなかったんだと思う)
さらに翌年、またも女性は現れたが、私は父と母に「お父さんとお母さんは出かけていません」って言ってきて!!と頼まれ、その通りに玄関先で話すると
優しい笑顔で「教えてくれて、ありがとうね。」と去っていった。
その女性は次の年末からは来なくなり、ご近所さんに聞いても今年は来なかったね。くらいの話題で終わっていた。(一応、最初に来た年に変な踊りをしていく人が現れた!と話題になってたようです)
そんな女性とのやり取りもスッカリ記憶から薄れた頃に地下鉄サリン事件が起きた。
事件の概要、オウム真理教という存在の情報がテレビで放送された時に記憶が急に蘇る。
これ、小さい時に年末に来てた人と同じ服装じゃない?
さすがに曲までは記憶に無かったので、同じとは言えないが、踊りも似てる。
両親に話すると、両親も記憶が蘇ったように、ああ!年末の!お菓子の!!と驚いていた。
調べると、来ていたのは、まだオウム真理教として設立してすぐくらいの時期だったので、お菓子やおつまみで日銭を稼いでいたものと思われる。
接点なんて無かったと思っていたけど、まさか教団の末端に触れていたとは。
私が最後に対応した時の女性は本当に「普通」だったので(踊っていく以外は)あの事件が思い起こされる度に、わりと身近にいるものなんだな。と改めて思ってしまいます。
今年は新幹線のニュースがあったので、いつもより早く思い出してしまったけど、年末になると記憶の端っこから思い出してしまう出来事でした。
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