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子育て真っ只中のお母さん達にエールを。

私には大学生と社会人となった子供がいますが、私の同年代の友人たちにもまだまだ小中高学生の子供がいる子がたくさんいます。

ひと段落した私と違い、子育て真っ只中のみんなは忙しく、なかなか連絡も取れないのですが、それでも時々近況を聞かせてもらうことがあります。

子供の年齢ごとの悩みとして、学校での出来事や子供の友人関係の事、生活態度のことなど
それぞれの家族の中で悩ましい出来事にぶつかり、苦悩し、自制しながらも、戦っています。もちろん
その頃にしか味わえない幸せな話もたくさん聞けます。

先日「悲しいニュースをみた」と友人がメールをくれました。
40代の母が三男を刺し殺して自首したといいます。
痛ましいことです…胸が苦しくなります。。

友人は 家族構成や、子供の性別、人数など自分に重なるところが多くあり、また読んでいると最近子育てに疲弊気味の自分に当てはまるコメントも多く、心に刺さりまくると
書いてきます。

これは
私にもよくわかる気持ちでした。

そして、
この事件を起こした母親と紙一重だと感じた人が
案外いるのではないかなと
想像しました。

私自身、子供が赤ちゃんの頃のはなしではありますが
今思えばノイローゼ気味だったのだろうな…と振り返ります。

キッチンで鍋や、お皿をぶちまけたこともありました。。

とにかく抱っこでしか寝ない我が子を毎晩夜通し抱きつづけます。隣で寝ている旦那に代わってもらうこともできません。
補足すれば旦那は子供が好きです。事務的な報告もきちんと相談に応じてくれます。休みの日など遊んでもくれます。けれども「私も眠いから少し変わって」と言える関係性ではなかったのです。

お互い助け合ってる家庭からすれば「なぜそれくらい言えないのだろう?」と素朴に疑問に思うところでしょう。けれども私には言えなかった。仕事を持っていなかったのも理由の一つです。そして夫婦のやりとりも新婚の幸せに乗っかった、上っ面のものだったのだと思います。

子供が小学校から思春期の頃も同じく苦悩の日々でした。
ことさら長男は
神経質な私の子育てをもろにうけ
今でも申し訳なく感じます。

いわゆる反抗期の中学生時代。
息子自身も繊細で神経質なところもあり、教室の騒ぎ声などが頭に響き、常に頭痛がしはじめます。

保健室に行くと実際に微熱があり、そして学校からうちに電話がかかってくる。。
そんな日々がつづきました。

先生からの勧めで病院にもいきました。その結果
診断名は受けましたがこの年頃にでることで、大人になるにつれおさまるでしょうということでした。

なにより…
学校のスクールカウンセラーが息子の話を聞いてくださったり
中学の担任の先生、部活の先生、教頭先生、他クラスの先生方が
次第に保健室登校になった息子をみかけるたび
毎日気さくに声をかけてくださっているようでした。そのおかげで、息子は救われていたはずです。

息子の細かな心の動きを全く見ていない私。
ただただ気合論で、頑張れという私。

ある時先生に言われます。
「お母さん、息子さんは全部わかってます。お母さんが言うことも、じぶんの行動についても。
よくわかってるんです。」と。

「あ…そうか、先生は私に言っているんだな」初めて意識しました。
そう、変わらなければいけなかったのは、母親である私だったのです。
子供を思うあまり、子供を縛りすぎる私、期待しすぎる私、正論で固める私。すべては
わたしにあったのだと、はじめてきづかせてもらったのでした。

きづかせてもらって、時が過ぎてきたからこそ言えることですが…
子供のことで悩む時
自分を振り返ることこそが…
まず自分から変わってみることこそが 大切だと思います。

いろんな状況があります。でも
子供のことでストレスを抱えた時、変えるは子供ではなくまず自分。
自分の考え方を緩めてみることが
 まず必要なのではないかと。

毎日を頑張って
自分を信じて突き進むうち
何かを見失っていることも
時にあるはずです。
視界が狭まってくるのです。

子供を変えようとするのではなく
自分を変えてみようとすると
その難しさに気づきます。
だからこそ人を変えようと思っても簡単にいかないことにもきづけます。

子供は
死ななきゃいい。
力を抜きましょう。頑張るお母さん。
そして見守りましょう。
成長とは長い時間がかかるものです。
母である自分もまだまだ成長過程なのですから。全てをこなせなくて当たり前だと思うのです。

仕事をしながら1人で頑張るお母さん、
いろんなことで苦悩されているお母さん、
頼れる身内もなく、必死なお母さん、
私の妹もそうなのですが
障害あるお子さんのいるお母さん
本当に頭が下がります。

でも時には力を抜いて
もーどーでもいいやくらいの気持ちで
本当に まず自分を大切にしてあげて欲しい。

自分を守るために。
子供を守るために。

うちのことにはなりますが
私が変わってから
子供も徐々にかわっていきます。

私の緊迫感がへり
子供が息継ぎできる
時間ができたのだと思います。

子供は
それぞれの歩みで
少しずつ育っていきます。
家庭とは、親とは
あったかいご飯を食べさせ、一番の味方であり、弱音を吐ける安心な場所であればいいと、今は思っています。

子育てを頑張るお母さんは
常識や、思いやりや、大切なことをしっかり話してるはずです。
そして時間の許す限り子供に寄り添っているはずです。
その結果が子供からすぐあらわれず、逆行するような態度ばかりめについても、必ず言葉や教えは残っていくと信じて
長い目で見守ることがなにより
必要なことと思います。

母親の笑顔が
一番の子供の栄養になるような気がするのです。

たかだか2人育てただけの母親が語るには
おこがましすぎる内容ではありますが…自らの反省をこめていつも思います。

いま苦悩している友達にむけて
かける言葉と言えば
「あなたの子供なら大丈夫
それを信じて少し力を抜いて」
と言うことにつきます。

いろんな苦しみが
それぞれにあると思います。
人に聞いてもらったり
人の意見を聞いたり
自分だけと、どうか
抱え込まないで欲しいと
思っています。


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