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小説ですわよの番外編ですわよ1-3

※↑の続きです。

 ハイエースは戸渡市に隣接する柄露尾市まで来た。S県を縦断する街道・中出道から外れた市街地に、銭井の弟の仇は住んでいた。
 仇の名は車馬蔵 珍平しゃばくら ちんぺい。三下じみた名前だが、この男が率いる車馬蔵組は、関東の巨大暴力団・I会傘下きっての武闘派らしい。戦後から高度経済成長期にかけ、抗争で名をはせたという。

 そんな車馬蔵は少年時代、東京の浅草に住んでいた。銭井姉弟とは幼馴染みでよく遊んでいたそうだ。ある日も、姉弟と車馬蔵は遊んでいた。そして、車馬蔵が井戸の前でふざけて弟を押すと、弟は本当に落ちてしまった。引き上げられたとき、弟の頭部は無残に原型を失っていたという。だが車馬蔵は一貫して弟が足を滑らせたと嘘をついた。結局、その数日後に戦争が始まったこともあって警察の調べは中断され、弟は不幸な事故でこの世を去ったことにされた。
 銭井は空襲が始まる前に死の恐ろしさ、人間の残酷さ、命の儚さを知った。

 舞たちは車馬蔵の家から少し離れた公園にハイエースを停めた。万が一、監視カメラにハイエースが映ると面倒になるからだ。舞とイチコはそれぞれ、いつぞやの仕事で使ったピンクと黒の全身ラバースーツで身バレに備えた。こんなものを着るほうが目立つと舞は不安になったが、S県は変態が多いので問題ないとイチコの説得に一応納得した。
 だが銭井は、一切身元を隠そうとしない。唐草模様の風呂敷を持ってきていたが、オールドスタイルの泥棒になるためではない。風呂敷には穴川の河川敷で拾った石がたくさん包まれていた。

 舞はイヤな予感がして、銭井に声をかける。
「銭井さん、あんまり物騒なことはしないでくださいよ」
「最近の若い子は心配性ねえ。車馬蔵は隠居して組とは距離を置いてるから、警備は薄いはずよ」
「やるかす気まんまんじゃないっすか」
「まんまんなんて、若い子がはしたないっ! めっ!」
 なぜか叱られたが舞はめげずに続ける。
「真剣に言ってるんですよ。ヤクザは本当に厄介なんですから」
「家の窓を石で割ってやるだけよ」
「それがまずいんですって!」
「こう見えて、戦時中は投石で鳥を落として食べてたのよ。最初に監視カメラを投石で落とせば、見つかりゃしないわ」
「そんなことできるんですかあ?」
「ジャイアンツの桑田だってOBの特別試合で現役よりキレのあるカーブを投げてたじゃないの。身体能力は衰えても、感覚は染み付いているものよ。信じなさい」
「いや、桑田は知らないですけど……まあ信じます」
「ハハッ。おばあちゃんのピッチング楽しみだなあ!」
 もう何を言っても無駄だと諦め、舞は車馬蔵の家へ向かうことにした。

 公園から歩いて5分ほどの場所に、車馬蔵の邸宅はあった。石垣の向こうから松の木が伸びている。静かで古めかしい2階建ての家だった。
 銭井は持ってきた望遠鏡で家を舐めるように見渡し、防犯カメラの位置を確認する。そして風呂敷をアスファルトの上に広げると、石をひとつ拾い、しなやかなフォームで投げた。ガキンとイヤな高音が聞こえる。
「家の外のカメラはあとひとつ。インターホンにもカメラがついてる可能性があるから、潰しておきましょ」
 銭井は素早く淀みなく、ひょいひょいと石を拾っては投げる。インターホンと家の2階の監視カメラが火花をあげて地に落ちた。
「さあ、本番よ。おふたりも一緒にいかが?」
「ハハ……私は遠慮しとく」
「私も。ヤクザと揉めるのは、さすがに」
「あらそう。きっと楽しいのに」
 銭井は寂しそうな表情を見せたが、すぐ眉間に力を入れ、石を拾って投げる。2階のガラスが、清々しい音を立てて割れた。
「人殺し! ここに住んでる車馬蔵は、戦前に私の弟を殺しました!」
 銭井が石を拾っては投げ、拾っては投げ、窓がパリンパリンとリズミカルに割れていく。
「ここには殺人者が住んでます!」
 舞は父の件から、銭井に加勢したかった。だが固い意志で石に伸びる手を止めた。もう大切なものを奪われたくなかったからだ。
 やがて視界に入る窓という窓が、すべて割れた。
「なにをコラ、タココラァ!」
 しゃがれた声が、割れた窓を通り抜けて聞こえる。
「ようやく車馬蔵が気づいたわ。さ、逃げましょう!」
 銭井が一目散に、走り出す。

 銭井は走った。背筋をピンと伸ばし、肘は90度に曲げて振り、膝は胸元に届くくらい上げて走った。90歳過ぎとは思えないほど、若々しく、瑞々しく、力強く走った。公園に停めてあるハイエースを通り抜けて走った。
 舞とイチコが慌ててハイエースに乗りこんで追いかける。だが銭井との距離が縮むことはない。そして銭井は中出道へ出て、車の流れへ逆らうよう走る。
「待ってください、銭井さん」
 舞が助手席から顔を出して叫ぶが、銭井はただただだ走る。ひたすらに走る。
「止まれ、フォレスト・ガンプ! トム・ハンクス!!」
 だが銭井は止まらない。12月の風を切って。すれ違う通行人を縫って。先を行く通行人を追い抜いて。走る、走る、走る。
 舞は腹が立ったが、責める気にはなれなかった。その走りっぷりがあまりに堂々と、健やかで、爽やかで、楽しそうだったからだ。

 やがて銭井は穴川の河川敷に戻り、ようやく両手を膝に置いて肩を上下させて息を整える。遅れて到着したハイエースが、路肩に停車した。舞は助手席の窓を開け、文句を言う。
「銭井さん、走りすぎですよ。ていうか車より速いって、とんでもないですよ」
「ハァハァ……ごめんなさいね。でもやり残したことは、全部やれたわ」
 舞は、銭井の額に浮かぶ汗が、宝石のように輝いて見えた。それはこの世の何より美しいものだとさえ思えた。
 しかし、その輝きよりも眩しい光が銭井の全身を包む。そして光は粒子となって空へと昇り始める。
「これって……」
 返送者を轢いた時と同じ現象だった。

 銭井は動じず、さっぱりと憑き物が落ちたような笑みを浮かべる。
「帰る時が来たわね。私の改造された身体には、マルチバースを移動できる機能がついている。転移先から帰還する能力もね」
「ええっ!? それがどうして今?」
「マルチバースを移動する力の根源は意思。転移先に存在を留めるのも同じく強い意志が必要なのよ。『この世界にいなくてはならない』と。でも……」
 銭井が言いよどむ。舞には、言葉の先が理解できた。銭井はこの世界に思い残すことがなくなった。意思が薄れ、元の世界に戻るということだろう。
「その前に、もうひとつだけ聞いてくれる?」
「ま、まだあるんですか!? 強欲ババアだなあ!」
「お願いじゃなくて、警告よ。私の世界で巨大人型決戦兵器を開発していた企業は、神沼重工というの」
「神沼……!」舞の脳裏に、あのゲロクソ男が浮かぶ。
「やはり、この世界でも悪さをしているのね。神沼重工は自らの世界だけでなく、マルチバースの支配を目論んでいるの。それも全くの異世界ではなく、自分たちと可能性が極めて近い近隣の宇宙を……」
「つまり、私たちの世界も!?」
「ええ。そのために処刑という名目で私はここに送られた。スパイとなって神沼重工に情報を送る……はずだった。でも、できるわけないでしょう? 私や弟、友人が生まれ、命を奪われていった世界をさらに傷つけることなんて」
 悲しみと寂しさが入り混じり、それを懸命に飲みこむような笑顔を浮かべる銭井。
「私は元の世界に戻って、神沼を止めてみる。どこまでやれるかわからないけど、もう誰にも、何にも奪わせたくないから」
「!!」

 舞は銭井の言葉から、ある推測が生まれた。それは自惚れかもしれなかったが、恥を承知で問うてみる。
「失礼ですが、銭井さん。ご結婚は?」
 質問に対し、銭井は高齢の割にしっかり揃った歯を見せて笑う。
「ふふ、気づかれちゃったわね。愛した人の姓は銭原。旧姓は水原よ」
「マジっすか! じゃあ、あなたは……!」
 銭井の身体が半透明になる。銭井はハイエースの扉越しに、舞の頭と顎を愛おしそうに撫でた。
「結婚はできなかった。どうせ戸籍がないから、身分証を偽造するときに好きな人の姓をもらっちゃった。今風に言うと、キモいかしら?」
「キモいストーカーだけど、キモくないです!」
「正直な子。私に子供ができたら、舞って名付けたかったの。自由に、真っすぐに、世界を舞うような子供に育ちますようにって」
 舞の目と鼻から、涙と鼻水が大瀑布のように流れ出る。
「ぐすっ……うえぇ……私、舞うよう。この世界を守るよう。ゲロクソ神沼が何人マルチアヌスから攻めてきても、全員ブチ殺すよう!」
 銭井が親指で、舞の涙を拭った。
「アヌスだなんて、はしたない。めっ!」
「で、でもお、マルチバースはマルチアヌスといってぇ……神には無数のケツ穴があってぇ……そいつを爆裂させてぇ……」
「そっかそっか、よしよし」
 撫でてくれるはずの感触がなかった。銭井の身体は、ほとんど透明となっていた。だが舞はその愛情を感じることができた。
「さよならね、舞ちゃん。イチコさん、どうか私の子を守ってあげてください」
「私のほうが守られてるけどね。お達者で!」
 銭井がしわくちゃの手を振る。同時に光の粒子が一気に弾け、銭井は返送されていった。
「さようなら、トム・ハンクス・ババア」

 ハイエースがちんたま市へ走り出す。
「午前の仕事、終わっちゃったねえ」
「早めのお昼ご飯にしたいです」
「じゃあ、大摩羅の蕎麦屋にしよっか」
「今日こそは割り勘ですよ」
「いいの?」
「いいんです」
「そっか、OK。ちなみに感動を台無しにして悪いんだけどさ」
「はい?」
「銭井さんは、水原さんのご先祖様じゃないと思うよ。子供できなかったって言ってたじゃん」
「ええ、わかってます。水原は母方の姓なんですが、銭井さんみたいな人がいるなんて聞いたことありませんから。祖母は私が生まれる前に亡くなってますしね」
「じゃあさっきのやり取りは!?」
「面白い婆さんだから、適当に話を振ったら乗ってくれるかなって」
「ふたりとも無茶苦茶だなあ!」
 舞とイチコは顔を見合わせて、ケタケタ笑った。
 灰色の空の下、ハイエースが走る。雪が舞い始めていた。

 舞の祖母は泥棒で、料亭からフグの肝を盗んで食って死んだらしい。

番外編『トム・ハンクス・ババア』完。