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かかわり-トルコ・シリア地震を通して


 現在、トルコ・シリア地震の死者は2万人を超え、2011年の東日本大震災の死者数を現時点で上回るほどの大災害となっている。

災害が起こる度に議論になるのは支援についてだ。

多くの方がどうにか支援したいという思いで現地に赴いたり物資を送ったりするのだが、現地の状況は刻一刻と変わる為、人手も物資もかえって邪魔になる場合が多々ある。

私も実際に被災した経験や被災地へボランティアに行った時の事を思い返せば、そこまで大きな被害でないにしてもそのような状況が多数見られた。

そんな中で緊急の場合の支援はお金が最適であるという結論に至るし、それに異論はない。

しかし、本当にそれだけで良いのだろうか。

僕はそう思わない。

『災害ユートピア』(レベッカ・ソルニット著)では、災害時には被災者間そして被災者と救援者の間には絆が生まれ、お互いを助け合う共同体が形成されていった例をいくつもあげている。

自分さえ幸せであれば良いと利己的な生き方が賢い生き方であるように見える現代社会において利他的な生き方や絆を取り戻す事は困難である。

しかし災害などの危機的状況において、この生き方が蘇ってくる事があるのだ。

そう思えば被災地に関わる事は決して他者の為だけではなく、自らの人生においても大切な事を思い出させてくれる共同体との接点なのだ。

そう思えば支援について「お金を送ってお終い。」で良いのだろうか。

緊急の場合はもちろん金銭面での支援が最適だろうが、ある程度現地が落ち着き復興へ向かおうという場面での支援には様々な関わり方があるだろう。

そしてその時こそ共同体を、絆を、関わりを取り戻さなければならないと思うのだ。


  かかわらなければ
  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  この大らかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや さびしい思いも知らなかった
  人はかかわることからさまざまな思いを知る
  子は親とのかかわり 
  親は子とかかわることによって
  恋も友情も かかわることから始まって
  かかわったが故に起こる 幸や不幸を
  積み重ねて大きくなり くり返すことで磨かれ
  そして人は 
  人の間で思いを削り思いをふくらませ 
  生を綴る
  ああ 何億の人がいようとも
  かかわらなければ路傍の人
  私の胸の泉に 枯れ葉いちまいも
  落としてはくれない  (『胸の泉に』塔和子)

心が通うから関わるのではなく、関わるから心が通う。

災害が起こる度に多くの人を突き動かしているのは関わりを忘れた心の渇望なのかもしれません

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