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ACの足あと

「何で私を産んだの?」

高校3年生の望んでいなかった妊娠。
卒業と同時に駆け落ちした母。

産んだ答えは世間体。
それと子供を殺す勇気がなかったから。

その分私が苦しんでる。
お母さんが楽になった分のつけは
私が払ってる。

そんなこと責めてもしようのないことと
わかっていても、頭から離れない。

生まれない方がよかった。

現に
「生まれてこなければよかった」

「あんたがいなけりゃ、離婚できたのに」

「あんたが男だったら、
 男の子を欲しがっていたあの人も
 違っていたかもしれない」
そう言われ続けた。

思春期に父母はようやく離婚した。
周囲に母子家庭になったことは話した。

でも、ナーバスなことだから
誰にも理由は聞かれなかった。

母に言わせると
父の私へのレイプ未遂が決定打だったらしい

確かにそうかもしれない。

でも、私は知っている。
「女」としてのプライドが許さなかったのだ。

長く、辛く、苦しい日々はあった。
離婚に十分足りる環境だった。
にも関わらず、離婚はしなかった。

だけど、あの未遂から母は変わった。

離婚してからの母の殺し文句は
「あんたのそういうところ、あの人そっくり」

普段「あの人」がどんなに人間として
最低かとうとうと話しているのに。

突き放され、言葉を失う。
軽蔑の重みがずしりときて
身動きできない。

うちはよそとは違う

高校卒業後、働き出し
母を通してしか世間を知らなかったけど、
いろいろ見えてきた。

自分の家庭が尋常ではなかったことも。
生計維持者として、
重荷を負わされていることも。 

早く結婚したかった。
自分の居場所は家になかったから。 

一人暮らしをした。
母が仕事に行っている間に家を出た。

後になって
恨みつらみを伝えても、
「そんなこと言ってない」
「そんなことしてない」
「生活が大変だったから」
とらちがあかない。

しまいには、
「じゃあ、謝ればいいんでしょ!謝れば!
 私が悪うございました!!」
とくる。

最後の最後には、
「私がこの世から消えれば納得するの?
 じゃあ、明日の朝までに
 あんたの家の前で死んでやる!!」
と、勘違いも甚だしい。

諦めた。
縁を切った。

全然私が求めているものではないのだ。
ほしいのは謝罪だけじゃない。

むしろ、謝罪ではないかもしれない。

「辛い思いさせたんだね、
 わかってあげられなくて、
 苦労させたね」
…かな。 

絶縁と機転

3年音信不通になった。

子どもたちは会いに行っていた。
妹から様子は聞いていた。

うつで入院して、
過去を繰り返し語るうちに「過去は過去」
になった。

私も(母も)やり直すことはできないという
現実にようやく気づいた。

私は母の愚行を許した。

母は未熟だった。
自分しか見えていなかったのだ。

だから、母にとって「無意識」にいた
私の存在は、いて当然でしかなかったのだ。

でも、許さないし、忘れない。

今の関係


世の中には仲良し母娘はいるけれど
わたしにとって母は
「昔からよく知っているおばさん」にした。

付き合いが長いし、よく知ってるから
ときどき会う人。

彼女の家に行くときは、
帰る時間を決めて、それを彼女にも伝える。
長時間は耐えられない。

彼女を家には呼ばない。

うつもよくなってきて、
ようやく手に入れた私の居場所を
侵食されたくないから。

ひとりで暮らし「寂しい」と漏らす。

いや、それはあなたの人生の選択の結果。
私はそこに責任は持たない。

家族で旅行に行ったと言えば、
「今度は私も連れていってね」と。

連れて行くはずがない。
「自分で行きなよ。足が元気なうちに」
と返す。

冷たい娘だ。

でも絶縁から、私は千歩譲った。

もともとの家庭が普通じゃなかった。
「うちとよそとは違うのよ!」
そう言い聞かされてきたんだから、
今は立場が逆転し、言葉にこそしないが
「うちはよそとは違う」のだ。
よその真似っこは、しない。

これから

私と同様、母とは距離を置いている妹。

健康を害して、介護が必要になったら
その時考えようと話している。

もちろんふたりとも引き取る選択肢はない。

母がそう育てたのだ。
自業自得でしかない。

母が長く健康であることを祈るだけだ。

母のため、が本心ではない。
私の生活と精神のため。

母よ、これまでの反省があるなら
自分の健康は自分で維持してください。

    あなたに虐げられた娘より。

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