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気遣い格差

日本は「格差社会」です。

・所得格差
・教育格差
・医療格差
・情報格差
・地域格差
・人口格差
・男女格差
・世代間格差

所得格差や教育格差、医療格差はよく耳にするし、
男女格差は歴史が長く、なかなか是正されやしない。

最近、私は新しい格差に気がついた。
「気遣い格差」である。

日常生活の中で

例えば、エレベーター。
密を避けて、あえて無理に乗り込まない人がいる一方、
人を押しのけて、ぎゅうぎゅうでも乗り込んでくる人がいる。
余りにも至近距離になるので、降りたいところだが、
先に乗り込んでいると、それもできず、
超密な空間でできるだけ息をしないようにしている。

エレベーター一つでも、
こうして気を遣う人が時間をロスし、
気を遣わない人が我がもの顔で、過密を選ぶ。
一緒に乗り合わせたこちらはいい迷惑だ。

例えば、歩きスマホ。
これはみなさんも日常茶飯事であることだろう。
歩きスマホをしている人を、
すれ違う人の方が進路を変える。
よくある風景だ。
ここでも気を遣わない人が、好きなように歩き、
気を遣う人はぶつからないように配慮する。

最近は、わざとぶつかったり、口頭で注意をしている
強者もよく見かける.

そして、航空機の機内。
今、地上を飛び立って座先ベルトのサインが消えても
シートを倒す人は皆無に等しい。
以前は、どかーんと倒されてずいぶん窮屈な思いを
していたけれど、そういう場面に出会わなくなった。

ふと、周りを見渡すとシートを倒している人は
まず見かけない。
みんな、嫌な思いをした経験があるのだろうか。
眠っていてアナウンスに気がつかず、
CAさんにシートを戻すように促されている人も見かけない。

電車の中でも、街中でも、近所づきあいでも
「人に迷惑をかけないように」が合言葉として
定着しているようになってきたような気がしてならない。

コミュニケーションの歯車

機内に関わらず、
外出や人に会う機会が減り、
リモートワークやリモート授業が定着してきて、
みんな、
人と距離を置くことが日常になってきているような気がする。

そして、それが(特に新社会人・新入学生)にとって、
コミュニケーションスキルを上げるチャンスを逸していると感じる。

そんな前提でもって人が集うとどうなるか?

気遣いする人とそうでない人の二極化が生じているのだ。

そうでない人は自由気ままに発言し、行動し、
コミュニケーションに問題はないと思っている。

しかし、実は気遣いができる人によって、
マイナスの部分が補完されたり、
空気を読むことに長けている人は
それによって傷ついたりしている。

つまり、コミュニケーションの歯車が噛み合っていないのだ。

気を遣う人が損をしてないか?

気遣いができる人の傾向は2種類ある。
・自然と無意識にしている人
・頑張って気遣いしている人
である。

がんばって気遣いしている人は、
疲れたら「止める」という選択肢を選べるが、
無意識でしている人は、
自分が疲れ切ってしまっていても、
それが「自分がしている気遣いのせいだ」と
気がつくまでに時間がかかる。
あるいは、意識できたとしても止めることができない。

なぜなら、それがその人の人格のベースから起こる
「気遣い」であるかだ。

自由な人に気を遣いまくった挙句、
心身ともに疲労困憊して、
ようやく「気を遣いすぎて疲れた」自分に気付いたり、
「もう止めておこう」と頭でわかっていても
言動に結びつかなかったりと、
気遣い疲労は経年劣化のように蓄積されていく。

気遣いできすぎさんの行方

こうして、またストレス過多の人が生まれていく。

溜まった心の疲れが相当な量になっていると
心身に影響が出てくる。
「もうやめよう、もうきついよ」という脳からのサインだ。

自分の身の安全を守る本能は、
必ず働いて身体や気持ちに現れる。

ここで気付けたら、ラッキー。
言動を変えれば、安全を確保できる。

しかし、気がつかずに、
または気付いていても無視してやり過ごそうとすると
脳の細胞が疲労し、精神疾患になる。

最近、
「うつは脳疲労が原因」という指摘がされているとおりである。

気遣い格差に気がつこう

・人の感情を気にして、自分の行動を変えていないか?
・人が悪い感情を発している時、憑依されていないか?
・人の感情のはけ口になっていないか?

上記のようなチェックポイントを振り返ってみてほしい。

もし、当てはまるなら、
することは、相手と自分の間に見えない壁を作ること。
つまり、自分を守る壁である。

アドラー心理学にあるように、
「相手の感情は相手のものであって、あなたの課題ではない」
のだから、機嫌が悪い人や人の悪口ばかり言っている人と
一緒にいると嫌な気分になるけれども、
その人がそう思うだけに任せておけばいい、と私は考える。

しかしながら、
職場などではそういった人が上司や同僚だったりと
なかなか実行するのは難しいかもしれない。

でも、そんな感覚を心に留めて置いてもらえないだろうか。
相手に呑み込まれそうになったら、
全てを投げうって、あなたの心を安全地帯においてほしい。

「そんなことできないよ」と決め込む前に、
ぜひ、振り返って割り切れるところがないか
つぶさに点検してください。

「気遣いできるあなた」が心配です。
気遣い格差の渦の中に
あなたが吸い込まれてしまいませんように。
心を病んでしまいませんように。

強い強い願いをこめて、終わります。



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