見出し画像

【カサンドラ】 19.幻覚

私は人間的な部分が欠落している。

わずかに自覚する決定的な欠陥を隠すように、
私の日常は再び地下へ潜っていった。
狭い入口から楽園へと続く階段を、
ずんずんと子宮を突くような重低音に導かれ、黒い厚底ブーツを鳴らしながら降りてゆく。
和音を奏でるかのように大きくなってくるいくつかの靴音と共に、
煙草とエスケープがMIXされた独特の香りを漂わせながら上がってくる、女数人とすれ違った。
そのうちの1人がすれ違いざま私に視線を残し「あれでしょ?」と言ったのが聞こえたので
私は白いエクステを混ぜたブレイズヘアを片側の肩にまとめて振り返り、
「何?」と強い声で訊ねた。
一瞬目を合わせたその女は金髪の巻き髪を揺らして向き直り、
そのまま階段を上がり外へ出て行った。
「あれ」というのは恐らく、私が今日回しているDJの女だという話が出回っているからだろう。
所詮自分一人では何も言えない、垢抜けない女。
「ブスのくせに幸せ掴もうとすんじゃねぇよ。」と小さく吐き捨ててから、
レオパード柄のロングコートの襟を立て、赤い鉄扉を押し開けた。


-CLUB CANNNABIƧ-
片瀬江の島駅から鵠沼方面に数分、海水浴客で賑わう海岸線を右手に折れて、バリの高級リゾートを彷彿させる開放的なホテル街を抜けると、一気に静かな住宅街に入る。
人気の無い無機質な建物の地下に聳えるそのクラブは
夜になると悍ましいほどに妖艶な表情を見せた。

重い扉を開けるといきなり爆音が全身を覆う。
昨日もどこかで聴いたヒップホップをバックに
男女がアルコールを片手に向かい合って腰をすり合わせている。

私は入り口にあるロッカーを開けて中から黒いバッグを取り出すと
そのまま化粧室に直行した。

ドアを引くと、二つある個室の前の洗面台の上に、
白いファーコートにショートパンツ姿の夏美が体育座りをしていた。
奥の個室から響く喘ぎ声をBGMに、ツヤツヤと黒光りする前下がりのボブヘアをかき上げながら「早いじゃん」と笑顔を作り、
私の頭上の何かと会話を始めた。

私は先ほどの黒いバッグから、フィルム状マウスウォッシュのケースを取り出し
そこから小さなジップに入ったフィルムをスライドさせ、中身を舌に乗せた。
続けて白とグリーンの箱から細長いタバコを取り出し、火を点けてから数分
夏美と喋っているのか独り言なのかわからない言葉と黒いバッグを置いて
私はフロアに出た。

カウンターでライムをぶっ刺した瓶ビールを受け取り、壁一面に沿うように並べてある
赤い丸椅子に座る。
しばらく視界の中の男女の戯れを眺めながらタバコの煙を吐き、
左手に持っている瓶ビールを少しずつ口元に運んでいると、椅子を持って知らない男が話しかけてきた。
彼は股の間に椅子を滑らせると、私の顔から20cmほどの距離に近づき、何か質問を始めた。
適当に受け答えをしていると、刺青の入った大きな手が私の右手に絡みつき、
ほどなくしていくつもの黒い影に取り囲まれたことに気付いて、顔を上げた。
彼等はトリコロールカラ―の揃いの軍服を着ていて、ドイツの兵隊のような帽子を被っている。
ぐるりと見渡せば5〜6人のドイツ兵たちに囲まれていて、
ある瞬間体がふっと宙に浮いた。
ああ、私はどこかに連れて行かれて、輪姦されるんだ。
そう思いながら、抵抗もできずに腕をだらんと垂らしていると、
突然床に落とされた。
その衝撃で多少意識がはっきりした気がしたが、
次の瞬間ゲラゲラと笑いがこみ上げ止まらなくなった。

口だけが笑った状態で視線を動かすと、
先ほどまでカウンターの中でレコードを回していた徹が私の顔を覗き込んでいた。
目が、合っているのか合っていないのかわからないが
彼に頻りに話しかけられながら、強く手を引かれて階段を上り、
箱の外に連れ出された。


Epmd Intro Instrumental (looped) - EPMD

>>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?