自己紹介
初めまして。Moehaと申します。
バレエ座学の発信をしております。
ここに至るまでの経緯と、自己紹介をさせて頂きます。
小学校1年生の時に、ボリショイバレエ学校の日本公演を観て
「バレエは外国のものだ」と衝撃を受け
その2年後バレエを始めた時に感じたのは
「外国のものだから、外国に行かなくては」でした。
とても単純にそう思いました。
15歳の時、ご縁を得てボリショイバレエ学校へ留学。
「本当に、バレエは外国のものだった」と痛感し、さらに
自分が東洋人であるというコンプレックス(現実)に苛まれる日々。
17歳の時に怪我をして一時帰国。
両足の足首の手術をし、1ヶ月半車椅子生活を送り
留年して無事に卒業は出来たものの、
痛みと不安が常に付き纏っていました。
帰国して東京でフリーターとなって
プロになりたいけれど「どうにかして足を治したい」と
切望していた矢先、出会えた先生に救われ体を改革。
リハビリと地道なトレーニングを経て怪我を克服し
「痛みのない踊り方=正しい体の使い方」を習得
これは本当に、驚きの体験でした。
そして無事にバレエ団へ入団。
刺激的な時間を過ごしつつ、そこでもまた苦悩の日々。
ダンサーとして舞台に立つことと、新規スタートしたスクールでの
子供の教えとの間での葛藤
理想がとても高かったこと、そして若い時にありがちな
余計なプライドが自分を苦しめました。
とにかく本気でバレエと自分と向き合い続け、
結果、23歳でバレエを辞めました。
「大学!」とフラッシュバックしたイメージに突き動かされ
勢い付いて勉強を始めて大検(高等学校卒業程度認定試験)を取得し
2年後に晴れて京都で大学生活を始めることになりました。
4年間、バレエから解放されて学生を大満喫。
しかし就活を始めても何をして良いか分からず中断
「研究者という道は?」という教授の言葉を受け、大学院を探し
ロシアの芸大に行こうと決心。
お金を貯める&経済的自立、そしてロシア語が必要だと思い立ち、
モスクワに飛んで就職活動、商社に拾って頂きました。
10年ぶりに戻ったモスクワは、留学時代とは全く違う
「住みやすい国」になっていました。
仕事が少し落ち着いてきた頃、
ボリショイ劇場のバックステージツアーをやらないか?と
バレエ学校の同級生からの誘いを受け、やると決断したものの
ビザや労働許可書の関係で、会社が必要となり起業。
様々なジャンルのアルバイト+ダンサー+短い就労経験で
海外で会社を作るなんて、無謀な挑戦でした。
しかし、「知らぬが仏」
知らない方がなんでも挑戦できる。
何が怖いかが分かってしまうと、人は怖気付いて踏み出せなくなります。
始めてみて、なんてことをしてしまったのだろう…と現実に直面
契約書の読み込みや移民局とのやり取りに疲弊し
常に緊張と不安との隣り合わせの日々を送りました。
とはいえ、とにかく出来ることをひたすらコツコツ続け
色んな人に助けてもらい
劇場の方々とも地道に信頼関係を築いていき
あれこれあって結局10年間、ロシアで会社を続けてきました。
Mavitaはその会社の名前です。
感銘を受けた古いラテン語
ここからヒントを得て社名にしました。
本当にそうだと実感しています
*古代ギリシャのヒポクラテスの言葉をラテン語訳したもの
*この言葉の解釈は諸説あります
人はいなくなっても芸術はずっと残り続けています。
ゴッホやセザンヌ、ベートーヴェンにガウディ
勿論、淘汰され消えてしまったものもありますが
人が紡いだ文化は人よりずっと長生きです
だからこそ、知らないより知ってた方が自分を豊かにしてくれる
芸術はそういうものだと思っています。
日常に美は溢れていて、学びは全て自分の糧になります。
そしてバレエは踊りだけではない深さと奥行きのある総合芸術
踊る技術だけではなく、デザイン・音楽・哲学・美術
色んな方向からの豊かさが詰まっているもの
その多面的な面白さを知って
自分の踊りを上達させるヒントだったり
観る楽しみをもっと深めたり
そんなお手伝いをしております。
また劇場芸術の奥深さを知る機会作りとして
ボリショイ劇場の芸術展・展覧会の開催権利を劇場から預かり
現在、劇場代理としても動いております。
ちびっこから大人まで、バレエ学習者の方、親御さん
舞台芸術の観劇ファンの方、バレエやアートが好きな方
ユーラシア大陸に惹かれる方
バレエを通して得られたものを、色んな角度から
ここに綴っていきます。
どうぞよろしくお願いします。
*今までの活動はこちらをご参照ください*
HP:人と芸術時々猫 『Mavita』の意味
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