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Last Liveに込めた想い

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たくさん悩んでやっと出したひとつの答えなのに、「Last Live」という響きはやっぱり寂しい。

私の想いを示すのに、この言葉が最適なのかどうかは分からないけど、"私が本当に進みたい道" へ背中を押すために、きっと必要な選択だったのだと信じています。

花崎もえ Last Live「Memories」では、2014年の春に自分の歌を歌い始めてから今までを、振り返っていく内容にしました。

ここでも8年間の活動や想いをまとめた上で "これから" についてお伝えしたいと思います。

※けっこう長文なので、気になる部分だけでも読んでいただければ…!

シンガーソングライターを始めたきっかけ

「いつか自分の想いをちゃんと表現できるようになりたい」

ずっと心のどこかでそう願っていた。そうならなければ、とも思っていた。だからこそ、中学生のときに知った "シンガーソングライター" という言葉に惹かれたんだと思う。

人知れず生きる希望を失いかけていた高校生のときには、「まだ何も言えてない。歌を届けられていない」と、自分を奮い立たせた日もあって。"いつか歌えるようになりたい" という想いが、私を支えてくれていました。

そして、大学では音楽を学ぶ学科に入り、サークルでも音楽をやって、少しずつ人前で表現できるように。でも、夢見た風にはなれないまま、就職活動の時期になって。そのときやっと、このままじゃいけないと焦り始めたんです。

「まだ何も始めていないのに、諦められない」。そう思って就活をやめ、学校以外の場所でライブをしてみることに決めました。

2014年の春。
これが私の活動のスタート地点です。

とはいえ、最初は何をすればいいか分からなくて、とにかく飛び入りでライブができる場所に出向いたりして。少しずつ繋がりができてからは、ライブハウスなどのイベントにも出演するように。

今思うと何にも知らなかったな(笑)でも行く先々の景色が新鮮で、何より自分で道を切り開いていけていることが嬉しかった。

大学院に進学して2年猶予をもらったものの、音楽だけで生きていく未来は見えず。その後、社会勉強のために就職することにしました。

どうせ苦しいなら夢を追ってみたい

就職後の環境は私にはなかなか過酷で、心も身体もボロボロ…。時々ライブもしていたけど、お客さんのいない場所で歌うこともしばしば。

ライブ活動をするからには、もっと多くの人に聴いてもらいたいんじゃないの?そうなるように努力するべきでは?

でも本当は、ずっと知られることが怖かった。歌を作りたい、作るなら歌いたい、歌うなら届けたい、だけど知られたくない。私が音楽をやめても誰も困らないくらいが、ちょうどいい気もしていた。

それでも。「音楽を本気でやったらどうなるんだろう」という好奇心が、なぜか消えなくて。納得いくまでやり切らないと、音楽以外の選択肢を選べなかったんだと思います。

会社員という、世間的に見ても真っ当な選択をしたって苦しいんだから。どうせなら本当にやりたい道を進みたい。たとえそれがいばらの道だとしても。

そうしたいろんな想いやタイミングが重なり、私は会社を辞めました。

ライブ活動を真剣に頑張った日々

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2019年。初めてカメラマンの方にアー写を撮ってもらい、毎日SNSを更新するために「花うたムービー」を始めました(500日間毎日、弾き語り動画をアップ)。

11月には最大規模のワンマンライブをすることになり、今までよりずっとお客さんの多いライブハウスやお祭り、商店街、路上ライブ…。とにかく知っている限りできることはなんでもやった1年でした。

特に、小学生の頃に憧れていた花*花さんが出演するライブのオープニングアクトを務めたときは、夢見た以上の場所にいるような気も。

でも本気で頑張っているからこそ、全力を尽くしているからこそ、届かないときの苦しみは想像以上で。パフォーマンスを工夫しても、楽曲のクオリティを上げようと努力しても、振り返ってもらえない。もちろん届いた人もいてくれたけど、自分の無力さを痛感する日々でした。

ワンマンライブまでの道のりは、苦難に満ちていたけど。それでも応援してくれる人がいてくれたおかげで、60人ものお客さんに囲まれ、11月30日に無事ワンマンライブをやり遂げました。

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私が本当にやりたいことは何?

ワンマンライブという挑戦をしたことで、分かったことが大きく2つあります。

私らしいこだわりを詰め込んだイベントを、企画するのが好きだということ。そして、周りと同じような努力の仕方では、うまく進めないということ。

60人呼べたなら、次は100人、そして500人。そうやってどんどん多くの人に歌を届けている人たちが、私の周りにはたくさんいる。でもどうしても私には、その道の先で笑っている自分を想像することができなかった。

ひとまず、好きだと分かった企画ライブを始め出した2020年。突然、世界の状況が変わり、ライブができなくなりました。

そんなとき、私はたまたま対話やコーチングという、今まで知らなかった世界を知り、自分を見つめ直す時間を大事にするようになります。2021年には自分の意思でライブ活動を基本的にやめ、私が本当の本当にやりたいことを、ひたすら見つめる年にしました。

そしてやっと、ひとつの道が見えてきた気がします。

走り続けたからこそ、見えた未来

今までは必死でした。音楽をやらないと生きていけないような気がして、ただただ開けた道を懸命に走る日々。

表現する怖さや届かない悲しみで傷だらけになっても、歌を作って歌い続けた。そのおかげで私は成長できたし、救われてきたんです。

でも今は、私を支えてくれる人に恵まれています。そして数年前からライターの仕事を始めたり、ラジオのパーソナリティを経験したり。表現できる手段が増えたことで、私は音楽に囚われなくてもちゃんと生きていけるようになりました。

だからこそ、これからはもっと幸せに、"私らしく" 生きていくために音楽をしたい。そして人を幸せにできるような表現をしたい。

私の願いは、ただ純粋に「感じたことを言葉や音楽にする」こと。

そういった意味でも、私がなりたいのは有名人でも人気者でもなく、"表現者" なのだと思う。

表現する怖さも痛みも衝動にも、人一倍向き合ってきたからこそ、もしかしたら助けになれる人がいるかもしれない、と信じて。

私はこれまでのようなライブ活動をやめ、みんなが自分の想いを安心して言葉にできるような場所や時間をつくる活動を始めたいと思います。

今までは自分に合う場所や道を探し続けてきました。でもたぶん私は、人と同じ道をうまく進めないので(笑)自分で作っていくのが一番いい。その覚悟がやっとできてきたんです。

今は誰かに作ってもらわなくても、自分で歌う場所を作っていける。私が描いている道はまだ誰も通っていないから、行き先不透明だし、説明するのも難しいけど。

これからは私も含めたたくさんの人が、もっと安心して自分を表現できるような世界を作れるように、まず小さな一歩を踏み出してみようと思います。

8年間の感謝を込めて…

この8年の間には、楽しいことも嬉しいこともたくさんあった。でも下手するとそれを覆い隠してしまうくらい、痛くて辛いこともたくさんありました。

本当だったらもっと前に動けなくなっていたかもしれない。私らしく音楽を続けることを、諦めてしまっていたかもしれない。でも今、私は私らしい道を進むための、かすかな光を見つけることができました。

ここまで来れたのは、私の音楽を受け取ってくれたみなさんが、たしかにいてくれたおかげです。

私の選んだ道は、私を応援してくれていた人の期待に沿うものではないかもしれないし、「残念」と思われる方もいるかもしれません。

でもこれは、私が私の声を何度も真剣に聴き続け、私のためにそしてゆくゆくは誰かのために、考え続けた末のひとつの答えだということが、届いてくれるとうれしいです。

数年後、「あのとき言っていたのはこういうことだったのね」と答え合わせをしてもらえるように。私は、音楽を通して世界がちょっとでも柔らかく温かくなるような活動と、私自身の表現の追求を、一歩ずつ自分のペースで進めていきたいと思います。

今まで本当に、ありがとうございました!
これからは「moeca*」という名前で、私らしく表現していきます。

私の今までとこれからが、出会ってくれた人たちの幸せに、ほんのちょっとでも繋がることを、願って…。

ありがとう あなたと巡り会えたから
ありがとう ありがとう ここまで来れた
Last Liveのアンコール曲『メッセージ』より

↑Last Liveの映像です。8年間の軌跡を綴った4つの物語と14曲のオリジナル曲をお楽しみいただけます。ぜひご覧ください!

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