自分の操縦方法がわからない
なんて、心療内科に通い出した高校1年生の時から、もう9年も思い続けている。
9年。長いな。あの時、「学校なんて行かなくても、やりたいことをやろうよ。萌ちゃんは何も悪くない。」と、病院に連れて行かれなかったら、どんな人生になっていたのだろうか。
落ち込む出来事があると、すぐに自分を責めてしまう。わたしが普通じゃなくて、間違っていて、自分が病気なせいで、うまくいかないんだと。
初めて通った心療内科で、病名を診断されなかったのは、優しさなのかな。やはり、そう決めつけてしまうと、全部の原因がそこにあると思ってしまう。
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高校生の時は、カウンセリングも受けていて。
わたしが病名を気にしたり、発達障害なんじゃないかと不安がっていたら、
「病気でも病気じゃなくても、障害でも障害じゃなくても、自分のその特性と付き合って生きていかなきゃいけないことは、変わらない。もし生きづらかったり、生活しづらかったりするのなら、工夫しなきゃいけない。」
そうカウンセラーさんに言われて、今でもお守りみたいに支えてくれている。
わたしが、病気でも、病気じゃなくても、障害でも、障害じゃなくても、わたしを操縦できるのはわたしだけなんだから、操縦方法を知っている必要がある。
こんな欠陥がある人間、操縦したくない、と放り出してしまいたくなる。けど、10回に1回くらい、わたしを操縦できてよかったと、心から思う。その時のために、苦しい時間も操縦し続ける。
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寝ればどうにかなるかな、と2日間まるまる寝ていたけど、どうも良くならない。明日は気分転換にお出かけしようかな。
25歳、いまだに自分自身の操縦方法がわからず、苦しんでいる。
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