母の日
GWに帰省した時に、花を贈った。
小言を言われることを恐れずに、母の日にプレゼントを渡せるようになったのは、社会人になってからだ。
小学生の頃は、お小遣いを貯めて傘を買っても、1週間で無くされた挙句「元はお母さんのお金だ」と言われたりした。「そんなものを買うより、もっと家の手伝いをしたらどうだ」とも。
ところが、社会人になってからは、プレゼントを贈っても、ただ嬉しそうにありがとうと言われるだけで、何も小言を言われることはなくなった。
母も一人の人間だとわたしが気づいたし、それは母が人間らしさを見せてくれるようになったからだと感じる。
金銭的、精神的な自立をしたからだろうか。なぜ母はあんなにも「母親」の仮面を一生懸命かぶっていたのだろうか。
わたしも「母親」になれば分かるのだろうか。
そんなひねくれたことを考えつつ、1番は「いつもありがとう」の気持ちで、プレゼントを贈るのでした。
感謝してもしきれない。生まれてきたことを何度も何度も後悔したのに、たくさん傷つけてきたのに、今は産み落としてくれてありがとうと、心から思う。あのとき、死のうとしているわたしを、必死に助けてくれようとしてくれてありがとうと。恨んで恨んで仕方なかったのに、現金な人間だ。
わたしは母のようになれない。母親になれば見える景色があるのだろうけど、わたしみたいな奴が生まれてきたら、到底手に負えない。
全国の「お母さん」たち、大尊敬!幸あれ!
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