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ハイパーインフレーション 感想メモ

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最終話はまだ更新されていない時期の記事です
もう少しで最終話のようです

普段スプレッドシートに書いているため、あまり整っていません
自分の創作に役立てるために書きためているやつです
本来、人に見せるための文ではありません……

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・うーん、むちゃ面白い。グレシャムがあまりにもよすぎる。こいつ主人公のスピンオフもほしい。
 他にもキャラクターの強烈さはしっかりしてるし個性もあるのだが、
 こいつの場合、作品世界の価値基準「金を稼ぐこと」みたいなのを太くすることに貢献し、しかもトリックスターとしての機能に優れるのが傑出している。

・ゴールデンカムイ的に、変態さをスパイスとして加えることによって口コミ力のほか、なにか(言語化できない)ユニークさを獲得している……のだが、 あれと比較すると、あっちが成人男性のゲイ的性癖、こっちがショタコン的だった。 微妙な違いっぽく見えるが、あっちがガチバトルのアクション漫画であり、軍隊とかマタギとかの男性ホモソーシャル的な出自のキャラクターたちに厚みを与える事は言及せねばならない。 アクションなので肉体の完成度に対する羨望という意味では読者も感じるところがあるだろうし、出自からいってそうした性癖が生まれることは確かなリアルがあるので、実は相性がよかった。 だがこっち、ハイパーインフレーションのほうのショタコン要素は、あれと比べると、単純にスパイス要素としての性質も強いかなーとも。

・「奴隷が孤独な戦いを国家に対してしかける」というところは話の中核としてブレてるところがある。あくまで経済の方が主軸である。 この微妙なずれ。 グレシャム・レジャットという強烈すぎるキャラクターがルークを認めた時点で「孤独な戦い」は終わりになり、奴隷労働のリアリティは奴隷船のうんちくを最後にしばらく薄れていき、ルークの設定上の「奴隷解放のため」の一貫性「だけ」は保つが、「奴隷」のリアリティがどんどんフェードアウトしていった。 これによりどうもルークの存在感が知略とお金出し能力だけに依存していき、意思の要素は少しずつ薄れていったというのを感じるんだよな……。厚みがなくなっていき背後からの支えがなくなっていった感じがあった。 難しいよね。わかる 城での戦いはなぜか微妙な薄っぺらさを終始感じていたのだが、この正体はなんだろうね、奴隷の描写がしばらく続かなかった=ルークの目的意識のバックボーンがフェードアウトしてたことにもよるんじゃないかなあ。 そういう意味では真・ハイパーノート編になってからちゃんと奴隷たちを出していじわる奴隷主を出したのはちょっと遅かった気がする。
 さらには、これが難しい事なのだが、それも、「奴隷解放という話の上での必然性」であって、「このちゃちい悪と対立して話は面白くなるか?」というとNOの悪役が、あのいじわる奴隷主ではあったと思う。 つまり、レジャットの格の高さや存在感と、あの奴隷主の必然性、このいいとこ取りをした悪役が、もっと早くから必要だったのではないかという気がする。

・さらにゴールデンカムイには鶴見中尉という存在が「殺人をすぐ行う」という要素があったので、その存在にクローズアップすることで緊張のスイッチを切り替えられる機能を持っていたわね
 こっちではレジャットにそうした残酷さはあまりなかったし、切り替える役にはなっていなかった違いがある。 戦いの場面であっても、愉快で楽しく濃いキャラクターたちがわいわいやる楽しさは出たものの、 「物理的なガチバトル」をやる段になると、戦いの切迫感は某キャラが死ぬまであまり出なかったか?  
 ビオラさんがよくなかったのかも。「あ、死なない戦いだ!」という気がしてしまったのだな。安心はしたが以降の対立は切迫さを欠いた。
 この作者さん「命を賭けた物理的な戦い」を書く事は避けていいんじゃないかという気もする。 (でも緊張感を出しやすいとかアクション要素入れやすいから都合があるのも想像できる、が、この漫画においては、アクションに強みがあるようには見えなかった……) とにかく、話の都合で、キャラを殺したくなかったという迷いがあって、ああ曲げたようにも見えた。それがその根拠。自分の主観が入ってるけども。
 心理戦・知的戦に主軸を置いてる場面のほうがイキイキしてるのは間違いない。 あのイキイキしたワチャワチャのかわいらしさ、愛おしさ。やっぱりなんか優しい作品・作者であるという事なのだろうなあ。 普通に長所なので「キャラを愛せる」は伸ばしてくれると俺がうれしい作品がまた読めるかもしれない……と思っているところあり。

キャラクターが命を賭けた戦いをする、という時に出てくるあの切迫感の差ってなんだろうね ここに書いたものだけが原因ではない気がする。まだある気がする


・なろう系の真髄は世界へのインタラクションにある。 主人公が「最強」であるというのはテンプレートと化しているのだが、最強であること自体にそのアイデンティティにあるわけでなく、その本来の面白さは「最強だから、世界にとって・他人にとって、無視できない存在となる」ことである。 だから、世界がクソor主人公を評価する他キャラがクソななろうは、クソになる……と思う。
 この作品はちゃんとキャラを描くことの強みがあり、経済はどのように社会に影響を広げていくかへの掘り下げがあって、その上で主人公のインタラクションとその影響を書いていた。
 その意味では「俺だけレベルアップな件」とか「陰の実力者になりたくて!」とか「異世界でチート能力を身につけた俺は、現実世界をも無双する」とかの枠には入るかもしれない。世界との相互反響を書くのはリアリティを強めていく描写の範疇なのだが……雑すぎる分け方である

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