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助けてもらい方がわからない

<<震災の話が含まれます。苦手な方はご注意ください。>>

旅の恥はかき捨て。匿名にあやかって殴り書きします。助けてほしい。

津波や家屋の倒壊に巻き込まれたわけではなくとも、なんらかのダメージを被った人間のことを指す「中間被災者」という呼び方がある、らしく。

このことを知ってもなお、私がどこなのか考えあぐねています。

誰もジャッジしてくれないのは当然なのです。あまり話してこなかったから。転校先の人の多くは派手な被災話ばかり求めてきて、そこまでではないと知ると「なーんだよかったじゃん」と離れていって。そのうち、自分の体験は大したことないんだろうな、と思わざるをえなくなって、

そして、情報を見聞きすることが無理になりました。


震災当時、自宅のテレビでなんとか繋いだ外の世界が焼き付いて離れません。人が死ぬところなんて普段絶対映さないテレビが、走行中の車が波に呑まれるところをLIVEで映していて。怖いとか泣きたいではなく、ただ硬直してしまいました。

それからも現状を知ろうと、何があったのか知ろうと、2、3年の間ずっと情報収集していたのが、仇になったのか。凄惨な写真、生々しい傷跡、葬儀屋さんがモデルの映画。ありとあらゆるものを見聞きしては「自分は不幸と思ってはいけない」と言い聞かせ、言い聞かせて、自分の辛さの正体がわからなくなってしまいました。

原発から離れた安全な場所を一生懸命探してくれた母。母は今でも震災の特集が組まれると絶対に見ます。その間私は隣の部屋に逃げて爆音で音楽を聴きます。それでも「今隣の部屋のテレビでは家が崩れて人が流されるんだ」と思うと何も手につきません。今では離脱するよう言ってくれますが、かつては「自分の住んでたとこ見たくないの?」と言われていました。

見たいです。帰りたいです。でも思い出すほどどうしようもない今を突きつけられてむなしくなるんです。だから元いた場所の元気な様子も当時の様子も何も見れないのです。毎日見る夢だけで十分です。


少し都会のほうに越してきたので、学校の選択肢も広がったし、新しい趣味もできたし、大きいお店もあるし、いいことはたくさんありました。

それでも毎日のように泣きたくなります。もうすぐ10年経つのに。これを書いてる途中で何度も手が震えています。でも一人がつらいので書きます。

でも誰に何を話せばいいのかわからない。具体的な話は誰かの話でも恐怖対象になってしまっているので、「類似の環境の人と話す会」には参加できません。なんらかの病院に行ったとしても喋れるか不安だし、喋ったところで「その経験では被災者じゃないでしょう」と言われそうで怖いです。それ以前に診断がつかないかもしれないのに家に経済的負担をかけるのは申し訳ないと思ってしまいます。
母とは何度か振り返りましたが、今の幸せをかみしめるよう言われます。それは私も心からそう思っているし、実行してきたつもりですが、上塗りしてもなお酷い夢ばかり見るので眠れません。

大きな音や大声が怖くなりました。体育館や水道管のドドドドという音に感情が引っ張られます。震度1、2程度の揺れも正直きついです。


テレビの「これから津波の映像が流れます。」のようなテロップが出なくなってきたことにも参っています。
流すなとは言わないから、不意打ちはやめてほしい。特集のCMであったり、突然流れてくると固まってしまいます。
泣いたら家族が困る、とブレーキがどこかでかかっているのか、ただ無表情を意識してやり過ごしています。


冷静を取り繕えるならまだ大丈夫? 趣味をして笑えるなら大丈夫? 外に出れるなら大丈夫? ご飯がおいしいと思えるなら大丈夫?
死にたいと思わないのなら大丈夫?

大丈夫の定義ってなんでしょうね。本人が大丈夫じゃなくても、誰かが認めてくれなければ、自分で助けるほかないのです。冒頭で助けてほしいなんて書いたけれど、何を求めたらいいかもわからないので、五里霧中です。

なんの実りもなさそうなnoteになってしまいました。ごめんなさい。

いただいたサポートは母との思い出作りに使わせていただきたいです。よろしくお願い致します。