「BANANA FISH」感想〜人生を賭けた抵抗と愛の物語〜

注意:ネタバレしてます!!! アニメ・漫画を未読の方は注意してください!!!



往年の名作、「BANANA FISH」のアニメはやはり名作でした。
往年のファンが多いマスターピースなので、アニメ製作側も重圧あったかと思いますが、きちんとアニメも名作に仕上げてくれました。
大感謝祭!!!


およそ20年以上前、夢中になってBOOK OFFで漫画を買い続けた記憶を追体験しながらアニメを観て、また夢中になる、最高の時間を過ごすことができました。

この名作、人によって解釈は様々にあるのかと思いますが、自分は、BANANA FISHとは「抵抗と愛の物語」だと考えています。

そしてこれは「アンチヒーロー物語」なのだと。


主人公のアッシュ・リンクスは金髪碧眼の美少年で頭脳明晰、運動神経も常人離れしている、一見すると正に「漫画の主人公!!!」なスーパーヒーローです。ちょい美少年すぎますが、ジャンプ漫画の主人公で何の違和感もない。そして実際に作中では孤軍奮闘とも言えるような大活躍ぶり。

しかし、彼の戦いは、正義のために悪をやっつけるような物語でもなく、あるいは復讐の物語でもない。
世の中にある「主人公が何かと戦う」物語は、大抵はこの2つと相場が決まってます。あるいはオラワクワクしてきたぞ的な「強さを求める」みたいなパターンもありますね。

アッシュの戦いは、それらと違っていて、彼を利用して、意に反して思い通りにしようとする権力者達への「抵抗の戦い」なのです。

彼自身、「自分は人を殺したくないのに、相手からこちらにやってくる」というような発言をしています。

そもそも、彼の戦闘能力は、アッシュの天性の才能を見込んだマフィアのボス、ゴルツィネに教育されたものであって、自分が望んで手に入れたものではない。

そして、その戦闘能力は他人を傷つける能力です。自分の身を助けることも多いけれど、その能力故に他人を傷付けたことで彼自身も傷付いていきます。



世の中に溢れるヒーロー物語では、絶対悪のような敵を倒してヒーローは達成感と賞賛を手に入れます。ヒーローたちの多くは戦いが好きですし、強くなることが好きです。

しかし、実際には他人を傷付けることはヒーローにとっては負担なのです。そして、傷付けた相手、相手の家族や近しい人々からの憎悪を得ることになります。

戦いというのは勝者にしろ敗者にしろ傷付くものなのだということは意外と共通認識となっていないように感じます。

アッシュの持つ力は、もちろんアッシュを利するのですが、同時に他人を殺傷し、傷付けて、それ故にアッシュ自身の精神も傷付けます。

戦いの中で、他人を傷つけたことによって自分自身が負う(心の)傷は、多くの少年漫画では描かれないところですが、BANANA FISHでは明確に描かれています。

まあこれは単に戦いをエンタメとして描くかリアリティをもって描くかというスタンスの違いではあるでしょうが。
BANANA FISHは、アッシュという人物はスーパー人間すぎてリアリティがないものの、彼の心情の動きは非常にリアルです。



そして、アッシュの持つ美貌も、彼にとっては呪うべきものでした。まだ小学生くらいの頃から大人の男性による性的虐待を受けてきたのです。

リトルリーグの監督から性的虐待を受け、その後ストリートキッズとなってからは、ゴルツィネらの権力者達に性的虐待を受け、囲われて男娼として働かされます。

彼の境遇は今も世界の多くの子供、特に少女が置かれている境遇です。彼女らは薬漬けにされ、殴る蹴るあるいは感電などの暴力を受けて支配下に置かれた状態で売春を強制されます。
そして、もちろん売春の利益はほとんど彼女らには残らず、彼女らは病気に罹ったり妊娠して、ほとんどは若くして悲惨な境遇から抜け出すことのないまま亡くなります。

「風と木の詩」のジルベールもアッシュと同じく美貌故に苦難の多い人生でしたが、彼はある意味「普通の」子どもなので戦闘力はなく大人に抵抗することはできず、その最期を想うと胸が苦しくなります。

また、世界に目を向けずとも、実親や養親や親族、そして知り合い、または見ず知らずの人から性的虐待を受けている子供は日本にだって少なからずいます。

アッシュと違うのは、現実の少女たちはその境遇から這い上がれる特別な能力、腕力も運動神経も知力も持っていないということです。

それは当たり前ではあって、相手は主に大人の男で、場合によっては構成された組織で、腕力も知識もずる賢さも冷酷さも何もかも到底敵わず、反抗することはほぼ不可能です。
彼女たちがアッシュの様に権力者に抵抗することは現実的には非常に難しいのです。

少しでも性暴力を、性的虐待を受けた経験のある人(主に女性)にとって、アッシュの活躍は胸がすく様な思いがするものです。
現実には起こりえないことだからこそ、カタルシスを感じます。

アッシュが作中でアッシュを屈服させようとするフォックス大佐に対して激しく抵抗するシーンがありました(ゴルツィネはガチの美少年好きですが、フォックス大佐は軍人らしく、相手を屈服させる手段の1つとして相手を犯す人物です)。その時のアッシュの台詞が強く心に残っています。

 「お前たちはいつもそうだ。力で人を踏みにじり支配しようとする。好きにすればいい。俺は誰にも支配されない。お前たちに負けない。俺の魂をかけて逆らってやる!」


現実でも多くの人間が、多くの強者と呼ばれる人が、それは主に男性であったり大人であったり権力者であったりしますが、力で人を踏みにじって支配しています。けれど、本当に魂まで支配することはできない、抵抗し続けると言う叫び、アッシュと同じ抵抗を続けている人たちが大勢います。

このBANANAFISHはアッシュという人物を通してそんな人たちの、魂の抵抗の物語を描いている様に見えます。

 

そして、これまで自分を利用したり性的に搾取したりしようとする大人に囲まれてきたアッシュが、何も求めずただありのままの自分を認めて1人の人間として対等に接してくれる英二との出会いによって、愛を手に入れる物語でもあります(この場合の愛とは必ずしも性的な関係は必要ありません)。

「普通の」日本人である英二が足を引っ張っている、役立たずであるみたいなことを言う人がいますが、「いやいやいや、BANANA FISHちゃんと読んでる???」と言いたくなってしまう。
人の価値は戦闘力の有無で決まるものではなくて、どれだけ他人に力を、愛情を与えられるか、こっちなわけです。

戦闘力があることは人や自分を守れることかもしれませんが、他人を傷付ける能力であり、そもそも戦う必要などないのが一番いいわけです。

そして大抵の場合戦闘は戦闘を生んで、憎しみは連鎖して、それはアッシュの最期からも示されています。


 
アッシュは様々な素質に恵まれながらも、その人生は抵抗の連続、戦いの連続という非常にハードな人生だったわけですが、最後まで抵抗を続けたこと、そしてそんな彼の気高さゆえに英二を始めとして周りの人からの愛情を手に入れたという点で、短いながらも彼は少なくとも(他人のひいたレールではなく)自分の人生を生きたし、真の愛情を得て幸せだったのでしょう。

彼が穏やかな笑顔でその最期を迎えたことがそれを証明している気がしてやみません。

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