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もう人形は踊らない 2

 団長が彼女のことをどこで知ったのかはわからない。

 私は拾われ子で、気づいた時にはこの劇団で働いていた。団長の言うことは絶対で、ほかの団員達は最年少の私を可愛がってくれていた。でも私には演者としての才がなかった。多少の芸はこなせるものの、人を引き付けるようなものがどうしてか足りないのだ。そうそうに見切りをつけられた。裏方に回るように言われ、それに徹した。

 ここでは、いらない人間は簡単に切り捨てられてしまう。

 私には居場所がここにしかないから、必死だった。

 演者よりも、裏方の仕事の方が向いているのは誰から見ても明らかだった。少しずつ皆からも認められ、信頼されてきた折、団長からある仕事を任された。

 「下見を頼みたい」

 そう言われたとき私は思わず「次に移動する土地のですか?」と聞いていた。この劇団は各地を渡り歩いている。テントを張り、劇場を組み立て、道具を置き、露店を開のにはどうしても広い場所がいる。開けた土地があり、人が集まる場所でしかこの商売は出来ないのだ。

 けれど団長は首を振り、一度唇を湿らせてから言った。

 「新しくメンバーに加えたいやつがいる。そしてそいつの世話をお前に頼みたい」

 「動物ですか?」

 この質問にも団長は首を振った。

 「いいや、人間だ」

 なるほど、と思った。きっとどこかが不自由であったり、何かが足りないのかもしれない。団員の中にも一人いた。彼女はブランコ乗りだった。空中から落下し両足が動かなくなった。事故だったが、団長は次の土地に移動するとともにその地に彼女を置いて行った。その後ブランコ乗りがどうなったかは分からないけれど、動かなくなった彼女の両足の代わりをしばらくしていたことがある。

 それは分かったのだけれど、まだ疑問が残っていた。

 「では下見とは?」

 質問ばかりをする私を鬱陶しいと感じたのか、団長は眉をひそめた。

 この人のもったいぶったような、遠回しに切り込んでくるような話し方が私は昔から苦手だった。そして答えを急かされることを好まない。常に自分のペースでありたいのだ。プライドが高い男なのだと気づいたのはここ最近のことだ。それまでは幼すぎて、そんな考え至らなかった。恐怖でしかない、恐ろしい人。それだけだった。

 団長は舌打ちのあと、長いため息をついて、ようやく口を開いた。

 話し出したのは、収容所に居る美しい女のことだった。

 たくさんの血縁者を惨殺し、死者を綺麗に整え、それらをイスに座らせたり、ベッドに寝かしつけたり、庭のブランコで揺らしたりと、その光景はまるで人形遊びをしている子供のようだったらしい。

 「みんなをお人形にしたら、私もなれるとおもったの」

 当時幼かった女はたどたどしい口調でそう語ったという。

 その狂気的な行動から、女はドールと呼ばれているようだった。

 劇団の一番の花であったブランコ乗りが居なくなり、ここ最近の劇団の収入は落ち込んでいた。団長はそれに代わる何かを探していたのだろう。だがなにも犯罪者でなくてもいいのではないかと私は思った。顔の良い少女ならば街を探していれば嫌でも見つかるだろう。

 下見というのは、世話係を任せる私に彼女の精神的様子を見てきてほしいということだったようだ。私が見てあまりにも手の施しようがないと感じた場合は、入団をさせないことにすると団長は付け足した。それを聞いて、真っ先に断ろうと思った。いくら美しい人であれ罪を犯した人間を、私の家に入れたくはなかった。はぐれ者や、過去に盗みを働いた人間がここには数人居るけれど、みんな訳があったのだ。尊い命を奪ったものは誰も居ない。みんな芯の部分はまっすぐで、純粋なのだと思う。

 けれど、収容所に行き、私は団長の考えが少しわかった気がした。

 彼女は美しさの中に、静かに燃える狂気を持っている。

 そして彼女はそれ以外何も持っていない。

 からっぽなのだ。

 収容所で彼女に初めて会った日、団長に電話をかけた後、私は係員にお願いをしてもう一度彼女と面会した。

 「ねぇ、ドール。私のところへおいでよ。お人形ごっこができるよ」

 話しかけてもほとんど反応のなかった彼女が顔をあげた。

 目はこちらを向ているのに、まったくかみ合っている感覚がなかった。既視感を感じ、すぐに気が付いた。人形の目だ。感情も何もない。絶望も歓喜も感じられない。生も死も、何もなかった。あるのは美しい肉体と、背筋も凍る恐ろしさだけだった。

 彼女がやってきてから、劇団はしばらく不穏な空気が漂っていた。

 世話係の私にもその影響はあったものの、直接的なものは何もなく。その反動が倍となり全て彼女へと注がれた。彼女は見えないところに痣を数個隠し持つ状態が常に続いていた。でも何も喋らず、耐えている様子も見せず、ずっと彼女は彼女を突き通していた。

 数週間もしないうちに彼女は別室にされ、しまいには危険だという理由で鎖につながれるようになった。決して抵抗しないその態度がさらに不気味だったのか、その数日後檻にまで入れられてしまった。

 けれど彼女は何も言わない。「細い鎖を手に」ただこちらに顔を傾けているだけだった。沈黙が全員の心をざわめかせた。

 そのうち稽古をつけるようになった。

 初めて見た時から、彼女にはパントマイムをさせようと決めていた。

 それも操り人形がいい。美しい人間が糸でつるされ踊っている。自分の意志を持たず、見えない糸に操られる彼女はきっと見るものを引き付けると思った。

 私は技術を持っていないけれど、教えるほどの知識は持ち合わせていた。それを彼女に全て教え込んだ。そのかいあってか、彼女はすぐに才能を発揮した。私の読みは当たっていたのだ。

 半年もせずに彼女のパントマイムは団長をうならせるほどに上達していた。

 呑み込みが早く、日を追うごとにどんどん人形に近づいて行った。次第に操られていないと動けないようになり、私は彼女につきっきりになることが多くなった。まるで本当の人形だった。

 恐ろしいという感覚を打ち砕くかのように、彼女の評判は上々だった。

 客足も増え、団長も上機嫌だった。

 彼女はドールという愛称で呼ばれ、いやま劇団一の花となっていた。

 「ドール。起きて」

 彼女の朝はほかの演者に比べてだいぶ遅い。団体行動が主軸のこの場所でそれが許されているのは、団長と彼女だけだった。

 冷たい猛獣用の檻の中、彼女は壁にもたれかかっていた。

 鍵を開け、檻の中に入る。

 「ドール。ごはんの時間よ」

 温かいスープと小さなパンのかけら。それと十二粒の錠剤を乗せたお盆を彼女の前へと置いた。彼女はもうすでに自分の意志で食べ物を摂取しなくなっていた。舞台の上でははっきりとした足取りで、主のない糸に操られているというのに、舞台を降りると糸が切れるのだろう。歩くのもやっとだった。彼女の食べる量が減るたびに、薬ばかりが増えてゆく。

 瞼は開かれていたが、反応はなかった。

 「ドール?」

 彼女はゴシック調のワインレッドのワンピースを着ている。昨日私が着せてあげたものだった。彼女のお気に入りで、夜はこれを着ないと眠れないらしい。むき出しの肩は大理石のように、ほのかに発光しているように見えた。柔らかそうな唇はほほ笑みをたたえながらも、固く閉ざされている。瞳は開かれていたが、瞬きの一つもしない。全てが静止している。まつ毛ですら微動打にしない。

 手を伸ばし、肩に触れ、息をのんだ。

 底知れない冷たさがそこにはあった。

 触れている私の体温でさえ奪いそうなほどだった。

 私は逃げるように折から飛び出し、錯乱する精神の中で自分を責め続けた。歯止めがきかなくなっていたのだ。

 彼女が狂っていたのは初めからだった。でも、それが物凄い勢いで悪化していることに私は目をそらしていた。全てがうまくいっていると錯覚していた。劇団の売り上げは伸び、団長は上機嫌で私に対する態度も穏やかになっていた。ほんの少しずつではあったけれど団員達も彼女の功績を認めつつあった。なにもかもこのままうまくいくのかと思っていた。そんなはずないのに。何も訴えない、しゃべらない彼女に私は踊らされていたのだ。

 まるで、操り人形のように?

 そう思うと背筋が凍った。

 呼吸がうまくできない。

 ただ意識が遠のいてゆくのを感じた。

 いつか彼女は言っていた。

 「ここは海の底みたい」

 今なら分かる気がした。

 拍手が泡のように弾け。

 テントの上には円形の狭い星空だけがある。

 スポットライトが彼女を照らす。

 光と闇の交錯。

 音で溢れたこの世界が、彼女の耳を優しくふさぐ。

 沈殿した静寂の中で、重力に逆らい、泳ぐように踊る彼女。

 誰もが息をのみ、心を奪われただろう。

 あぁどうか「その声を聞かせて」、何度そう思ったことだろう。

 願っても、もうそれは届かない。

 本物になったのだ。

 彼女は本物に。

 本物の人形に。

 私はその手伝いを、知らぬうちにさせられていた。

 操られていたのは私の方だった。

 微笑んでいるけれど、もう人形は踊らない。

 

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