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アントニオ猪木さん死去

◉昭和最後のカリスマが、ついに……。近年は、心臓の難病を抱えて、すっかり痩せてしまった姿を拝見して、いちファンとしては、辛かったのですが。ご本人はそれでも前向きに闘病されており、やはりその姿に猪木さんはすごいな、と。永遠のライバルであったジャイアント馬場さんは亡くなったのが1999年。力道山の直弟子ももう、片手の数ぐらいしか残っていませんね。

【アントニオ猪木さん死去 プロレス界の巨星堕つ】東京スポーツ

 プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(本名猪木寛至)が1日朝、都内で死去したことがわかった。79歳だった。

 心臓の難病を患っていた猪木さんは昨年1月から体調を崩し、入退院を繰り返してきた。昨年3月には「猪木さんが亡くなった」との情報が流れ、打ち消すようにツイッターに「今日も一日リハビリを頑張りました。アントニオ猪木最強の敵と闘っています」と投稿。その後はSNS上で闘病の様子を公開していた。

 昨年11月にはNHK・BSプレミアムでは、猪木さんの闘病生活に密着したドキュメンタリー番組が放送された。番組では病名が「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」と明かされ、番組は大きな反響を呼んだ。今年5月には青森を訪れるなど回復に向かっているとみられたが、心臓の病は悪化していたという。

https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/240536

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ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、アントニオ猪木さんのイラストです。

■キング・オブ・キングス■

まず先に東京スポーツ、堕つってなんだよ堕つって。それは堕落の堕であって、文字として不適切だろうに。墜落の墜で〝墜つ〟のほうが適切だろうに。大辞林とかの辞書を見ても、普通に慣用句としては「巨星墜つ」だわ。猪木さんは最後まで難病と闘い続けてついに力尽きたのであって、堕落はしてないぞコラァ! いい加減にしろ! ……と、軽くツッコミを入れてから。

昭和の時代のカリスマといえば、政治家ならば田中角栄、プロレスラーならアントニオ猪木、ミュージシャンなら矢沢永吉というのは、概ね賛成していただけるのではないでしょうか。何しろ猪木さんのファンは、ファンを超えて猪木信者と評されるほど、熱狂的な人が多いですからね。それも桑田佳祐さんとか、それ自体がカリスマ性のある人物が、さらに崇めるような存在。キング・オブ・キングス。春一番さんとか芸人なのに、猪木の魔性に魅入られた訳で。

■猪木寛至の最高傑作■

もちろん、実際に猪木さんの言動などを知るようになると、実にデタラメな部分がたくさんある人ですが。昔、ファンロードのプロレス大辞典の回で、アントニオ猪木とは猪木寛至の最高傑作、という投稿がありました。そういう意味では、色々と豪快なエピソードをやらかした猪木寛至さん個人と、作品としてのアントニオ猪木は別なのかもしれません。画家のカラヴァッジオは人殺しですが、その作品は限りなく美しいのと同じで。

自分自身は、日本プロレス時代は知らない遅れてきたファンにすぎません。それでもタイガー・ジェット・シンとの抗争や、モハメド・アリとの世紀の一戦、ウィリー・ウィリアムスなどを相手にした異種格闘技戦など、記憶にある世代ですからね。タイガーマスクブームは中学生の頃で、売れない漫画原作者となった今、表現者としてのアントニオ猪木の凄みを、日々実感しています。

■同時代を生きた幸せ■

プロレスという世界の、人間関係と嫉妬がドロドロと交差する異常な世界も、人間というものの本質を教える上で最良のテキストでした。タイガーマスクブームから UWF ブーム、そして総合格闘技ブームまでの時代をリアルタイムで経験できたのは、昭和生まれの年寄りの特権とすら思っています。あんな時代はもう、再現できませんからね。別に平成時代のプロレスファンをバカにしているわけではなく。あの時代を共有した仲間がいることへの感謝。

夏目漱石が、落語の三代目柳家小さんと同じ時代に生きている幸せを、小説の中でしばし書き記していますが。自分達は、三代目柳家小さんのその卓抜した落語を聴くことは不可能ですし、たとえそれをレコードなどで聞いても、その時代のライブで起きた空気感を追体験することは不可能です。しかし、自分たちの時代にはアントニオ猪木さんがいて。次は一体どんなことを仕掛けるのか、このピンチをどうやって切り抜けるのか、結末が見えないけれどワクワクする、最上のドラマを見せていただきました。

■プロレスが教えてくれた■

中学校時代には強烈な新日本プロレス派だった自分ですが、プロレスと言う世界を知ることでジャイアント馬場さんの魅力にも気付きましたし、国際プロレスという団体が持っていた哀愁とか、そちらにも思いを致すようにもなり。FMWの悲劇やインディープロレス界の群雄割拠、地域密着プロレスの可能性などなど。本当にプロレスというのは社会の縮図だと。その中心にいて、常に風雲を呼んでいたのがアントニオ猪木さん。

実際に一緒にお仕事したら、そのカリスマ性に当てられて、ケツの毛まで抜かれてボロボロになっていたかもしれませんし。猪木寛至氏を大嫌いになっていたかもしれませんが。そこはファンゆえのお気楽なポジション。南病棟闘病するその姿さえ、エンターテイメントとして自分たちに見せ続けてくださったわけで。ジャイアント馬場さんが61歳で、橋本真也さんやジャンボ鶴田さん、三沢光晴さんが若くして亡くなられたことを思うと。アントニオ猪木さんは80歳手前まで、生き様を見せてくださいました。

■その人生と肉親の縁■

実際の人間・猪木寛至さんは、ブラジルに移民する途中の船で祖父を亡くし。アメリカ武者修行時代に結婚した最初の奥さんとは別れ、娘さんとも8歳で小児癌で死別されたとか。二人目の奥さんが有名な女優の倍賞美津子さん。1億円挙式をあげましたが、直後に日本プロレスを追放。そこから新日本プロレスを立ち上げ、娘さんの寛子さんもも産まれましたが、離婚。でも離婚後もなんだかんだで良好な関係を保ち、節目節目でイベントにも参加されていますね。

三人目は22歳も年下の女性で、20年以上つれそい、息子さんも生まれましたが、猪木さんの浮気が原因で離婚。四人目の奥さんはカメラマンで、仲睦まじい夫婦でしたが。2019年にすい臓がんで亡くなってしまわれました。猪木さんはそういう意味では、肉親との縁は薄かった部分はあるのでしょうね。そして奥さんに先立たれてから、難病に。スーパースターでしたが、そのぶん苦難の人生ではありましたが。だからこそ、常に戦い続けた。1960年9月30日、プロレスラー・アントニオ猪木さんはデビューし、2022年10月1日に人生の幕を閉じた奇縁。

■最期の闘魂と微笑み■

猪木さんの、最期の言葉です。弱くなった自分をさらけ出し、笑える猪木さんが凄いです。やせ衰えても、目が死んでいない。アントニオ猪木は最後まで、アントニオ猪木でした。カッコいいです、たまらなくカッコいいです。

 この道を行けば
 どうなるものか

 危ぶむなかれ
 危ぶめば道はなし

 踏み出せば
 その一足が道となり
 その一足が道となる

 迷わず行けよ
 行けばわかるさ

この言葉に励まされ、安定していたサラリーマンの道を捨て、修羅の道へ。自分ももうちょっとだけ、戦います。ありがとうございました。

昭和最後の大カリスマ、アントニオ猪木さんのご冥福をお祈りいたします。
1・2・3、ダァーッ!!!

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