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奈良の鹿は独自遺伝子

◉興味深い研究が、発表されましたのでご紹介を。鹿は日本全国にいて、鹿児島県などはその名前に鹿の字が入っています。昔から和歌などにも呼ばれてきて、猿丸太夫の「奥山に 紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」などが有名ですが。毎年変わって立派になっていく角や、俗に鹿の子模様と呼ばれる白い斑点など、神秘的な部分はありますよね。なので神様の使いとして祀る地域も全国に分布しています。

【「奈良のシカ」は1000年以上も独自の遺伝子を守り抜いていた!】ナゾロジー

奈良公園に暮らすニホンジカは国の天然記念物にも指定されており、古くから”神の使い”として大切に保護されてきました。
シカたちも人にベタ馴れしており、観光客からせんべいをねだる姿が印象的です。
その一方で、奈良のシカの起源についてはよく分かっておらず、周辺地域に住むシカとの遺伝的な関係性も不明でした。
そこで奈良教育大学、福島大学、山形大学の共同研究チームは、奈良公園を含む紀伊半島のニホンジカを対象とした遺伝子調査を実施。
その結果、奈良のシカにのみ「独自の遺伝子型」が発見され、1000年以上もの間、他のシカ集団と交流がないことが判明しました。

https://nazology.net/archives/121344

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、鹿の写真です。

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■日本全国にニホンジカ■

学術的なお話は、上記リンク先を読んでいただくとして。日本では大型の草食動物と言うと家畜の牛や馬以外だと、北海道の蝦夷鹿は別として、馴染みがあるのは鹿とカモシカの2種類ぐらいですかね。カモシカは日本人かとはだいぶ種類が違いますが。ニホンジカは、中国大陸や台湾にも分布しており、日本固有種というわけではないのですが。エゾシカ・ホンシュウジカ・キュウシュウジカ・ツシマジカ・マゲシカ・ヤクシカ・ケラマジカの7つの地域亜種に分類されるんだそうです。

九州は離島が多いせいか、対馬・屋久島・馬毛島・慶良間島と亜種が多いですね。自分らの世代だと、鹿児島県立図書館町や鹿児島女子短期大学教授であられた椋鳩十先生の名作『片耳の大鹿』は、印象深いですね。屋久杉で有名な屋久島ですが、実際に行くとヤクシカを見ることは、けっこうあるようで。ただし離島の鹿は小型化するので、それほど大きくありませんが。鹿児島本土だと、野生の鹿を見る機会はほとんどないですね。

■日本文化の中の鹿■

それぐらい全国に分布している鹿ですが、やはり有名なのは奈良の春日野、青芝に糞をしまくるしかでしょう。このネタも昭和生まれの人でないとなかなか通用しませんが。奈良の鹿は落語の『鹿政談』などにもなっているように、昔から手厚く保護されてきたわけですが。歴史的にも日本人は割と鹿を食べてきたようで。馬肉のことを桜、鹿肉(カノシシ)のことを紅葉と呼びますが。美味しさだけで言えば、イノシシの方が美味しいと言われますね。

花札の役である猪鹿蝶も、本来は蝶々ではなく唐獅子だったそうです。唐獅子に牡丹の花で唐獅子牡丹という昔から好まれたモチーフ。で、猪鹿蝶はイノシシ・カノシシ・カラジシぼ、語呂合わせだったんですね。ちなみに、他人を無視することを「シカトする」といいますが。これも花札の10月の札が鹿で、この鹿の絵がそっぽを向いているように見えるから。鹿十月でシカト、という博徒の隠語が、一般にも浸透してしまったんですね。

■動物保護と権威権力■

鹿ではありませんが、中国の四不象という偶蹄目鹿科の、ちょっと変わった草食動物も、南苑という皇帝の狩猟用施設でだけ保護されていました。角が鹿、頸部が駱駝、蹄が牛、尻尾が驢馬に似ているけれど、どれとも違うので四不象。清朝末期の洪水や義和団の乱の混乱で絶滅したと思われていたのですが、イギリスの貴族のハーブランド・ラッセル公爵が、自分の領地の広大な庭園で密かに飼育していて、絶滅を逃れたという。

江戸時代は東京も、三河島のあたりに丹頂鶴などが飛来していたのが、歌川広重の浮世絵などで描かれているのですが。こちらも江戸幕府が瓦解して、江戸各地にあったお狩場の動物を庶民が勝手に終狩猟するようになって、いなくなってしまったのですが。動物の保護というのが宗教によって、あるいは権力者によって、または莫大な資産を持つ金持ちによって、なされているという歴史を、ニホンジカでも確認できるのはなかなか興味深いですね。

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