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日本漁業が滅びる日

◉Wedgeオンラインに『このままでは日本人の手で日本の漁業が滅びる』という記事が、アップされていました。日本の漁業の問題点は、もうハッキリしていて。獲り過ぎなんですよ。明らかに数が減っている魚種でも、上限枠は漁獲高より遥かに高く設定され、取り放題。国産のシシャモとか、もう絶滅するんじゃないかって勢いなのに。で、批判されれば他国が乱獲してると、責任転嫁。日本の農林水産業は自民党の票田で、未だに族議員が幅を利かせていますしね。

【このままでは日本人の手で日本の漁業が滅びる】Wedgeオンライン

 昨年末、2024年度予算が閣議決定した。うち水産予算は前年度補正を併せて3169億円と、過去最高だった前年の3208億円(前年度補正含む)をやや下回るものの、3100億円台を維持した。18年度まで水産予算は2300~2400億円程度であったが、同年末に国会を通過した漁業法の改正に歩調を合わせ、予算は一気に増額した。

 漁業法の改正で目指されたのは、科学的な資源管理に基づく水産資源の回復と水産業の持続的な発展であると言える。これまで国が資源評価対象としていたのは計50魚種で、漁獲総枠(「漁獲可能量(Total Allowable Catch: TAC)」と呼ばれる)を決めて管理を行っていたのは8種に過ぎなかった。

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/32685?layout=b

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、鰯の写真です。

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■迂回公共工事か■

24年の水産度予算案では、資源管理に充てられたのは58億円で、水産改革以前の水準に近いところまで削減されてしまったそうで。逆に、大幅に増額されたのが漁港の整備等に使われる公共予算で、けっきょくは公共工事に回す金は批判されやすいので、そういう迂回をやってるのでしょうけれど。今回の能登半島地震で、インフラ整備は大事だって再認識されたんですから、迂回せず必要な分はちゃんと別枠で申請し、調査・研究費用は確保すべきだったのに。

 ところが、24年度予算案で資源管理に充てられたのは、58億円と、水産改革以前の水準に近いところまで削減されてしまった。確かに23年度補正で49億円が積み増されているのだが、これは老朽化した漁業調査船「蒼鷹丸」の代船建造費用として特別に組まれたものであり、それ以外の資源調査自体に対する予算が増額しているわけではない。また、この補正予算を合わせたとしても、「資源調査・評価の充実と資源管理の推進」の費目が水産予算全体に占める割合は3%に過ぎない。

今必要なのは、雨漏り対策のバケツを増やすことではなく、雨漏りの原因調査と対策のための予算で、その上で修繕のための予算でしょうに。日本の漁業の問題は、勝川俊雄氏などが、繰り返し指摘されているのですが、改善の兆しは薄く。自分などは、わざと漁業従事者を減らし、ある程度の数になったら食の安全保証のための補助金制度に移行しようと狙っているのではないかと、疑ってしまいます。そっちのほうが、話が早いのかもしれませんが。そういう統制経済的なことって、長い目では失敗しそうです。

■非科学的な反対■

自分は保守派ですが、こういう守旧派や科学的なものを受け入れない人間は、反ワクチンや親学やEM菌とか信奉している同様、批判的です。クロマグロのような高級魚はもちろん、サンマとか大衆魚──はっきり言えば下魚とされていたものさえ、漁獲量は激減し。それはウナギにしてもそうで、レッドデータブック入や間近の魚類は多いです。今やカタクチイワシやウルメイワシですら、1985年に9.3万トンをピークに、2021年の漁獲量は3.4万トンですから、今のうちに手を打つべきように見えます。

 一部の漁業者・漁業団体からの反対が根強いからである。例えば水産庁は太平洋に分布している系群のカタクチイワシとウルメイワシに対してもTACの導入を進めようとしたが、「とにかくTACは反対」と反対の声が上がり、議論は停滞している。現行の漁業者間での自主ベースの管理で十分だ、上から資源管理を押し付けなくても大丈夫だ、などとする声が強いのである。

TAC制度とは水産庁の説明によれば、魚種別に1年間の漁獲量を漁獲可能量(Total allowable catch=TAC)としてあらかじめ設定し、漁業の管理主体である国都道府県ごとに割り当て、それぞれが漁業者の報告を基に割当量内に漁獲量を収めるよう管理する制度です。ごく真っ当な制度なんですが、あれば有るほど獲りたいという漁師・漁協側の反対で、上手く行っていません。これ、個別漁獲割当(Individual Quota=IQ)制度を導入しないと、先に取ったもん勝ちで、乱獲や抜け駆け競争になる部分があるんですよね。

■議論は科学的に■

以前にも書きましたが、新潟県佐渡市の赤泊では2011年に、ホッコクアカエビのエビ籠漁で、日本で初めてIQ制度を本格導入したのですが。こちらも漁獲量自体は増やしていないに、エビのサイズが大きくなりキロあたりの単価が上がって、儲かっているとのこと。福島でも、東日本大震災からの福島第一原発事故の結果、禁漁状態になった結果、釣り人の憧れでもある座布団カレイが取れるようになっているとか。明らかに成果は出ているのに、屁理屈で反対する。昭和の時代の、牛肉オレンジの自由化や、米の自由化のときと同じです。

 漁業者の収入を増加させ、漁業を成長産業にするには、科学的な資源管理のもとに資源を持続的可能な形で利用し、減少した資源は回復を図る必要がある。そのためには、資源管理の基盤となる調査を充実させる必要がある。60億円弱では少なすぎると言わざるを得ない。水産改革を機に数百億円予算を増額しているのであるから、少なくともその半分程度は資源管理予算に回すべきではないのか。

農水族や、農林水産省の無策無能とか、イロイロと思惑は入り乱れているのでしょうけれど。再現性のある科学に準拠しないと、能登半島地震でパラシュートで物資を投下しろとか空挺団に荷物を運ばせろとか全国のフェリーを能登に集めろとかキャンピングカーを全国から借り受けろだとか、バカ丸出しの寝言を言う羽目になるわけです。流通や分配の意識がなさすぎです。安易に消費税反対論を言う人も同じで、小売の現場や会計が、どれほど混乱するかをわかっていないんです。

■敵時に適材適所■

この件に関連して、生田よしかつ氏のアカウントが、興味深い内容をポストされています。長いですが、とても重要な内容ですので、リンク&転載しますね。流通の問題は、大きいです。ソビエト連邦が経済的にダメになったのも、計画経済でもいちおう、農業生産はある程度あるのに、流通軽視で農産物が都市部に上手く届かず、一方では腐らせ一方では品不足という、大きな問題を抱えていましたから。なぜ流通を軽視するかといえば、商売の本質は流通で、多くの宗教がこれを詐欺と思い込んでるからです。

【なぜマグロの輪切りをあげてるの?】
去年から東京郊外の個人営業の小さな寿司屋さんと取引がはじまった。ウチはマグロ屋だけど、そのお客様だけ鮮魚も販売してる。特に珍しい話ではないけど、ここに至る経緯があるので読んで欲しい。

きっかけはもちろんマグロを買って頂いたことからだが、親しくなりお悩みを伺うに「かつては近くの魚市場で仕入をしてたが、魚が揃わなくてなく困ってた。したらそのうちその市場が廃止になった。ちょっと離れた市場に行くようになったが状況は更に悪くなり、良いマグロも手に入れ難くなり、イワシ、アジ、コハダといった寿司屋の定番魚も揃わなくなってきた。良い悪いではなく、買うことができない(そもそもない)状態になってる。市場の連中も困ってる」とのこと。
「それならウチで豊洲市場の鮮魚屋で買って送りますよ」ってことではじまった。
すると品質の良さにすごく驚かれ「これは抜群の良品!どころかこれ自体がないのがこっちの現状」と言われた。
あれよあれよというあいだに、アイテムは増えていった。もちろんその寿司屋さんの売上も伸びていった。あそこの魚は全然違うという口コミで広がったようだ。それも早かった。ネットの影響だろう。

今、日本の天然魚が減っている。まともにあるのはブリくらいか。それもいつ減りだすのか…? かといって水産資源管理は遅々として進んでいないし、先日はJF会長のスットコドッコイな発言にがっかりした。現場の長がこんな感じなら、水産業の未来は明らかに暗い…と思う。
資源の話は長くなるからここまでにする。

魚が減れば流される先は東京になるのは自明の理。漁師さんだって誰でも命がけで苦労して捕った魚は高く売りたい。
そ~なれば最も高く買えるのはお金持ちが最も多くいる東京になってしまう。
実のところ豊洲市場の連中だって挨拶代わりに「魚がねぇよ!」としょっちゅう文句を言っている。
それでも他の中央卸売市場、地方卸売市場からしたらはるかにマシだ。それは冷凍天然マグロでもしかり。

そこでオレが出来ることないかなぁと思ってはじめたのが、ウチの在庫品のアップ。毎朝上げてるマグロの輪切りの写真ね。
東京以外の #中央卸売市場、#地方卸売市場 の #卸売業者 #仲卸業者 の皆さんに、気に入ってもらったマグロを回すことは出来ないかな?と思ってね。
たぶん皆さん「売るお客様はいるのに売る魚がない」という現状だとお察しします。
今まで中央卸売市場、地方卸売市場は地域の生鮮食料品流通の要として、力を尽くして地域の食生活と経済を堅持してこられました。そんな皆様に少しでもお役に立てたらと思っています。

もし少しでもご興味があったら気軽にDM下さい。値段も教えますし物流の相談しましょう。ムリに押っ付けたりもしません。
特に直接 #小売店には販売しませんよ (笑)

https://x.com/ikutayoshikatsu/status/1749931104214384677?s=20

寛政の改革で知られる松平定信は、商は詐なりと喝破したのですが。要は商売ってのは、詐欺だと言ってるわけです。100円で仕入れたものを150円で売るのはズルいという考え。でも実際には、流通にはコストがかかるわけです。富士山山頂の缶ジュースが、交通費が反映されて高くなるのは当然。これが飲食店だと、原価率は30%以下に抑えたい。これは逆に言えば、30円のものを100円で売ってるわけで、商売がわからない人は詐欺に思うわけです。でも実際は、シビアな原価率の上で、真っ当な商売をすればそこら変に落ち着くわけです。

■流通の問題が鍵■

商売という言葉が、殷王朝の首都が商という地名で、某国の民になった商の人が、ユダヤ人よろしく各地を移動して、流通を担ったことが語源。商人もユダヤ人同様、バカにされ賤業とされた商売に着くしかなかったのと、似ていたのでしょう。でも、経済というのは、流通という血管がなければ、簡単に末端が壊死します。これは、エネルギーという大動脈の実感がなく、「たかが電気」とか「電気は足りてる」と放言する人の感覚とも同じです。そのエネルギー問題で、日米は開戦に至ったのに。

そこがわかっていないから、「道路が分断された地域に空挺団を投入しろ」→「投入した隊員の食事とかし尿はどうするの?」と聞かれてバカを晒し、「キャンピングカーを借りろ」→「誰が運転して能登に持って行くの? 持っていった運転手はどうやって帰るの? そもそも自動車が入れる地域なら、普通に虹避難所に移動したほうが安くて確実じゃね?」と突っ込まれるわけです。流通=商売がわかっていないから、そういう思いつきで物を言う。その数字無視の先には「二千万の日本人を特攻として用いれば負けはしない」があるのです。

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