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映画感想:ゴジラ−1.0

◉面白かったです。そりゃあ、脚本的にはツッコミどころは多々ありますが。11月3日の公開から5日経ちましたし、多少のネタバレはご容赦の上。個人的に思ったことをダラダラと書いてみますね。

https://x.com/akiman7/status/1721185729026646391?s=20

解説
日本が生んだ特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」の生誕70周年記念作品で、日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目。「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズをはじめ「永遠の0」「寄生獣」など数々の話題作を生み出してきたヒットメーカーの山崎貴が監督・脚本・VFXを手がけた。

タイトルの「−1.0」の読みは「マイナスワン」。舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する。ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。

主演を神木隆之介、ヒロイン役を浜辺美波が務め、2023年4~9月に放送されたNHK連続テレビ小説「らんまん」でも夫婦役を演じて話題を集めた2人が共演。戦争から生還するも両親を失った主人公の敷島浩一を神木、焼け野原の戦後日本をひとり強く生きるなかで敷島と出会う大石典子を浜辺が演じる。そのほか山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、 佐々木蔵之介と実力派豪華キャストが共演。

2023年製作/125分/G/日本
配給:東宝
劇場公開日:2023年11月3日

https://eiga.com/movie/98309/

■世界に伍すVFX■

脚本的には、なぜ兵士が必死になって逃げないんだとか、銀座の人混みの中、なんで簡単に再会できるんだとか、ご都合的な部分へのツッコミどころはあるし、前半はもたついてると感じる人は多いかもです。ただ、『続三丁目の夕日』のゴジラシーンや、『永遠の0』でのゼロ戦のVFXや、『アルキメデスの大戦』での艦艇の表現などなど、山崎監督の過去作品の試行錯誤が一気に、いろんな場面に生きてくるというか。平成ゴジラの、微妙な安っぽさがないのが、良いんです。

いや、あれはあれで頑張ってたんですが、1993年のスピルバーグ監督『ジュラシック・パーク』以後の映画は、あれを基準にされるんですから、仕方がないですよね。その意味では、予算規模は1.8-2億ドルのレジェンダリーゴジラの10分の1か20分の1ぐらいだと思うのに、本作のVFXはひけをとらないんですよ。で、ガルパンのスタッフ同様、登場する各種兵器への思い入れが、いい方向に出てて。登場する巡洋艦とかはもちろん、アレ震電が出てきたときに、思わずオオって声が出ましたから。スピードに特化した幻の名機に、活躍の場を与える配慮。これがテーマのひとつ。

■特攻の高揚感とは■

『永遠の0』はラストで山崎監督は、特攻を拒み続けた男が、特攻する覚悟決めたときの高揚感をも描いてて。ここは原作ファンとは、賛否が分かれるんでしょうけれども。戦争は全部悪で、特攻は犬死にという思想以外を許さなかった日教組の教師たちと違って、そういう高揚感はあって良いんともうんですよね。だって、TV版の『鉄腕アトム』も『男組』も『風の谷のナウシカ』も、全部が特攻じゃないですか。しかも、書いた作家たちはみんな、リベラル思想の持ち主たちです。自己犠牲としての特攻には、そういう部分があるというのを認めるべきでしょう。

それは、現実の特攻を否定することと、両立し得ます。今回のゴジラもまた、死ぬ意味や場所を見いだした男たちの高揚感を、きっちり描いてるんですよね。特攻の肯定という意味ではなく。人間どうせ1度は死ぬから、死に方を納得いく物にしたいって思いがあるのです。これは大学の倫理学の、小原信先生の講義で学んだ部分でもありますが。結果的に、前半のもたつきがラストへの伏線にもなってるし、戦前の人命軽視の特攻を、ある部分では否定さえしています。単純な戦前肯定や、特攻肯定ではないです。

もちろんそこも、ご都合的だと言う人はいるかも……ですが。否定しません。ですが令和のゴジラは、昭和の芹沢大助博士とオキシジェンデストロイヤーの結末とは、違う結論に至っています。そう、平田昭彦さんが演じた芹沢博士もまた、最後は特攻のようにゴジラと運命を共にします。でも、令和の神木隆之介さん演じる主人公は───。そこにこそ価値があると、自分は思います。少なくとも、自分はそう解釈しました。『ゴジラ-1.0』に関しては、あきまん先生の、素晴らしい解説がありました。言及されている部分に関しては自分もほぼ、同意見ですね。

■ゴジラは時代劇に■

もう一点、大和和紀先生が1975年の『はいからさんが通る』で、ほぼ50年前の大正時代を時代劇の範疇にしたように。あるいは市川崑監督の映画版金田一耕助シリーズが、戦前戦後の昭和を時代劇の区分にしたように。山崎ゴジラは、ゴジラを時代劇にすることに成功したと、自分は思います。時代劇=江戸時代以前というのは、思い込みで。漫画の方でも、『るろうに剣心』はの舞台は明治時代ですし、『鬼滅の刃』は大正時代です。両方とも、着物を着て日本刀を所有し、ある意味で過渡的な形にしてありますが。もう時代劇。

1912年は明治45年であり大正元年なんですが。15年と短かった大正時代に対して、昭和は63年と長過ぎました。本当なら、大正が35年ぐらいで、昭和は43年ぐらいなら、平成は30年と、バランスよく行けたのかも知れませんが。令和の世になって、1945年から1989年までの昭和も、紛うことなき時代劇の範疇になったんですよね。自分たちがガキの頃は、明治時代ももう立派な時代劇で、『二〇三高地』とか『八甲田山』がヒットしていましたし。平成生まれも30代になり、戦後と昭和も、時代劇に。NHKで金田一耕助を演じた吉岡秀隆さんの存在も、後押ししましたね。

国文学者で俳人の中村草田男が「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と詠んだのは、昭和6年───1931年のことです。明治が終わってわずか19年で、もう遠くなっているわけで。1989年に昭和が終わって、もう34年ですから。もちろん、ゴジラというコンテンツは今後も、『シン・ゴジラ』のように現代劇としても描けるでしょう。なんなら、アニメ『GODZILLA 星を喰う者』や『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』のように、未来の物語として描けます。同時に、忠臣蔵や新選組のように、75年ちょい前は時代劇になったのです。昭和時代劇として紛れもなく、文化になったということです。

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