すばらしい日々

3歳からのんびりピアノを習っていたが、途中からなぜか音大を目指すような人が行く教室に放り込まれた。
そこではビシビシ叩かれたり、人格否定されたり(当時はそんなことはわからないのでただただ嫌だった)していた。

私の後の時間帯に習っていたN子ちゃんと高校になってから再会した。帰り際の泣いた顔を見られるばかりだったので、声をかけられたときは正直嫌だな、と思ってしまったのだが、「私もあの後、よく泣いてたよ。あの頃友達になれればよかったのにね」と言われ、二人で涙ぐんだのも今はよい思い出です。

その後も、無理矢理クラシックを聞かせてくる人が人生に出現して去ったせいもあり、クラシック全般に今でも薄く、拭いきれない忌避感が残っていて、自分でももったいないと思っていた。

先日、喫茶店に座っていた時に、お店でかかっていたクラシックがすーっと入ってきた。
ベートーヴェンの交響曲第9番だった。
何もひっかかるところが無かった。
ただ普通に鑑賞し感動した。

音楽から離れて、楽譜を読む力も書く力も、音を聴く力も維持することをやめて、すっかり消えうせた後に訪れた和解。
ユニコーンの「すばらしい日々」みたいだ。

”君は僕を忘れるから
その頃にはすぐに君に会いに行ける”

一度全部手放すことが必要だったのかもしれないけれど、叩かれたりしなければ、今でも屈託なくクラシックを聴くことができたかもしれないので、教える時に叩いたり怒ったりするのはやめましょう、世の教育者の皆様。

太極拳の習得には、楽器を練習するメソッドが大変役に立っているので、人生に無駄無しなのか、人は皆わらしべ長者なのか。

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