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死と生きる

自分の親族が死んだのは多分母方の曾祖母以来、私が小学二年生の時から、一度もないと思う。
死は案外身近にあって、今までで一番長く勤めていた会社で上司がある日ぽっくり逝ってしまったこともある。昨日まであんなに元気に私にセクハラ発言してたのに。
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自分より年上の友達や知り合いが増えるたびに身近になっていく。
今日お世話になっていた近くのご飯屋の店主が亡くなったと訃報が届く。
高校野球の好きな方で、私たちが夫婦で行く時間帯にはちょうどお客さんも引けて、仕事中は全く喋らないお父さんが堰を切ったように高校野球の話やご近所の昔話を聞かせてくれた。
そのお店も夫婦で切り盛りしているからか、私たち夫婦をみて、自分達の仕事を始めた頃のことなんかも話てくれたことが私たちには嬉しくて、帰り際思い出して笑いながら帰った。
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この二日間私たちは結構深刻な話し合いをしていたところで、全くと言っていいほど話をしていなかった。
この訃報を皮切りに、お互いこれからも頑張ろうと言うことを確かめ合った。
もしかしたら夫も同じことを思い出していたのかもしれない。
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私の家族はよく喧嘩をしていた。
どこの家でもあったのかもしれないけど、思春期は兄は父に殴られたこともあるし、私も何度も取っ組み合いをした。
母とも言い争いになったこともあるし泣かせてしまったこともある。
でも30代になった今、「父親である」「男である」「家主である」という葛藤があのころの父には負担があったんだということを感じる。
その事実は今も変わらないけれど、私が家を出て、自分もずっと働いてきた会社を退職して好きな仕事をしている今はずっと生き生きしてるし、私も父にありがとうと心から思える。
口喧しく、空気が読めない母を恥ずかしいと思う時もあるが、それは多分自分と同じ部分を重ねて恥ずかしい気持ちになると気がついてから、だいぶ母に優しくなれた気がする。
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生まれてから30年、ようやく家族が出来上がってきたような気がする。
子供はまだいない。これからもわからない。
「子はカスガイ」って言葉かなりひどく感じてしまい嫌いだけど、まさしくその通りで、子どもがいない夫婦ってただの他人だから、それが2人家族になるってすごいことだと思う。
まだ家族として1歳にも満たない私たちが、どうやってお互いを理解できようか、と改めて思う。
何かがあったとき、亡くなった店主のことを自分達の家族のことを思い出したい。
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