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【映画】エリス&トム Elis &Tom – Só Tinha De Ser Com Você/ホベルト・デ・オリヴェイラ、ジョン・トブ・アズライ


タイトル:エリス&トム Elis &Tom – Só Tinha De Ser Com Você 2023年
監督:ホベルト・デ・オリヴェイラ、ジョン・トブ・アズライ

「三月の雨」の7thコードの展開形のイントロからエリスとジョビンの折り重なる歌を聴くだけで涙腺が緩む。穏やかで融和な雰囲気溢れるアルバムだと思い込んでいたが、融和というよりも宥和な状態から作り出されたアルバムだった事が明らかにされたドキュメンタリーだった。
この時のレコーディングへ至る記録が半世紀眠っていた16mmのフィルムが世に出なかったのは、このアルバムの経緯の中にエリス側とジョビンとの不穏な関係を詳らかにしたくない意図もあったのかなと、どうしても思ってしまう。恐らくリリース当時にこの記録が表に出ていたら、ネガティブな部分はカットされた状態で編集されていたのかなと思うと、かえってこのタイミングで映画になったのは当時のブラジルの音楽界の状況が垣間見れたのは良かったかなと。
まず一番大きいのは、ブラジル国内の状況と、ボサノヴァ第一世代の国外での活動の軋轢が存在していた事があり、それがトピックとして描かれていた。ジョビンやジョアン、そしてアストラッドがアメリカでビッグヒットを記録した反面、軍事政権の台頭から国内情勢が苛烈になりつつあったブラジルでは反発を産んだ状況がエリスを国内に留まらせた原因がある。60年代中盤のテレビ番組フィーノ・ダ・ボッサとジョーヴェン・グァルダの確執や、60年代後半のヨーロッパでの活動はありつつ、軍事政権の検閲など音楽とは別の悩みに苛まれていた状況から、70年代になってやっと自分の立場を立脚した事を鑑みればリスクを背負ってまで新しい事に踏み出せないエリスの立場はよく理解できる。当時の状況を振り返れば、カエターノやジル・ベルトジルらが亡命先のロンドンから帰って日が浅い頃と考えると、まだブラジルの民主化への布石はまだ見ぬ遠い未来の話でもある。ジョビンの状況をみれば、ブラジル国内の反発がまだ色濃い時代の空気から二の足を踏むのは仕方がない。国内で活動を続けるか、国外で活動を始めるかの選択を迫られた形に受け取られた不安が、この時のエリスの状況だったのがよく分かる。
もう一つエリスと当時の夫セザール・カマルゴ・マリアーノを悩ませたのが、ジョビンの立ち位置。オデオン時代にコンポーザー兼アレンジャーだったジョビンにとって、外部のアレンジャーを認めているのはクラウス・オガーマンくらいで、コントロールする立場から、企画の一メンバーとしての立場はすんなりと受け入れるはずもなく、即刻オガーマンを呼べと言ってしまう辺り、彼の所在がスタート時にネックとなってしまっていたのは痛々しい。作家本人を呼んでしまった事と、その作家の資質を汲む事なく采配してしまった緩さがブラジル人らしい感じでもあるのだけど…。当初エリスのデビュー十周年企画のゲストにジョビンを起用するというのが、ふたりの企画として様変わりしながら、御破産ギリギリな状況まで至っていたのは、半世紀過ぎた時間があったからこそ明らかになった内情だった。しかし、オガーマンやジョビン主導ではなく、エリス側、とくにセザール・カマルゴ・マリアーノが結果的にアレンジで加わった事は、このアルバムの風化しないモダンさを確立出来た要因でもある。当時のMPBに近い音楽性は、セザール・カマルゴ・マリアーノがジョビンに忖度しながらも音楽的な主導権を握る事が出来たからこそ、このアルバムの70年代らしい雰囲気と時代を超えた内容になり得たのではないだろうか。アレンジャーとしても実績はあったジョビンだけれど、アメリカ活動時代にオガーマンに頼っていたのは、鍵盤の音をそのまま弦楽アレンジに載せてしまっていた自分の稚拙さに対して(鍵盤の音をそのまま弦アレンジに転用してしまうのは昨今のDTM的でもある)、クラシックの素養があるオガーマンの起用はそういう理由も大きい。初対面のセザール・カマルゴ・マリアーノに対して拒絶感を示したのはそういう理由だろうし、ブラジル音楽界に対して失望していたジョビンの心象が如実に現れた出来事でもあった。
字幕の翻訳が微妙であったのもあるが、ジョビンとセザール・カマルゴ・マリアーノが和解する流れの描写がイマイチ伝わらない表現だったのが少し残念だった。軋轢に耐えられず、帰国しようとしたエリスが留まり、結果的に三者が互いを必要とする形へと収斂していったのは、幸いだったと思う。
ジョビンがプロモデルのブラックヘッドのヂ・ジョルジオのヴィオラオンを弾く姿が多く出てきたのが意外だった。60年代前半に、アメリカデビュー時にヴィオラォンを弾く事を求められ嫌がっていたジョビンの事を鑑みれば、ピアノに向かうよりも、セザール・カマルゴ・マリアーノにピアノは譲り、ヴィオラオン奏者としてのジョビンの姿が捉えられているのも、記録としては中々面白い。
アルバムはジョビン曲集ではあるが、ベットルームセッションではアリ・バホーゾやジョニー・アルフの曲も取り上げられていた。かつてのジョアンと出会う前の下積み時代を振り返るジョビンの会話も含まれていたのは、今の時代にこのドキュメンタリーが制作された意義を強く感じる。繰り返しになるが、当時この映像が編集されていたら、オミットされていた場面でもあると思う。
エレンコレーベルのオーナーであり当時LAに住んでいたアロイージオ・ヂ・オリヴェイラや、エリスバンドに参加していた第一世代のホベルト・メネスカル(大和魂のシャツは笑える)、ネウソン・モッタ、エリオ・デルミーオらエリスバンドのメンバーの証言も興味深い。当時の状況を知る人間たちによる、一発触発な状況が当事者から語られる事で当時の緊張感が立体感を持つ。
紆余曲折ありながらも、ジョビンにとっても「三月の雨」の完成形が形取られた事と、その後のエリスの活動に大きな影響があったインシデントだったのが伝わるドキュメンタリーだった。勢いと音節を詰め気味だったエリスが、休符を意識したジョビンのミニマリストとしての作家性に触れることで得たものの影響は、その後に至るアルバム「或る女」などにも多大な糧となったのではないだろうか。
ひとつ気がかりだったのは、エリスの死因が自殺として語られていた事。36歳で子供を残して薬物による逝去は、確かに早過ぎるし彼女が自分を追い込んだ結果の悲劇かもしれない。この辺りははっきりと自死とはされていないので、難しい所でもある。
余談ではあるが、娘のマリア・ヒタのライブを観た時に、母エリスの影を感じてしまった。歌声一発で観客をひれ伏す存在感は、皮肉にも母エリスの影響から逃れられない宿命を背負った宿命なのだなと悲痛にも感じてしまった。もはや触れる事が出来ないエリスの遺伝子は、マリア・ヒタにしっかりと受け継がれている。


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