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常套


彼が大層面白そうに話す話は決まって何てことないおがくずみたいなものだった。



奥さんが寝坊してどうのこうのだとか、子どもが幼稚園でどうしたのだとか



終始そんな話をしては、珈琲代も払わずに帰っていく。彼はそんな何とも迷惑な奴だった。



くだらないよ。



私がそう言えば彼は嬉しそうに笑い、そうか?とすっとぼけてみせる。それが私たちの常套だった。



酔った勢いでセックスをした次の日も、何も変わらずこのやり取りは行われた。



相変わらず彼は奥さんや子どもの話を可笑しそうに話して、私はそれを今までと同じ気持ちでくだらないと言ってのける。そうして彼もそうか?とすっとぼけてみせたのだった。



愛だの恋だの囁き合うより私たちにはこれがお似合いだった。


そんな彼がパタリと店に来なくなって
しばらくして彼が死んだのを知った。



彼の遺留品から私の店のマッチが出てきたそうで、わざわざ奥さんが知らせてくれたのだった。

彼の最後の話はよく覚えていない。どうせ奥さんが燃えるゴミの日を間違えたとかそんなくだらない話だったろう。


それでも棺の中で前歯が少しかけている彼の顔を見て、あぁ私はこの人の特別になりたかったんだとその時初めて認識したのを覚えている。



それが滑稽で仕方がなかったけど、最後に笑わされるのも何だか癪だったので常套文句を呟いて私は何不利かまわずただただ泣いてやった。




そんな私にもう

彼は何も言わなかったけど

#小話を一つ #恋愛 #詩 #戻らない時

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