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干される人と干されない人についての一考察

世の中には、同じことをしでかしても干される人と干されない人とがいる。子どもの頃は、それがなんとなく不思議だった。だって、同じことしているのに。

あ、世の中だなんて知ったような口をきいてしまったが、テレビのニュースやスポーツ新聞のゴシップ欄で目にするような、それはごく狭い世界の話ではある。政治家のスキャンダルとか芸能人の不倫、薬物使用、はたまたスポーツ選手の八百長などなど。そして、なんとなく子供心にも判ったのは、干される人とそうでない人との差はどうやら「人間力」の有無にあるらしいということだった。

たとえば、テレビの世界には、とりたてて人気があるというわけでもなさそうなのに、いつでもどこにでも顔を出すといったタイプのタレントがいたりするものだが、そういう人には、きっと業界の人たちが放っておけない特別な「人間力」があるのだろう。ただ、ぼくら一般の視聴者にはそれが伝わらないだけなのだ。たんに「場をいい感じに盛り上げてくれるから」といった実際的な理由ばかりではなさそうだ。

残念なことに、「人間力」のかけらもない(ということを自分でも分かっている)ぼくなどは、「干される」ことのないよういつもビクビクしながら慎重に行動してきた。いまだって、そうだ。あるいは、そう強く思い込んでいるせいで、せっかく誰かが助けの手を差し伸べてくれているのにそれをみすみす見過ごすといった場面もあったろう。だから、ピンチがチャンスに転じない。

ところで、よく言われるように、成功者には周囲の人たちを惹きつける「人間力」が備わっているのが常だ。じっさい、身近な「成功者」たちを見ても、それは当たっていると言わざるをえない。ああ、ビタミンや鉄分のように、あの「人間力」をサプリで補給できればいいのに。彼らと会うと、思わずため息が出てしまう。

では、なぜ成功者には「人間力」が備わっているのか? と問うのは、いかにもナンセンスだ。そもそも、「人間力」が備わっているからこそ彼らは成功者になれたと言った方が正しい。「人間力」をもったひとは失敗を恐れない。失敗など恐るるに足りないことを彼らは自身の経験から知っている。だから、つねに自分の信念に従って、大胆に前へ突き進むことができるのだ。

反面、「人間力」を備えたひとにはまた「ダメなひと」も多い。ダメでもたいがいは許されるので、天衣無縫に振舞うことができるのだ。次第によっては、そのダメさ加減がかわいいなどと言ってむしろ褒めそやされる。ダメさすら魅力に変えてしまう人間力、とは。もはや治外法権である。

それに対して、ぼくのような人間は、失敗を恐れて萎縮してしまい周りの空気にあわせた振る舞いしかできないし、場合によっては失敗を恐れるあまり行動すらしない可能性もある。それでは成功者になどなれるはずもない。どうすれば「人間力」を身につけることができるのだろうなどとつい考えてしまうが、そもそも技術ではないので、どうやったところでしょせん身につくものではないのが「人間力」なのだ。

そう考えると、「人間力」もまた「調合」の賜物かもしれない。「調合」とは、ひとつの効能を引き出すためだけになされるある種魔術的な配合をいう。そこでは、バランスは無視され、計算も意味をなさない。ゆえに、「人間力」のレシピなんてものはあるはずもないし、ならば、いっそ生命を司どる神様の気まぐれからそれは生まれたとでも言われた方があきらめもつくといった類のものだ。人間力? さあね、シェフの気まぐれサラダみたいなものですかね、などと軽口のひとつも叩ければ、そんなに羨ましくもなくなるだろうか。

 一年に一度「嘘」をつくための地道な筋トレについて

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