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日本(ふるさと)を想うとき

アメリカに住んで20年になるが、この地域の多分一番魅力的な季節をずっと一時帰国の時期に充てていた。

もったいない、と言われたことがある。そのくらい高地砂漠気候ハイデザートの夏は乾燥しているがゆえに過ごしやすく、朝晩は高地だからひんやりするし、緑は輝くようだし、長い夕方は外に置いた椅子に座ってただ家族や友人と過ごすのには最高の時間となる。もちろん、その時期に日本に戻っていた理由はあるし、それをできていたことには感謝しかない。子供達が日本を故郷の一つと認識しているのも、あの時期があったからだと思うから。


砂漠というくらいだから、ユタ州の多くでは水は限られた場所にしかない。もちろんインフラとしての水道は整備されているし家々には芝を保つための灌漑イリゲーションシステムもある。でもそのシステムを止めたらあっという間に植物は枯れる。あとにはごく僅かな水で育つ、砂漠気候耐性の棘をもった野生植物(というか雑草)が荒々しく育つだけになる。だからだろうか、湿度の高い夏が苦手な私が過ごすには最高だったけれど、ずっと「懐かしい風景」ではなかった。


青々と拡がる水田の景色が好きだと日本に帰るたびに私は呟いてしまうらしい、毎年のように日本の家族に「また言ってる」と笑われる。
でもそうなのだ、雨の日には煙るような湿度のなかで竹林が揺れ、真夏に近付くにつれて道端の雑草が暴力的な勢いで伸び、山々には様々な濃淡の青(緑)が溢れる。こういう記憶を辿っていると 日本の夏は水とともにあるなぁと思うし、私の原風景でもあるし、それがユタ州に住み始めてから一番懐かしく時々でいいから見たいと欲した景色だった。今でも大好きな景色だ。もちろん高温多湿になると辟易するんだけれど。

けれど今は、このドライな気候の中で枝を伸ばし木陰をそっと地面に落とす木々や、暑さのなかで青々と伸びる芝、朝夕の肌寒いくらいの空気と日中の激しい日光ときつい暑さが自分の生活の中心になってきた。日本とは色味の違う草花も。
以前は こういう地域の昔の原住民の遺跡を訪れては こんなところでどうやって生きていたんだろう、この地を愛せたのだろうかと思っていたけれど、今は厳しい気候の中の美しさが豊かさが、少しだけわかる。


こちらに引っ越した当初は生活のあちこちで撒菱まきびしのように知らないことや慣習がそこら中にばらばらと落ちていて、それらを踏んでしまわないように気をつけていた。でもやっぱり踏んでしまいイタイ思いをする。その痛さが自分は部外者だと思い知ることのようで、子供を日本の学校に行かせたい夏には嬉々として 根っこのある土地に帰っていたかったのかもしれない。
それが最近では、日本の日常に撒菱まきびしを見つけることがあって寂しいような気分になる。長くこちらに住んだからなのか、単に歳をとってきて順応しづらくなっているのかはわからないけれど。

ああ、そうそう。撒菱まきびしのひとつを今思いだした。日本語がしっくりこなくて「カタカナ語」で言葉を書くとき。
ほら、すでに私の文章には 日本語では伝わらない沢山の景色や匂いを含んだカタカナ語が並んでいる。きっと読んでいるヒトには「わかんねーよ」と一蹴されそうな、けれどカタカナ語でなければしっくりこない 私の中に焼き付いた風景。

小景異情―その二
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

青空文庫 抒情小曲集 室生犀星

「遠きにありて」詠んだわけではなく、ふるさとに戻ったときに詠んだ詩といわれる室生犀星のこの叙情詩が、時々 若い頃より胸に迫る。ああ、この人天才だなぁ。

日本こきょうへの愛はあるんだ。ただ、変わって行く自分がときどきずれていて、なんともやるせない気分になるんだ。変わっていないつもりでも日本こきょうにしっくりいかない自分に、どうしていいかわからないんだ。

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