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【短編】 寛容桜は今年も ①

3月下旬の里山は、まだ春と呼ぶには肌寒かった。

首都圏の大学院に通う坂上と岡野が車を飛ばしてやってきたのは、「寛容桜」と名付けられた推定樹齢500年のエゾヒガンザクラのある深沢村。

「日本三大桜」など有名な景勝地となっている桜をよそに、ひっそりと、そして地元の人の間ではいつもそばにあるシンボルとして、毎年見事な花を付ける。

「民俗学専攻だと、こんな小旅行も出来ちゃうんだな」
「小旅行って(笑) 教授に頭下げてOKもらったんだぞ。ちゃんと論文書かないと」
「分かってるよ、そんな事(笑)。最近ずっと座りっぱなしのPCとにらみ合いだったから、車で出掛けるなんて久しぶりで楽しくて」

満開の姿を見るととても寛容な気持ちになれるから、とか、寛容年間にこの地に植えられたとか諸説あるが、そういう説話のようなものを取材しに二人はやって来た。

「寛容年間って、西暦で言うといつだっけ?だいたい、寛容なんて元号あったか?」岡野は今さら感のある質問を投げかける。
「江戸時代中期だったかな。まあ、それよりも今回はさ、見ると寛容になれるっていう話をメインに取材したいんだ。SNSに投稿したらバズりそうじゃん」
坂上の興味は民俗学から逸脱しつつあった。着眼点は悪くないのだが。

車を停めた所から歩いてたどり着いた「寛容桜」は、そんなエピソードが無くてもじゅうぶん景勝地になりうる、立派な桜だ。
しかし、山あいの3月はまだ寒い。満開には程遠かった。

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