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【短編】 正中線は譲らない

リング上で互いに間合いを取り、「後の先」を取らんと息も出来ないような駆け引きが続く。

私は素早く半身のまた半分ほど、相手と向きあっている角度をずらす。

わずかに早く、相手の突きが私の拳より先に繰り出された。
かかった。「エサ」に釣られたな。

相手の拳が私に到達する前に、私は無駄のない動きで脇腹と喉に致命傷となりうる打撃を寸止め。
「ま、参りました」
「お手合わせありがとうございました」
他流試合で研鑚をつもう、という事で行われた私が所属する団体が企画した今回のイベント。
格闘系の動画が流行っていることもあり、道場には多くの見物客が来ていた。
そして何を隠そう、私も格闘系動画配信者だ。

その中に、先ほどから眼光鋭く私を観察する男がいる。いや、攻撃を仕掛けるタイミングを探っていると言った方が正しいか。

この距離からあのプレッシャー。なかなかの使い手と見た。
ここはひとつ、場を盛り上げてやるか。

「こんにちは。どうです?少しやってみますか?」
そう声をかけ、男をリングに上げた瞬間、
キレのある後ろ回し蹴りが私の左側頭部めがけて飛んで来た。
早い。そして狙いも正確だ。
しかし予測の範囲内だ。甘い。甘いよ。
私は蹴りをかわすと同時に男の懐に入り、急所であるみぞおちに縦拳をやはり寸止めした。

「いやはや、恐れ入りました。ウワサ以上だ。正中線どころか、ジャブもまともに当たらない」
男は丁寧にお辞儀をし、リングを降りた。

そう。私は動画SNSにおいて、「絶対に正中線を攻撃されない格闘家」として活動している。
正中線上の急所、「眉間、人中、みぞおち」などへの攻撃のかわし方などを、エンタメ性をやや高めて動画として配信している。
フォロワーも8万人と、まずまずの手応えだ。

実戦において正中線を相手の射程距離にさらす事は、すなわち「敗北」を意味する。逆に言えば、如何に正中線を奪うかが勝敗のカギともなるのだ。

「今日も完璧に正中線を守れた。今回の動画も再生回数伸びそうだな」
そんな事を考えながら帰宅し、玄関のドアを開けると、
「パパおかえりなさーい!」

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