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「津軽」を旅する〜②五所川原・金木(疎開の家)

一 巡礼
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」

『津軽』,太宰治,昭和19年,小山書店

2日目は、朝から新青森駅でバスに乗り、五所川原を目指した。今日が旅行のメインです。わくわくしながら乗ったけど、バスの中から見た風景は、私の田舎に似たところがたくさんあって、縮小日本の地方は辛いなと思った。

誰も面倒を見ていない空き家や店舗、工場がたくさんある。ガラスが割れて、屋根がずれ落ち、扉や窓枠が壊れている。山道沿では草や樹木の蔓に覆われ始め、緑に侵食されていくようだ。かつては誰かが、子供の頃の私や家族、親戚に似たカンジの人が住んだり働いたりした場所だと思うと、憂鬱な気持ちになる。

災害があると「自然に対して人間は無力」というような言葉をよく聞くけど、最近は、田舎の建物を少しずつ飲み込んで、生命力の差を見せつけてくる普通の日の自然も怖いなと思う。

五所川原駅の近くに来たら、新しい建物が増えて、活気が出て来た。知らない土地だと、私は都会の方がホッとする。

着いた駅は古い建物だった。金木行きの津軽鉄道は1〜2時間に1本。旅行中は太宰の本を読むことに決めていて、列車の待ち時間に70年前にこの辺りの風景が書かれた文章をゆっくり読んだ。たまに顔を上げると、時が止まったような場所にいて、時間感覚が滅茶苦茶になる。自分が未来から来た人みたいで、不思議だった。

松本清張の小説に出てきそうな駅。ドラマの中みたいだ・・
金木に向かう列車「走れメロス」号。太宰先生は本当に偉くなって、地元に名を残したんだなと感激

金木駅に着いたら、まずは歩いて「太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)」に向かう。

「斜陽館」は太宰ファンじゃない人にも広く認知されているけど、ここの存在は、私も旅行用に買ったガイドブックで知った。もっとコンパクトで、サラッと見学して帰るものだと予想してたけど、全然違っていた。ここはとても大事な場所です。私は、この旅行の中で一番思い出深いところになった。

太宰が終戦直前から1年4ヶ月滞在し、23の作品を書いた場所だそうだ。それ以前にも、家族とのここでの出来事を描写した作品がある。30年ほど前に読んでから私の頭の中に文字で入ったまま薄ぼんやりしていた世界が、急にオールカラーの立体で現れた。

館内を管理されている方が、場所ごとのエピソードを丁寧に案内してくださった。ここで展開された家族や知人たちとのやり取りなど、作品名とともに教えてくれる。うる覚えになってしまっていた作品も多かったけど、そうそう、そういうシーンあったな、切なかったな、と懐かしく思い出した。

話を聞いている最中、手に持たれた文庫本が気になった。長く読み込まれているんだと思う。色が変わって、あちこちに付箋が貼ってある。私の本棚の奥に眠っているのと似ていると思った。本当の太宰ファンの方だ。私は大人になるときに何となく遠ざけてしまったけど、ずっと大事に読んでいる人がいる。なぜか泣きそうになった。

この廊下を歩いたんだ、ここに座って家族や友人と会話したんだとウロウロ何周もしてみる。建物自体がとても綺麗に保存されていることもあり、遠い過去のことでもなく、リアルに今、ご本人がひょっこり現れてくれてもおかしくない気がした。

品があってセンスのよい洋室
床は寄木細工になっていた。手が込んでいて、昔のお金持ちの家らしい素敵な廊下
たくさんの作品が書かれた書斎。長々と向いに座ってみた。ペンを置いてふっと顔を上げ、何かオシャレな冗談を言ってくれるような気がした。

思春期に熱中して読んだ作家だった。生誕100年を超えてもたくさんファンがいる。当時、青森で4番目にお金持ちの家に生まれたお坊ちゃんだったらしい。自分の育った環境とは全然違って、時代的にすれ違う可能性もなかった。でも、親戚のような、近所で仲良くしてくれた人のような、妙な親近感がある人だった。その存在に触れられて、とても懐かしかった。

マントルピイスには、下手な木彫が一つぽつんと置かれている。ソファには、豹の毛皮が敷かれてある。椅子もテエブルも絨毯も、みんな昔のままであった。私は洋室をぐるぐると歩きまわり、いま涙を流したらウソだ、いま泣いたらウソだぞ、と自分に言い聞かせて泣くまい泣くまいと努力した。

『故郷』,太宰治,昭和18年,新潮




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