セクハラ・インターフェース:性と身体を巡る表象とテクノロジー


学部時代、異様に気合いを入れて執筆した「セクハラ・インターフェース」についての卒業論文を試験的に販売してみます。4000文字のサマリは学部のweb(http://hyosho-media.com/xett/vol_1/cri_5.php)でも公開されていますが、noteでは20000文字を全公開。ただし、noteの仕様が論文に最適化されていないため、脚注なども見たい方はmojarin{at}gmail.comまで個別にご連絡ください。pdfデータをお送りいたします。

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目次

はじめに

本論

  1章 作品の概要

  (1)セクハラ・インターフェースとは

  (2)日本人と性的クリエイティビティ

  (3)妄想から実装へ

  (4)パフォーマンス/展示時のリアクション

  2章 リゾームの可視化

(1) プラスチックな身体ー可塑的なからだへの欲望

プラスチック・ボディの台頭/ノンリアルなキャラクター身体/予測可能・合理的な性/美術の中のプラスチック・ボディ/ナマモノの復権

(2) アブジェクションと女性

おぞましい身体表象/テクノロジーが、抑圧されていた無意識を可視化する/女性自身による身体表現とデバイスの結びつき

おわりに

参考文献


はじめに

 本論は、2009年10月~現在にかけて渡井大己・慶野優太郎と共に制作した「セクハラ・インターフェース」の解説文として執筆した。

 現代の日本人の心性の中で、性は極めてアンビバレントな感情を呼び起こすものだ。男根が古来より神聖なものとして豊穣を司るシンボルであったという事実からもわかるように、日本人は本来性に対する親和性を持っていたが、戦後に西洋から流れ込んできたキリスト教的な性への罪悪感やセキュリティ社会における犯罪への過剰な恐怖心の煽りを受け、性は検閲・排除されるべきものとして社会的に隠蔽されることとなった。また、日本では優れたメディアアート、デバイスアートが生まれているが、この分野においても、露骨な性表現は回避されてきた。しかし、日本を見回すと、性にまつわる素晴らしいクリエイティビティが様々な分野で見受けられる。それはまだアートとはよばれないものかもしれないが、それらの持つ圧倒的な魅力と、日本人の機械・デバイスへのフェティシズムを融合させたメディアアート作品を制作したいと思い、このセクハラ・インターフェースの開発を始めた。

 セクハラ・インターフェースは当初、このように日本の持つ性的イマジネーションを表現するデバイスとして制作を始めたものだが、一年間に渡り開発をしていくにつれ、身体の人工/ヴァーチャル化、女性性の孕む美と醜など様々な分野にそのテーマが飛び火していった。作者自らが自分の制作物を分析し、そこに潜むテーマを分解して解きほぐし、整理し、性表現とテクノロジー、または女性とテクノロジーの新たな可能性を見出していくことに本稿では挑戦していきたい。

本論

(1)セクハラ・インターフェースとは

 まず、セクハラ・インターフェースというデバイスの概要と制作の経緯について述べていきたい。

 fig.1

 セクハラ・インターフェースは、使用者のインタラクションに応じて喘ぎ声を発生させるパフォーマンス用ガジェットとして制作した。生の大根をインターフェースとして使用し、筐体である大根に鑑賞者/パフォーマーが接触することにより、デバイスから女性の喘ぎ声を発生させることができる。パフォーマンス時にはキッチンを模した空間を作り、まな板、大根、包丁、泡立て器、フォークなど、女性が日常的に使用する日用品を駆使しながら演奏する(fig.1)。大根ガジェットが発する喘ぎ声は、加速度センサを利用した泡立て器型ガジェットで攪拌し、音の波形を歪ませるエフェクトをかけることができる。二人のパフォーマーの相互作用により、喘ぎ声が歪み、捻れ、ノイズ音に変化していく。

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