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tiba-tiba休学記念日

時刻は西暦2023年2くのひ、3:50ぷん。。


いろいろあって、休学することをきめたひ。

まだなにもしてないけど、このきもちとっておきたくて、冷凍食品のようにあたたかいうちに文字に起こしてあとでみかえせるようにとっておくの。



去年のいまごろについて

 数週間?数日前から漠然とした将来の不安がかけよってきた。

ねえ。はるきもか、将来どうするんだっけ?ゼミの同期のあのこは、大学院4つ受験。あの子は就活やっぱやるって。あの子は休学延長。あの子は秋から復学。

あなたは?研究室訪問もして、準備万端そうだけど、受験すんの?

去年の今頃、ちょうどゼミに入って最初の発表日が近づいてた。今回もあと2日後に発表迫るけどまだ。。はい。

去年の発表で先生に言われた言葉でわたしの3回生の1年は決まったもん。
インドネシアにおける超自然能力がいかに現地の自然保全に貢献しているかって文献を読んでレジュメ作ったんだけど、超自然能力が資源管理の中で「低コスト」という文脈で語られてしまっていることに漠然としたショックをうけた2回生のはるき。その発表にたいする先生の言葉が、

「このかきっぷりかすると、現場にいったほうがいいよ」

的な感じだったのよ。録音聞き返せばちがうこといってるかもだけど。

ちなみに私のゼミの先生は社会学の専門でめちゃんこ見た目も美しく講義も学生がいかに理論や学問を楽しく理解できるかめちゃ真剣に愛情たっぷりつくっているから、すんごく激熱な授業する先生。専門社会学ってつまりほとんど網羅してて。すごい人なの。

かっこいい論文を書くかっこいい人でいたいワタシ

 そもそもゼミに入ったのは、大学で開花したと思われる自分の知的好奇心の根を下ろすことと、ゼミに入って論文を書くなんかカッコいい人でいたかったから。
 環境保全やシャーマニズムとか自然観とかに関心ありそれで論文書きたかったんだけど、文献を読んでも情景とか浮かばなくてとにかく楽しくなくて、高校でフィールドワーク言った経験もあって、とにかく現場をもってなにかしたいというのもあった。だから、この先生の言葉を都合よく解釈したのもあって、とにかく現場を見て論文かくことが私の目標だった。

あれ?も、もしや。。。アナタだったのね!

 高校で留学したインドネシアをフィールドに論文を書くことが夢だったけど絶賛コロナ中だった昨年、しかも金もないしインドネシアでのフィールドワークはあきらめていた。国内でどっかあればいいな。なんておもっていた。
 時は同じくオールして挑んだ初のゼミ合宿が終わって、2週間もたたず、屋久島で開催される環境系学生のイベント運営のために屋久島へ行くことに。そもそもこのイベントに参加するのもインドネシアで日本語教育するプログラムに落ちたからであり、屋久島でのイベントに行く予定をしてなかった。でも見事にインドネシア行きが目的で日本語教育に興味あんまなかった私の本心は無事審査委員に届いていたようで、落ちてよかったなと1年後の私はおもっている。Terimakasih.
 そう、それで屋久島に行ったんだけど、この時はここをフィールドに研究しようとかさらさっらおもってなかったの。ほんとに。

でも、たしかイベントの3日目とかの夜に会場の環境教育施設にあった屋久島の昔の暮らし書いた絵本に出会ってそこに山岳信仰があることを知った。

想像力が極端にあるようでないわたしは屋久島にそういう文化あるのまじしらなくて、え!?岳参り(春と秋に信仰対象の山に登って豊作祈願と感謝する行為)あんの!?みたいになって、これはもしや研究になるかもしれないと胸がとぅくんとぅくんしたのでした。

休学せずに屋久島で調査をする

 イベントが終わり屋久島で調査をしようと思った私はその時休学していっちゃえー!!と思いその乗りで親に行ったら、
「休学したら卒業せずに退学しそうだから、長期休暇で通いな」

と父母共に反対された私はガン泣きしながら、「私が本当にやりたいことは親に反対される」という歪みまくった不本意な現実をつくりました。

でもこの「反対」と、コロナの恩恵=オンライン講義のおかげで、私は2022年、3回生の総計5か月ほどをオンライン講義受けながら屋久島で暮らすことができた。
イベントで知り合った自己主張激しいやつを快く共同生活者として向かい入れてくれたりんとあかりんには棺桶にはいっても感謝し続ける。

約3拠点生活をふりかえって


 そんなこんなで調査地も無事みつけ、住むところにも恵まれ、そうそう、ずっと火を灯していたフラ愛が再熱し、私が求めていたベストの形で先生にも出会えた。ありがとう。
 結論3拠点生活はめっちゃくちゃたのしい。でも、私は私が思っていた以上に家族という血族が大好きで結構ホームシックだってこと。
まだまだ距離感調整期間なのかもしれないけど、なんだかんだ大好きなんだって思ったのだった。

 肝心の研究は、1年たってやっと自分が研究したい核がみえてきたけどもはやそれは政策提言で貨幣経済をどう生き抜くか的な感じで。自然保全からスタートしたけど、自然保全という概念がうまれちゃう社会への疑問、貨幣資本経済の光と影、宗教とか儀礼とか象徴的にとらえるのでなく人の営みとしての生をどう論文に落とし込み自分の人生に反映させるか考えてえわしはよお。だれだよ。でも思った以上に私の脳は単純で正直で素直すぎてめんどいようだ。

院進学したいんです!「院卒業後はなにしたいの?」


 3拠点生活や屋久島での自然、自分と還る経験(未来塾、メンタルモデル、NVC,はじまりのたび、beの肩書)をした。やっぱり自然との距離大事って心から体感。
あと、生活環境主義と見田宗介と真木悠介と山尾三省と屋久島のおとなとの出会いで学問のおもしろさに気づいてしまってメザメタわたしは、ひとまず

このまま就活することはなんか違うぞという感覚を信じるもどうしていいかわからず、就活しないから院進学という思考で、研究室訪問に2月上旬励んだ。

HPでみるイケおじ教授たちとのお話は本当にたのしくめっちゃ忙しい時期に訪問するこんな私を受け入れてくれて本当にありがたかった。しかし。わたしは、この質問に苦しんだ。
「院卒業後はなにしたいの?」

・・・・・・「あれ、わたしのゆめって、フラダンサーなんですよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おーーーーいいい。なんだこの会話。あたたかい教授2人は悩むわたしに対していろんな角度で助言をくれたが、わたしよ。院進学ってそんなかんたんじゃないよ?
すごろくでゴール前にふりだしにもどったきぶんだった。

あ。休学していいんですか?まだ間に合うわ。

 そんなこんなで半べそ状態で母と電話した昨日の23時。

「なにがしたいかわからないけど、このまま就活することはできなくて。絶対すぐやめちゃう。でも院進学もする勇気なくて。どうしたらいいんだろう。社会は変えたいの。」

何ターンかしたあと

「休学してみてもいいんじゃない?」
「・・・・え!いいの???屋久島行くときは反対してたから、てっきり最短で卒業しなきゃいけないと思っていた」

周りの仲間がどんどん休学する中、私の中で休学ってなんか遠い選択で、しちゃいけないって思っていたけど。

コペルニクス的転回と言ったら大げさだけど、

でも休学したらやりたいこと全部叶うなって。

2月15日が休学申請締め切りで、12日に別府でるわたし。いやもうこれ、休学するわ。

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ということで休学という名の私なりの就活をしてみようと思いました。めだたしめでたし。


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