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子どもの性教育、いつするか

子供の性教育、いつするか。

今日は、何歳ころに?という話ではありません。(強いてその話をするのなら、0歳からが望ましいけれど)

24時間のうちのどのタイミングで?という話。

(ちなみに現在、我が子は3人、小3男子、5歳女子、2歳男子)

最適タイム

わたしが、最近よいなと思っているのは、「お風呂タイム」

お風呂タイムは、物理的に裸なので、体の話がしやすいのです。普通の時間は自然にそういう話にはなりづらく、「ちょっと話聞いて」という感じでわざわざ機会を作ると、どうも説教じみるというか、向こうも、教育か!という感じで身構えるので…。

プライベートゾーンの話

性教育といっても、即セックスの話をするわけではなく、いまは体全般と、プライベートゾーンの話をしています。(セックスに繋がる話になったことも何回かありますが、出来るだけ普通に、聞かれたことに対して正直に答えています)

最近、2歳弟が、8歳兄のチンチンを触りたがるブームが訪れていて(高さがちょうどいいらしいw)、コラコラ人のを勝手に触ってはいかん、と2歳を嗜めつつ8歳にも向けて、「学校でも友達のパンツまわりは、男も女も触っちゃダメだからね、カンチョーもリアルではダメな(※アニメでは一緒に笑ってます)」と言うと、うん触らない。と言う。(プライベートゾーンという言葉は訳語なんだろうなと思うけど、どこかよそ行きで個人的にあまり馴染まないのでパンツ周りとか言ってみる。何か他にいい言葉はないかな)

2歳は、言ってすぐに言うことを聞くというのは難しくても、日本語は結構理解してるので、とにかくその意図を伝え続けるという積み重ねをしています。

生理の話もできる

あとは、自分が生理のときなどは、布ナプキンの洗濯をあえて風呂でやってみたりします。そんなわけで、これが経血だ、というのは家族全員見ています。

8歳男子は、それ痛くないの?とよく聞いてきます。男性や子供は怪我した時しか出血しないわけで、普通の反応だよね。「いやこれ自体は痛くない。自然と出てくる」とまんま答えます。

生理痛の存在とメカニズムも、話したりします。酷い時は、マックス腹壊してる時くらいクソヤバいしぬ、と若い頃の体感をそのまま伝えてますが、3年生が普段使っているようなラフな言葉にあわせた方が、伝わる気がしています。(※幸い出産後は子宮の仕様が変わったのか、そういうことはなくなりました)

最近は、「生理の貧困」と言うトピックがしきりに話題になりますけど、金銭的な理由で生理用品が買えないという話のほか、生理にまつわる「羞恥心」というのが、このトピックの深刻な柱のひとつになっているように思います。(親族に恥ずかしくて言えず、生理用品が手に入らない、とか)

そもそも、生理は隠れてコソコソ処理するもの、という価値観があって、わたしも、実家で男家族(父&弟)とその話をしたことはおそらくほとんどないですね。女子校時代ですら、人前で生理用品を見せるのはかなり憚られました。この感覚は標準だと思います。

今はTwitterがあるので少しずつ変わっているのかもしれないけど、このように、世の中にとって生理というのは裏に隠れたもの、です。

でも、子どもたちの世代では、ちょっと変わるといいなあと思っていて(コソコソすることが、上記の貧困にもつながる意識を作ってるから)、少なくとも我が子らには、「これは日常の一部でフツーで、したがって別にコソコソしない」という姿を見せたく、自分の意識を補正しながら、日常でそういう演出をしているのです。

「これ(経血)は、赤ちゃんのたまごのためのベッドで、使われないと、お掃除モードになって月に1回出てくるの」

この説明で子どもたち(8歳男子、5歳女子)は生理を理解していて、生理や経血を「赤ちゃんベッド」と呼んでいます。

5歳女子は、「自分もはやく赤ちゃんベッドになりたい」などと言っていて(笑)早ければ10歳、だいたい12,3歳くらいだよと、事実を伝えます。ともかく、何やらたのしみ楽しみにしてくれているのは、わたしとしては嬉しいです。

ちなみに8歳男子には、男には生理はないけど、そのかわりあなたもその頃にチンチンから赤ちゃんの種が出てくる。ただしママにはチンチンがないためあんまりよくわからないから、詳細はパパに聞いてくれ、と言ってあります。

身体の成長のこと、わたしのこと

8歳男子にも5歳女子にも、小学校の高学年のころになると、だんだんと大人の体になっていくよ、ということを伝えています。風呂だからサンプルが目の前にいてわかりやすいだろう(笑)

前にも書きましたが、わたし自身の思春期序盤は、自分のからだが変化していくことがポジティブに受け入れられず、女の体を得て女のジェンダーを押し付けられていくのが、めちゃくちゃ堪え難い、と感じていました。

みんなが自然に受け入れている(ように見える)それを、同じように素直にできない自分は、トランスジェンダーなのかもしれない、と悩んだこともありました(当時はこの言葉はなかったが)。

マッチョな女子校(※「男と対等に」ということをやたら強調する母校)にいて、周りが全員女子だったおかげで、ある意味、その苦しみからは多少逃げられていたのかもしれませんが、共学の大学に入った時のギャップは相当でした。

女の要素を身体の内外ともに悪気なく要求するコミュニケーションが横行していて、素直なわたし(自分で言っちゃうw)は随分翻弄されて、これはこれで余計な苦しみを産んだように思います。はー あいつらまじ死んで。(←特定の人物に向けてない毒)

外の世界に出れば、何かしら葛藤が生まれるのは、人間やってる限りはある程度仕方ないことですが、幼児期、学童期に、親がからだの特性や、変化する体を持っている事実を教えることで、なるべくポジティブに変化を迎えられるように、してあげたいなあと思うのです。

セクシャリティやジェンダーの話は、もう少し彼らが自分を語る言葉を持ちはじめたら、対話したいな。

キラキラスピリチュアル風に、あなたは素晴らしいとかなんとか伝えるより、理科的に伝える方がわたしの趣味ですね。

素晴らしいとかあえて言わなくても、この仕組みで生きてることが驚異で、何よりロマンチックなのだから。

欲望のこと

さて、からだのことはこの調子で伝えていくとして、性的な欲望のことをどう扱うか、どう伝えるかがわたしのこれからの探求テーマです。

ちょうど今日、zoomで「科学と魔法」というタイトルで、これら2つの関係と科学史を大真面目に人前でお話ししました。

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ざっくり言えば、世の中の現象のうち、説明できたものが科学、説明できないものは魔法で、その境はなく元来地続きのはずが歴史の過程で断絶し、そして科学から遠いものを人は見なくなってしまった、という話。

「欲望」はまさに、科学の範疇では説明しづらい心の領域、魔法の領域と言えるのかもしれません。

そういう欲があるのは生き物として普通だぞ、は科学。今の性教育はせいぜいそこまでしかやりません。(もしくは、そこすら出来ていないのが日本の現状なのかもですが)

だけど、この欲望の地図を見る術は、誰も教えない。アンダーグラウンドのコンテンツか、もしくはサブカルチャーでこっそり知るというサバイバルな現状です。

大人はそれを放置するばかりか、さらに青少年からそれを切り分けて、自分を知る術すら奪おうとしているわけです。

もちろん市井のコンテンツがすべてよいものとは言えないけれど、その玉石混交も含めてこの世の地図なわけで、大人がやるべきことは、真実を隠すことではなく、青少年の欲望の存在を認め、受け入れ、欲望の地図を読み解く力(リテラシー)や、バランスの取れた人間関係を作る力のベースになる価値観を醸成することだと思います。人権教育がそれにあたるでしょうか。

あるものを無かったことにしてしまう蒙昧は、科学至上主義の世の中では必然なのかもしれませんが、人類は、人間の情動の力にもっと真摯に向き合うべきだ、といつもわたしは思っています。


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