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元宣教師の現役クリスチャンです。私生活では2年目研修医をやっとります。 以前はキリスト…

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元宣教師の現役クリスチャンです。私生活では2年目研修医をやっとります。 以前はキリスト教関係の投稿をメインにしていましたが、最近はめっきりポルノ依存関係の投稿になってきました。 立ち直りの過程をこの場で一緒に歩んでいけたらと思っています。

マガジン

  • ポルノ依存症関係

    ポルノ依存症について、克服の過程(まだ途中だけど)を記した記事を纏めていきたいと思っています。

最近の記事

消えた性欲

※内服治療は医学的な知識及び判断が求められる 為必ず近くの医師や専門的な知識を持った人の判断を仰ぐ事を推奨します。 ビッッッッッックリである。 正直ここまで効くとは思わなかった。 前回の記事でアレコレ性依存に効きそうな内服薬を検討して 最終的にその中の1つを選んで実際に服用してみたのだが これがま~ビックリするくらい劇的であった。 私が試したのはアリルエストレノール錠25mgのものだが (本当はクロルマジノンの方が安いので良かったが  なぜかことごとくメーカー欠品中) 最

    • 性依存と内服治療

      ※ここで記されている内容は個人の見解であり一切医学的に実証されている内容ではありません。 治療に当たっては必ず近くの医師と相談の上、進める事を推奨します。 タバコやアルコールに関してはある程度有害性が認知され その治療方法も確立しつつある。 現に禁煙外来や、アルコール依存治療を実践するクリニック 病院は探せば割合簡単に見つかる様に思う。 またタバコ、アルコールには補助薬も存在する。 タバコの代わりにニコチンを摂取できる ニコチンガムやニコチンパッチ またバレニクリン(商品名

      • こうなるとは思っていたけれども

        今日も誘惑に屈した。 昨日もだ。 つまり1日たりとも禁欲期間が続かなかったことになる。 かくして依存症への扉は開かれた。 直近で覚えているので振り返ると、3月の上旬に禁欲が破られた事。 その時は2か月ほど続いていた。 その次は4月の27日。これは奨学金返済のストレスがきっかけだった。 その次は5月4日。これはGWに調子にのって連日救急当番を引き受け そのストレスに負けた。 その次は6月16日。これのきっかけはあまり思い出せない。この頃からストレスのみで影響されなくなってき

        • 結局依存症ってどうやって止められるの

          研修医として働いている中で、精神科を研修する期間があった。 その中で、上記の質問について、現役の精神科医に尋ねてみた。 依存症患者の多くは、先に家族が参ってきて病院に連れてこられるらしい。(この場合は多くはアルコール) だが、本人に改善する意志がない場合、その段階では治療介入せず暫く様子をみるそうだ。 何故なら依存症は進行性の病態であって、その生活を続けていくウチに必ずどこかで破綻が起きる為だという。 その破綻が来て始めて依存症治療はスタートラインに立つそうだ。 実際に精

        消えた性欲

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        • ポルノ依存症関係
          7本

        記事

          渇望が止まらない

          最近この本を読んだ(全2巻のウチの1巻のタイトル) 数多くの場面で非常に共感でき、そして私自身もセクサホーリスク・アノニマス(http://www.sa-japan.org/contact.html)への参加をしようと思わせてくれた本である。 この中に痴漢依存の人の話が出て、その人が痴漢しやすそうな人を見るや否や、一切周りの声が聞こえなくなって、痴漢行為に進んでいくというエピソードがあるが、その感覚は非常によくわかる。 何かのきっかけで、(あるいは単なる依存周期で)体にスイ

          渇望が止まらない

          再びポルノの魔の手が

          何という事だろうか。 タイトルのとおり、再び私の人生にポルノが入り込んできた。 前に、ポルノ依存だったが克服できたという旨の記事を書いたのだが依存というものは完治はしないらしい。表面に出てこなかっただけで常に私の心の奥底で燻っていたのだ。それがロコツに今前面に出てくるようになった。 きっかけは仕事のストレスだったように思う。 2021年に医学部を卒業し研修医となって働き始めた。 私が最初に配属された部署は救急科だった。 医師免許を取ったとはいえ、すぐに何かが出来る訳もなくと

          再びポルノの魔の手が

          現代のクリスチャンは踏み絵を踏むか

          踏み絵 日本史の教科書等で目にしたアレである。 隠れキリシタンをあぶりだすべく、キリスト像を前に踏めば処刑、踏まざれば自由というものである。 上の画像もそうだが、踏まれ過ぎたあまり、写真の像も、奔流の中で角が取れた川石の如くツルツルになっている。 踏むだけでこんなになるかねと思うが、 それだけ多くの人がこの絵と向き合ったという事だろう。 さて先日、職場の同僚にこんな事を尋ねられる機会があった。 「君は今踏み絵があったら踏むの??」 というものである。 もちろん踏めば”

          現代のクリスチャンは踏み絵を踏むか

          ポルノに人生を破壊されかけたっていう話

          ポルノはれっきとした依存症の一つである。 少なくとも私にとってはそうだった。 この記事を訪れて下さった方は、ポルノを止めたいと思っているが 止められないorポルノに苦しんでいる知り合いを持つ等の人であると思う。この記事があなたにとって少しでも役に立つ内容になれればと思う。 ポルノ依存になる人の多くは 幼い内にポルノに出会う→使用頻度が増えていく→どんどんコアなものを 求める様になる→生活がポルノ中心に置き換わっていく という経過を辿る様に思われる。 私自身最初にポルノに

          ポルノに人生を破壊されかけたっていう話

          クリスチャンと性

          ➀最も困難な戒めしかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。マタイによる福音書5:28  まず最初に強調すると、ポルノはクリスチャン界隈では罪である。これには当然自慰行為や妄想にふける事も含まれる。これは現代社会に蔓延る最大最強の罪であり誘惑であると言えるだろう。おおよそ男として生き男として育つ中でこの罪と無縁であった剛の者はどれだけいるだろうか。はっきりいって、私は無理であった。が、同様に申し開いておきたい。今

          クリスチャンと性

          クリスチャンとして生きること~安息日について~

           世の中には多くのキリスト教宗派が存在し、それぞれの生きざまがまた多種多様である事を踏まえた上で、あくまで私自身が生き、見てきたものとして前置きしたい。 出エジプト記20:8「安息日を覚えて、これを聖とせよ」  宗派の違いこそあれど、この原則は基本的には共通していると思う。我々は日曜日を安息日として特別な日として過ごす。教会に集い、奉仕をし、その日は極力仕事や勉強などいわゆる日々の煩い事は慎む。私の知り合いには生まれてこの方運動会に参加した事がないという人がいた。日曜日であ

          クリスチャンとして生きること~安息日について~

          栄華をきわめた時のソロモン

          この花とこの記事のタイトルからどの聖句か思い浮かんだ人はいるでしょうか。まずNoteで聖句をシェアしようと思った時に真っ先に思い浮かんだ聖句がこれでした。 こどもの時からクリスチャン家庭で育ち聖文に親しみながら生活をしていた当時の私でも、その簡潔でわかりやすい原則に心惹かれたものです。 時代が進歩するにつれ、情報が増え、タスクが増え現代人はかつてないほどまで多くの物事に追われているかと思います。私もふっと一息つけるのは安息日である日曜日くらいなものです。 だからこそこの聖句

          栄華をきわめた時のソロモン