過去の苦味は未来の旨み

最近「こんなところであの経験が役に立つとは」という出来事が重なった。

昔のバイトであったり、今はあまり熱心でない趣味であったりの経験が、直接関係のない仕事や私生活で活かされている。

過去の私が中途半端にしてきたものたち。
それらは途中で投げ出したことで、後ろめたさすら感じる負の遺産だと思っていた。なのに、世の中わからないものである。

今になって役に立ったことで、自分では黒歴史だと思っていた過去の認識までもが変化した。
過去に抱いたマイナスの感情はただの思い込みで誤りだったのだと、自然に思えるようになった。

世の中には、自分ではなんの役にも立たないと思っていた知識を、欲している人がいる。
プロフェッショナルになれなくても、完璧じゃなくても、あなたがいてくれて良かったと言ってくれる人がいる。

今までは「何事も経験だ」なんて、よく聞く昭和のアドバイスだと思って骨身に染みていなかった。
けれど自分ごととして体験したことで、言葉の重みを実感できるようになった。

こんなことを書いても、私同様、まだ自分ごとになっていない人には響かないかもしれない。

けれど
「こんなこと続けて意味があるのかな」
とか
「何年も進歩がないな」
とか
「努力しても結果がついてこなければ意味がない」
とか思っている人は、少し考え方を変えてみてほしい。

続けることに意味を求めて辛くなるなら、とりあえず目の前のことを楽しむのに集中したらいい。
意味があるかないかは、ずっと未来にならなければ確定しない。今できるのは始めたときのワクワクを思い出すことだけ。

けれど、それをするのが辛いだけなら、辞めてもいい。
今までの経験はゼロにもマイナスにもならない。今日まで続けてきたものは、あなたの中に残り続け、どこかで花開くかもしれない。

進歩がないと思う出来事でも、後になって役に立つ可能性がある。
同じことの繰り返しのように感じても、きっと少しずつ工夫が蓄積されている。その工夫は別の何かに活かせることもある。

今の努力が自分の目指したゴールに辿り着かなくとも、別のゴールへ導く立札になるかもしれない。
噛み合うはずがないと思っていた歯車が、カチッとはまる日もあるだろう。
あなたが無駄だと、ゴミだと思っている経験が、ある日ステージの中央で脚光を浴びる。

そんな日はこないかもしれないし、くるかもしれない。
わからないうちは、それは無駄でもゴミでもない。
タイムマシンがない現代では、死ぬまでわからないということになる。

だから意味がなかったと思う経験も捨てずに保留しておこう。
日本の狭小住宅ならば物理のモノは断捨離する必要もあろうが、幸い経験を貯める部屋はドラゴンボールの「精神と時の部屋」並に広いはずだ。


私は、意味がなかったと思っていた過去が活かされたことで、今はまだ役に立っていない過去の経験も「アリよりのアリ」だと思えるようになった。
もちろん思い出したくない経験もある。そういった無彩色の過去すら、今のわたしが認知を変えたことで、わずかに色彩を帯びた気がする。

現状を思い悩んだところで、結果が出るのはもっと先の話。
そうして今日もせっせと働いてきたのでR。

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