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獣の奏者 上橋 菜穂子

読了日:2014/5/1

獣ノ医術師の母と暮らす少女、エリン。ある日、戦闘用の獣である闘蛇が何頭も一度に死に、その責任を問われた母は処刑されてしまう。孤児となったエリンは蜂飼いのジョウンに助けられて暮らすうちに、山中で天を翔ける王獣と出合う。その姿に魅了され、王獣の医術師になろうと決心するエリンだったが、そのことが、やがて、王国の運命を左右する立場にエリンを立たせることに……。(講談社、単行本紹介文から引用)

この作品は1(闘蛇編)ー4(完結編)まであり、さらに外伝もあります。
結構なボリュームもあるんですが、読み始めたらとまらんかったーー。
間違いなく面白かったです。

この作品の根底に流れるテーマは、
ヒトも含めた生き物たちの「生の在り方」かなぁと思います。

エリンは獣の生態を探り続け、その先にある矛盾や隠されている事柄を知ります。
闘蛇や王獣には国が定める規範があって、それに従った管理をしなければいけないんですが、エリンは悩んだり悲しんだりしながらも、規範を越えて、その先にあるものを見定めようとするんですね。

「家畜の安寧 虚偽の繁栄♩」(進撃の巨人の歌)
じゃないですけど、エリンは王獣だろうが闘蛇だろうが人間だろうが、家畜のように管理され囲われた生を悲しみ、それをよしとせず、獣の秘された生態を露わにし、過去の人たちが隠し通していた技や秘密を自らの探究心でもって明らかにしていきます。
ここらへんは漫画版ナウシカとちょっと共通してると思いました。

「秘密を明らかにする」
というのは、実際どうなんでしょう。。
ナウシカでもこの本でも、罪深いことではありつつも割と肯定的なこととして書かれています。
でも秘密にしておいて、深追いしないほうが安全だったような気もするんだよなぁ。

みんながエリンやナウシカみたいに慈悲深く思慮深い人ばかりではないし、バカな人がバカなことを考えないように為政者や過去の人が秘密を隠すというのも間違いではないと思う。

例えば「財政難なのに公安の会計はオープンにされていない。問題だ!」という意見が時々あったりもするようですが、秘密裏に捜査や調査も必要なわけで、そこをオープンにして国家や治安が危険になるのはダメだよなぁとも思うわけです。
ただの一般人がちょこっと知って納得したいがためにそこをオープンにするのはリスクが大きすぎるような気がして。。

隠すこと=悪い
と杓子定規にはいえないよなーと。
この物語でもそんなことは言ってないけど、なんかエリンに同感しすぎるのも危ういよね、とも思うわけです。

ま、そうはいいつつ、エリンやナウシカみたいな、ある側面からみると破壊者的な行動、私は大好きだし、自分もこうありたいと思うんですけどね(笑)

こういうのは人によっても立場によっても状況によっても考えは違うと思うので、だからテーマになるんだろうね!

Kindleは場所をとらないもんで、
小説だけじゃなく色んな種類の本を読むようになりました。
で、気付けば小説を読んだのが久しぶりになっちゃってたんですが、小説はハマると危険ね。
続きが見たくなっちゃっていけません(笑)
いつでもお手軽に読める小説以外の方が今のライフスタイルにはあってるんだなぁとしみじみ思いました。

ワタクシ的名言

「エサル師は、あんたが霧の民の血をひいとることは無視せぇって、おっしゃったけど、それは無理やんなぁ?違うところがあったら、気になるんが、人ってもんやん。
わたしはなぁ、無視するんじゃなくて、その違いを勝手に悪い意味にとるような、くだらんまねはせんって、はっきり伝えることのほうがずっと大事だと思うん」(闘蛇編 より引用)

エリンの友達ユーヤンの台詞。
これ、本当にそう思うなぁ。
無視したり触れないっていうのは逆に意識してて変だと思うんだよねぇ。
気を使うその行為がまた相手を傷つけると思うんだけど。。。

「あのね、初等の学童たちは、糞集めを卒業するときに試験をされるのよ。担当していた、一頭一頭の糞の状態について、口頭試問をされるの。
ほとんどの子は愕然とするわ。糞には、そんな大切なことが隠されていたのかと。自分が気づかなかったことに愕然とする 。それがいい経験になるのよ」(闘蛇編より引用)

そうそう。こういう失敗とか体験こそ教育だと思うんだよねぇ。

天然の理を越えたる大きな群れを、災ひ起こさず治め得る知恵など、いまだ人は持たず。哀しきかな!と。
祖父の言葉、我が胸に沁む。
小さな群れの貧しき平和。大きな群れの諍ひ大き豊かさ。
我、常にこの言葉を胸に刻みおき、闘蛇の数を我が手の内にとどめおかむ。(探究編より引用)

人の世の真理ですなぁ。

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