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【読書感想】木練柿 あさのあつこ

この本の概要

あの男には力がある。人を惹き付け、呼び寄せ、使いこなす、それができる男だ。娘は、男から刀を受け取り、抱き込みながら何を思い定めたのだろう。もう後戻りはできない。月の下でおりんは「お覚悟を」と囁いた。刀を捨てた商人遠野屋清之介。執拗に事件を追う同心木暮信次郎と岡っ引伊佐治。時代小説に新しい風を吹きこんだ『弥勒の月』『夜叉桜』に続く待望のシリーズ登場。

「BOOK」データベースより引用

感想

弥勒の月シリーズ第三弾。これまでの二作は長編でしたが今回は四つの短編でした。長編もいいけど短めのもいい。
それぞれの物語に登場する周囲の人々や様々な立場の人との会話で、信次郎や清之介のみえなかった人物像が少しずつみえてきて、より、その人となりに厚みが増してきてる感じがします。

特に信次郎。性格に難ありなのは変わらずだし、近くにいたら確かに「あー嫌だ」ってなると思うんですけど、なんだってこんなジャックナイフなヤツになっちゃったのかが気になります。
もともとなのか、お父さんの死が絡んでたりするのか?
私が続きを読みたいと思うのは、彼を知りたいという要素も大きいです。

もうひとつは清之介さん。この人がどう過去と対峙していくのか、そこも気になります。
つらい過去を抱えている彼が、うっかりダークサイドに落ちぬよう見守っていきたいと思います。


ワタクシ的明文

ともかく『梅屋』の様子やそこで働く太助の姿を見たい。そのうえで、決める。
自分で決めるのだ。
「外見からじゃわからんが、おけいの内っかわには芯が一本通っているようだな。鉄の棒みてえな硬い芯がよ」
嫁いで間も無く、舅の伊佐治に言われた。伊佐治は少し急いだ口調で、
「いいことなんだぞ。人間、芯がなきゃあ泥人形と同じ。簡単に崩れちまうからな。」

p159 宵に咲く花

「宵に咲く花」は、伊佐治の息子の嫁さん・おけいのお話。おけいが結婚する前に自分の旦那となる太助を見定めようと、太助の店(伊佐治の店)を訪れたことについて、後に伊佐治から言われたことば。
「人間、芯がなきゃ泥人形と同じ」。たしかにそのとおりだなぁと思いました。一方で、自分の芯がどこにあるかっていうことにはきっと多くの人が無自覚だとも思う。私も、自分の芯ってなんだろうな?って考えたけど、よくわからないもんね。
「楽しく生きる」「味わい尽くす」「幸せに暮らす」とかかなぁ?

赤子を育てたとて何も変わらんさ。死神は死神。夜叉は夜叉。それだけのことよ。
信次郎がいつもの皮肉な言い様をしたとき、伊佐治は胸中でそっと否と呟いていた。
変わるのだ。
人は変わる。人は人によって変わる。
良くも悪くも、清くもおぞましくも、聖にも鬼畜にも変わる。

P292 木練柿

「人は変わる」「人は変わらない」。
いろんな場面でこのふたつの考えは耳にします。
たとえば仕事してて「この人イヤだなぁ」って思ったとき、「人は変えられないし、あの人に変わってもらうことを期待してもしょうがないか」と思う人も多いでしょう。
逆に「前はこうだったけど今はこう変わった。人ってこんなにも考え方が変えられるんです!」みたいな話も聞きます。
「人は変わらない」は他者に対して使われることが多く、「人は変わる」は自分自身の変化にフォーカスしたときに使われることが多い気がしています。
「人は変わらない」は、たしかにひとつの真理かもしれない。けど、対象となる人の心が自ら動けばきっと変われるのだと思います。
伊佐治は、人は変わることを信じている。悪く変わることもあるけど、良く変わることもあると信じている。
本当に、彼はこの小説の良心だなぁ。
いいヤツだ。

人の生きる道は優しくも温かくもない。あちこちに罠が仕掛けられていて、油断すると足を掬われ闇に落ちる。人が人としてまっとうにいきること。穏やかに日々を慈しんで、ただ幸せに生きること。それが、こんなにも難しい。それでも人は生きていかなければならない。昼だろうと夜だろうと、お天道様の下だろうと、闇の中だろうと、それぞれに住処を見つけ、生きていかなければならない。

P379 解説

文庫本おわりの解説から。
書評家・青木逸美さんが書いた解説なんですが、さすが書評家だけある!!
この本の魅力とおもしろさがすごくしっくりくる感じで語られています。「そうそう!そういうところが面白いのよ」と読みながらめちゃ共感してました。
そのなかでもこの部分が特にグッときました

幸せに生きることは本当に難しい。
なにかを為さなくても、日々生きることに精一杯でも、人はみな、必死で幸せになろうと生きている。

人ってのは愚かで愛おしい。


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