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【読書感想】諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉為末 大

読了日:2014/5/19

為末さん、毎日Twitterでなんかのテーマについてて語っております。
ちょっとした禅問答みたいで面白く、日々興味深く見ていたので、本も読んでみました。

いつこの本を手にとったのか、
それまでどんな経験をしてきたのか、
によって評価はわかれるのかもしれませんが、
私にとっては「うんうん、そうだよねー」と思う部分が多い本でした。

宇宙兄弟の読書感想でも書いたんですが、私は「頑張れば夢は叶う」とか「諦めなければ道は拓ける」みたいな言葉があまり好きではありません。
頑張って夢を叶えた人の足元には、頑張ってたけど夢が叶わなかった人もたくさんいて、それは厳然たる事実なわけです。
そこを見ずに勝利を得たたった一人の言葉を信じて、むやみやたらに頑張ったり、励ますのはタダの勝ち目のないギャンブルに努力という金をつぎ込んでいるように思えてしまいます。
為末さんも
「ただ闇雲に頑張ったり頑張らせるのではなく、方向や目先を変えた先に輝ける道があるならそっちを目指すのもアリではないか?」とこの本でいってます。

社会人になって色んな人を見てたり、自分自身を振り返っても思うけど、
例えば「人に教えたい」という強い思いがあっても圧倒的にプレゼンが下手な人はいるし、
「仕事だからやってるけど知らない人苦手」と割り切ってる人が、たいした苦労もせずそれなりのプレゼンしたりする。
願望や努力だけでは埋まらないものがあるのは、ちょっと現実に目を向ければなんぼでもあります。

とはいえ、たとえ初期スキルがたいしたことなくても適切なパワーと適切な方向性で努力できる人なら、自分で考えて修正して、それなりのレベルまでもってくことはできるでしょう。
でもおかしな方向に努力をつぎ込んでる人もたくさんいるし、自分で考えずに人に言われたことをただやろうとする人もいます。
そしてそれを「頑張れば夢は叶う」と励ます人もいたりするわけです。
まぁ別にいいんだけど、自分はそんな無責任な励ましはできないなぁと思います。

それでも努力した行為自体は無駄ではないと思いますし、「精一杯努力した時期がある」という経験値は、その人の先の人生にとって自信につながると思います。
私はミニバスもバレーもスキーも努力しても高みにいけるレベルではありませんでしたし、「勝ちたい」という貪欲さもかなり欠けていたと思うので、運動機能的な面での成長はサッパリでしたが、
とりあえず「やめずに頑張った」という自信だけは得ることができました。
だから無駄ではないと思うけど、それはあくまで結果論であって、それを最初から目指して動くのはなんだか違うよね、とも思います。

それに加えて、これまでの時代は「やめずに継続する」ことが美徳とされていたし、それを自信にしていくことができたけど、変化の著しい時代に「やめずに継続する」ことが本当に良いことなのか、自信にするもんなのかもわからなくなってきているように思います。
むしろ、「ポイントを見極めて変化できる」方がこれからの時代は気持ち良くわたっていけるような。。。
だから私が得た「やめずに頑張った」自信も流動的な価値観な気がするんですよね。

「子供の夢を壊すな」とか「そんな悲観的で夢も希望もない」というふうに言われるのかもしれないけど、子供なんてそんなに夢を見せて騙くらかしとくほどバカでもないし、そのうち経験すりゃイヤでも自分の限界なんてわかるんだから、綺麗な言葉で現実から目を背けるみたいな嘘っぽいのはなんだかなぁと。。
私は子供に夢は語れないなぁ。。。

ワタクシ的名言

「諦める」という言葉の語源は「明らめる」だという。
仏教では、真理や道理を明らかにしてよく見極めるという意味で使われ、むしろポジティブなイメージを持つ言葉だというのだ。(本文から引用)

知らなんだ。。
いいね、「明らめる」。
こっちで普及してほしいね。

ただ、自分の憧れる存在が本当に自分の延長線上にいるかどうかということを、しっかりと見極めるのは非常に大事なことになってくる。自分とはまったく接点のない人に憧れて、自分の短所を埋めているつもりが長所ごと削り取っている人はかなりの数に上ると思う。僕はこれを「憧れの罠」と呼んでいる。(本文より引用)

例えば私がアンジェリーナジョリーを目指すよりは、広末涼子を目指す方が現実的ということです。
(なんか、文句、ございます?)

極端なことを言えば、勝ちたいから努力するよりも、さしたる努力をすることなく勝ってしまうフィールドを探す方が、間違いなく勝率は上がる。
「だって、僕がこの分野に行けば有利なんだよね」
そこから考えることが戦略だ。孫子は「戦わずして勝つ」ことを善としている。勝つためには、最初から負けるフィールドを選ばないことが重要なのだ。
最高の戦略は努力が娯楽化することである。そこには苦しみやつらさという感覚はなく、純粋な楽しさがある。苦しくなければ成長できないなんてことはない。人生を楽しんでいい、そして楽しみながら成長すること自体が成功への近道なのだ
(中略)
僕が言いたいのは、あくまでも「手段は諦めていいけれども、目的を諦めてはいけない」ということである。言い換えれば、踏ん張ったら勝てる領域を見つけることである。踏ん張って一番になれる可能性のあるところでしか戦わない。負ける戦いはしない代わりに、一番になる戦いはやめないということだ。「どうせ私はだめだから」と、勝負をする前から努力することまで放棄するのは、単なる「逃げ」である。(本文より引用)

ここらへんは難しいね。
結局自分で経験して「逃げ」と「明らめ」の境界線を探っていくしかないし、自分でも選択してしばらくたってからじゃないとわかんないだろうしね。
親とかコーチとか先輩という立場で言うと、両方の経験がきちんとできるよう引いて見てないといけないだろうな。
サポートする側は、本人が楽しく夢中になれるよう引きながら言葉をかける、みたいな?
超むずいわ(笑)

生まれながらにして速く走れる人もいる。さほど練習もしないのにサッカーが上手い人がいる。努力しなくても頭がいい人もいる。一方で、できる人の何十倍練習しても、何十倍勉強しても、絶対に追いつけない人たちがいる。どんなに否定しようとも、才能による格差はなくならない。(本人より引用)

中1のときの国語の先生が
「同じことを1回でわかる人もいれば、10回やってやっとわかる人もいる。10回やらないとわからない人はそれをわかった上で10回やりなさい」
といっていて、私は時々その言葉を思い出します。
私の中では割と衝撃であり、なおかつとてもシックリくるものでした。
先生は「己を見極めた上で必要な努力をしなさい」と言ってたんだろうね。
この言葉のおかげで、
勉強ではいつも2番目か3番目だったので、「自分は1番をとってる彼女より飲み込みが悪いから彼女よりは努力しよう」と思えたし、
何度やっても上手にできないバレーボールでは、「自分の上達には限界があるから声だけは出して盛り上げよう」と、有る意味「明らめ」をして、役割を勝手に見出したりしてました。
ま、勉強もバレーもスキーも、努力に気付かないほど没頭できればよかったんでしょうけど、多分私は没頭しにくい質のようです。
他人から見ると結構努力の余地はあったんだろうなぁ。

個人的には
「新しい考え方!」
とかではなく
「私もーー(^^)」
っていうことばかりの内容でしたが、ぼんやり思ってることを改めて言語化してくれてたので、なんか、気持ち良かったです。


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