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[report]『中平卓馬 火—氾濫』


開催情報

開催日:2024.2.6.tue-4.7.sun
場所:東京国立近代美術館(東京都千代田区)
観覧料:1500円(一般)

内容:写真家・中平卓馬の回顧展

公式サイト:東京国立近代美術館 企画展「中平卓馬 火―氾濫」

Catalog Pocket」で解説が読めます。

!)カタログの刊行が遅れています。3月刊行予定。
  展覧会観覧者は観覧当日、送料無料で予約できますが、見本はありません。
  キャンセル不可

主な登場人物

  • 中平なかひら卓馬(1938-2015)
    写真家

  • 東松とうまつ照明(1930-2012)
    写真家。編集者だった中平卓馬に、担当していた月刊誌『現代の眼』にグラビアページを設けるよう提案。

  • 寺山修司(1935-1983)
    歌人、詩人、劇作家。写真家として仕事を始めたばかりの中平と森山大道を起用し、週刊誌『アサヒグラフ』にエッセイを連載。中平と森山が雑誌で競作する初めての機会となった。

  • 多木浩二(1928-2011)
    批評家。中平と同人誌「PROVOKE」を主導。中平と共に「写真100年」展の企画編纂に参加。

  • 高梨豊(1935-)
    写真家。中平と同人誌「PROVOKE」を創刊。

  • 岡田隆彦(1939-1997)
    詩人、批評家。中平と同人誌「PROVOKE」を創刊。

  • 森山大道だいどう(1938-)
    写真家。同人誌「PROVOKE」に2号から参加。

  • 松田政男(1933-2020)
    批評家。「風景論」を牽引。

  • 北井一夫(1944-)
    写真家。中平と誌上企画「DISCOVERD JAPAN」『アサヒカメラ』を発表。

  • クリスト(1935-2020)
    アーティスト(環境アート)。ランドマークや大自然を布で梱包。

  • 赤瀬川原平(1937-)
    前衛芸術家、作家。

  • 佐藤信(1943-)
    劇作家、演出家。「運動としての演劇」を掲げ、都市空間に演劇を持ち出すことで近代演劇の上演システムを実践的に批判。

  • 中上健次(1946-)
    小説家。1976年、中平と雑誌誌上で「町よ!」を共作。

  • 篠山紀信きしん(1940-2024)
    写真家。1976年『アサヒカメラ』で中平と「決闘写真論」を連載。

  • フランツ・ファノン(1925-1961)
    思想家。アルジェリア独立運動を主導。中平が傾倒。

単語

  • 【アレ・ブレ・ボケ】
    粗く、ブレて、ピントが合っていない写真

  • 【PROVOKE】プロヴォーク =「挑発する」
    多木浩二、高梨豊、岡田隆彦、中平卓馬による同人誌。1968年11月創刊。3号まで刊行。副題は「思想のための挑発的資料」。

  • 【風景論】
    1968年に起きた連続射殺事件の犯人として逮捕された青年の半生と犯行の軌跡を追って、ひたすら日本各地の風景にレンズを向けた1969年製作の映画「略称・連続射殺魔」を起点とする。
    高度経済成長によって均質化する風景の背後にある、国家権力や資本主義による支配の構造を凝視し、「その権力によって一様にぬりこめられた<風景>を切り裂く」ことが中平たちの課題となった。

    「朝日ジャーナル」に掲載された松田政男の論稿を起点として、1969年末-1970年代に展開。

章構成…覚書を添えて

※メモ(覚書)は主に展覧会内の解説とCatalog Pocektの解説より。
 読んだだけでは、いまいち理解できなくて、メモを残しています。
 授業中にとったノートみたいなものです。

  1. 1章 来るべき言葉のために
    …編集者・中平卓馬、写真家となる
     雑誌・同人誌で活動
     雑誌などへの寄稿を通じて、言論人としての存在感を獲得
     写真と言説、二つの領域にまたがる活動
     「アレ・ブレ・ボケ」で既存の写真表現の常識を揺るがす

    「PROVOKE」創刊に際してかかげられた言葉
    「言葉がその物質的基盤、要するにリアリティを失い、宙に舞う他ならぬ今、ぼくたち写真家にできることは、既にある言葉ではとうてい把えることのできない現実の断片を、自らの眼で捕獲してゆくこと、そして言葉に対して、思想に対していくつかの資料を積極的に提出してゆくことでなければならない」

    入ってすぐ右手に写真集のスライドショー形式による上映(椅子あり)
    『現代の眼』
    寺山修司「街に戦場あり」『アサヒグラフ』
    『Provoke』

    中平「写真はピンボケであったり、ブレていたりしてはいけないという定説があるが、ぼくには信じがたい」

    中平「パネルに焼いた写真を貼って、タブローのように見せることがいやらしい。写真は本来、無名な目が世界から引きちぎった断片であるべきだ、という考えから、写真をポスターのように印刷し、壁に貼りつけて出品したい」(第6回パリ青年ビエンナーレ写真部門への参加に際して)

  2. 2章 風景・都市・サーキュレーション
    …「風景」=「権力」自らに敵対するものとして風景
     演劇、観劇、漫画、いけばな、建築、デザイン、美術等、さまざまな分野の人々との出会い(クリスト、赤瀬川原平)

    『風景』文:松田政男
    「都市」
    「第7回パリ青年ビエンナーレ」
    「DISCOVERD JAPAN」「とらわれの旅」『アサヒカメラ』

    中平「ぼくにとっても世界はプラスチックのように艶やかで堅ろうな「風景」としてしか現前しない。それはまぎれもないぼくの肉体と感性の不幸なのであるが、まさにそれ故にぼくは写真を撮りつづけると言うこともできよう。たしかに都市はこの「風景」と無縁に在ることはできない。いや、それどころか、都市は「風景」そのものなのだ」(『グラフィケーション』1970年6月号「特集・都市と人間」「見続ける涯に火が…」)

  3. 3章 植物図鑑・氾濫
    …自らの初期の写真を厳しく否定
     「(写真家が主観的にいだく)イメージを捨て、あるがままの世界に向き合うこと。事物ものを事物として、また私を私としてこの世界内に正当に位置づけること」こそ目指すべき方向。
     →そのための方法として
     「白日の下の事物をカラー写真によって捉、植物図鑑に収めていく」

    「15人の写真家」展《氾濫》←そこに至る思考プロセスと並行する写真実践の軌跡

    中平「都市は氾濫する。事物ものは氾濫し、叛乱を開始する。大切なことは絶望的にそれを認めることなのだ。それが出発である。」(「なぜ、植物図鑑か」)
    世界と対峙することとは、世界の側からの視線が私に向かって投げ返されることであり、「私の視線と事物ものの視線が織りなす磁気を帯びた場、それが世界なのだ」(中平)

    中平「みずからの写真をふり返ってみて、なぜ私はほとんど「夜」あるいは「薄暮」「薄明」しか撮らなかったのか。またなぜカラー写真ではなく、ものクロームの写真しか撮らなかったのか。さらにはなぜ粒子の荒れ、あるいは意図的なブレなどを私は好んでもちいてきたのか?[中略]結論を先に言ってしまえば、それは対象と私との間をあいまいにし、私のイメージに従って世界を型取ろうとする、私による世界の所有をごういんに敢行しようとしていたように思えるのだ。」(「なぜ、植物図鑑か」)

    有機体である植物という存在にはあいまいなところがあり、「ふとしたはずみで、私の中へのめりこんでくる」、だからこそ「この植物が持つあいまいさを捉え、ぎりぎりのところで植物と私との境界を明確に仕切ること」、そうして成立するするものが「植物図鑑」
    中平「世界は決定的にあるがままの世界であること、彼岸は決定的に彼岸であること、その分水嶺を今度という今度は絶対的に仕切っていくこと、それがわれわれの芸術的試みになるだろう」

    「都市」
    「とりあえずは肉眼レフで」
    「もうひとつの国」『朝日ジャーナル』

  4. 4章 島々・街路
    …撮影フィールド 国内の都市から南の島々、海外へ
     植民地、「路地(被差別部落)」
    1973年 沖縄のデモ事件で起訴された青年の裁判(「松永裁判」)を支援するため、沖縄へ。
    1975年 奄美群島撮影
    1976年 ×篠山紀信「決闘写真論」
    1977年 中平、急性アルコール中毒で倒れる。記憶と言語に障害を残す。

    ×中上健次「町よ!」
    「街路」

  5. 5章 写真原点
    …写真家活動再起、最初の地は沖縄。
     1980年代 モノクロ
     2011年 大阪Six「キリカエ」展(自ら関与した最後の展示)
    写真を撮る行為そのものが自らの「原点」

    Adieu a X
    「キリカエ」展
    日記

感想

まずチラシです。スタイリッシュでかっこいいです。


これ。開くとこうなります。
中平卓馬《氾濫》東京国立近代美術館

356mm×592mmくらいの大きさ。
このまま壁に貼ってポスターにするもよし、このサイズならブックカバーにもできる。素晴らしい!

さて、展覧会場へ参りましょう。
会場に入ってすぐ右手のスライドショーコーナーは、椅子が空いていれば、座って鑑賞し、体力回復しておくことをおすすめします。
なぜって、この先、展示数多く、雑誌や読み物が多いため、ガッツリ全部見ようと思ったら大変です。
読み物は字も小さいですしね。

1章は雑誌の展示が多いです。
大掃除してたら出てきた古雑誌に思わず読み耽ってしまうように、没入してしまいます。

《寺山修司「街に戦場あり(4)親指無宿たち」『アサヒグラフ』》個人蔵

4 親指無宿たち
パチンコ屋で三十ふんほどの放浪をたのしんでいる無気力なサラリーマンたちはこの「親指無宿」たちをどう見るか?
所詮は
 勝つと思うな 思えば負けよ
 負けてもともと この胸の
と美空ひばりの歌を真似ながら、「負けてもともと」のゲームをたのしむだけで満足するだろうか?

上の写真より

「親指無宿むしゅく」は親指一本で渡り歩くパチンコ打つ人のことのようです。
他のエッセイもつい読み耽ってしまいました。


《『Provoke』3号》 東京国立近代美術館

「Provoke」の展示。
叶うことなら、手にとってじっくり読みたい。
二手舎から復刻版3巻セット8800円(税込)で出ているようですが…
…8800円かあ….う〜〜〜〜〜〜ん…
この最上段の詩みたいのが読みたいんですが、位置が高いし字も小さくて、よく見えないんですよね。
スマホで写真撮ってみたけど、肝心の著者名とタイトルがピンボケで読めません。
読めた範囲ではこんな感じ↓

私だけのサンヨー プロト、私だけの偉大なリンホフ。私は視姦者だからときどき飛行機に乗って素晴らしい青空を眺めにゆく。飛行機のなかでかっての美空ひばりみたいに越後獅子、飛行機の中でさかだちできたら、うれしいだろうな。私だけのオリンパス・ぺン、左手で撮影だ!

《『Provoke』3号》 東京国立近代美術館

ある日、ふと気づいてみると、ぼくは地下道を歩いていた。その前後の記憶はまるでない。どこから来て、どこへゆくか。ただ薄暗く、真っ直ぐな1本の地下道。なん人かの人にすれちがったような気もする。だが、それも定かではない。今ぼくは、たかが地下鉄構内を脱出せそうもない、ひとつの陥穿を感じる。それはまぎれもない病気だ。ただの肉体的欠陥だ。

《「地下」『アサヒカメラ』1970年5月号 朝日新聞社》 個人蔵

1章を見ていると、安倍公房を連想します。

2章

《サーキュレーションー日付、場所、行為》東京国立近代美術館
再現されていて、当時を雰囲気を想像させます。

3章の「特集・京都」「DISCOVERD JAPAN」はニヤッとしてしまいます。

5章に中平卓馬の日記があります。(撮影不可)
小さくて几帳面そうな、意外と可愛い字。
最初の頃は、みっしりと綴られています。…記憶を失ったからでしょうか?
やがて起床時間と就寝時間の記録だけになり、最後はタバコの空き箱に殴り書きになっていくのを見ると、切ないような悲しいような…気持ちになります。

《『自意識を解体すること、それを進んで引き受けること、それが私の考えること、
その自意識の解体と再生を自らすすんで引き受けること、
それが写真家として止む事なく私が考え、引き受けつづけることである』オシリス》 個人蔵

コレクション展[2024.1.23-4.7](つまみ食い)

正直、中平卓馬展で疲労困憊ですが、MOMATコレクション展は重要文化財いっぱいなので頑張ります。
…MOMAT大好きなんですが、唯一の不満は軽食とれる場所がないこと。
「ミクニ」は敷居が高いし、竹橋まで戻るのも面倒で、つい飲まず食わずで頑張ってしまいます。
座るところはいっぱいあるんですけどね。
集中力も切れてますし、つまみ食い鑑賞です。

Room 1 ハイライト
春休みを意識してでしょうか?「〜してみよう」みたいな学習テイストになっています。

緑色の濃度などについて解説があり、出てきたのは川合玉堂。豪華ですね。

川合玉堂《行く春》 文化庁管理換

Room2 新か、旧か?

木島桜谷《しぐれ》(部分)文部省管理換

「わー!おうこくさんだー!かわいー!」と走ってしまいそうになりました。
…疲れてます。
木島桜谷をMOMATで初めて観ました。
そんなにMOMATに通っているわけではないので、珍しいのかわかりませんが。
「文部省管理換」という表記の意味がよくわかっていません。後日、調べます。
ちなみに、お隣は横山大観「白衣観音」です。豪華ですね。

Room3 麗子、生誕110年
パパ岸田劉生と娘麗子という視点の展示が楽しい。
半分くらいは麗子さんの幼少期の絵の展示です。
劉生パパの日記も、字が草書ぽくて読めないけど、ちょこっと絵が描いてあったり楽しいです。

Room5 アンティミテ(親密さ、安らぎ、私生活、内奥)

高村光太郎《兎》東京国立近代美術館

疲れてくると、甘いものが欲しくなりますよね。
かわいいものしか目に入らなくなってきている気がします。

 土方久功《猫犬》 東京国立近代美術館
絵本「おによりつよいおれまーい」の作者。

この後も、芹沢銈介特集や、新収蔵のジェルメーヌ・リシエ《蟻》、「作者が語る」とか見所いっぱいなんですが、疲れてしまって流し見になってしまいました。
MOMATのコレクション展は、それ単体で観に行くボリュームありますね。

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